さて、私の名前はカース・ド・マーティン。
ごく普通の宮仕え騎士の三男坊だ。
二年前、ここローランド王国の辺境フランティアにて生を受けた。
よちよち歩きもすっかり板についてきたところで、段差がなければどこまでも行けそうな今日この頃。
家からは出られないし、階段も登れないので、朝から晩まで一階をウロウロ歩き回る毎日。さすがに少し飽きてきたところだ。
「あっ、またカースはこんなとこをうろちょろして! 母上が探してたぞ!」
長男のウリエンだ。
十歳にも関わらず面倒見のいい、頼り甲斐のあるかも知れないお兄ちゃん。
お兄ちゃんぶりたいだけかも知れないが、私にとっては好感が持てるお人だ。
「あー、兄うえーあそぼー」
「明日な。明日は学校がお休みなんだよ。何して遊ぼうか?」
「狼ごっこがいいー、お外にいきたーい」
「それはダメだよ。父上に聞かないとね。
外は危ないんだよ。」
「じゃあ本がいいー、よんでー」
近所の子供達を参考にした喋り方がこれである。もっとも精神が肉体に引っ張られているせいか、そこまで苦痛でもない。結構自然に喋れていると思う。
ところで、狼ごっことは鬼ごっこのことらしい。家の中でしかやったことはないが、あれは楽しかった。外で思いっきり走り回ったらもっと楽しいに違いない。
早く隠れんぼや缶蹴りもやりたいものだ。
「分かった分かった。明日ね。母上ー!カースがいたよー!」
母の名はイザベル。
現在はごく普通の主婦だが、元々は父より身分の高い家の出らしい。
普段は基本的に私のことは放置気味だが、今日は何やらあるらしい。放置と言っても育児放棄的な意味ではない。一階限定で自由にさせて貰っているようなイメージだ。
「ありがとうねウリエン。さあカースちゃん、今日はお昼からお出かけよ。お着替えしましょうね。」
「はーい、どこに行くのー」
「教会よ。カースちゃんが元気に大きくなれるように神様にお願いするのよ。」
この国では多神教が一般的らしく、目的によって祈る神が違う。
誕生や安産に関しては、カーリーティ。
成長や健康に関しては、ヴィルーダ。
二歳になったのが先週ぐらいだから、加齢に伴うイベントなのだろう。七五三みたいなものかな?
「きょうかい? お外? おもしろそうー」
そうして私は他所行きの服装に着替えを始める。自分でできることは今着ている服を脱ぐところまでだ。
母親とメイドの手によって着替えが終わった。身体は小さくても貴族の端くれ、馬子にも衣装とはよく言ったものだな。小さい紳士のできあがりだ。
「かっこいいー でもうごきにくいー はやくぬぎたいよー」
「カースちゃんかっこいいわよ。そんなカースちゃんをもっと見ていたいわ。だからそんなこと言わないで。ねぇマリー?」
「はい奥様。カース坊ちゃんはかっこいいです。将来が楽しみです。坊ちゃん、マリーも坊ちゃんのかっこいい姿をもっと見ていたいですよ。」
「えへへー かっこいい? そう? じゃあがんばるー」
服がキツくて動きにくいのは本当だ。
長男ウリエンのお下がりだからな、サイズが合ってないのだろう。二男もこれを着て教会に行ったはず。我が家は貧乏ではないようだが、倹約は徹底している。
メイドのマリーだって奴隷市で売れ残っていたのを不憫に思った父が衝動的に買ったらしい。さすがは中世、普通に奴隷がいるんだな。
マリーは相場の半値以下だったとか。顔の造形は悪くないし、年齢も三十前後、肌は白くスタイルも平均的。それなのに売れ残った理由は両耳がないからだろう。
原因は知らないがマリーは両耳がないせいで、みんな気味悪がって買わなかったらしい。メイドキャップを深めにかぶっていたら見えないので関係ない、のか?
さて、馬車に乗って出発だ。どれぐらい時間がかかるのだろうか。近いといいのだが。
ちなみに御者をするのはマリーである。父が仕込んだらしい。
父の名はアラン。
この辺り一帯を治める辺境伯家が統治するクタナツ代官府の騎士、日本で言えば地方都市の市役所の係長クラスだろうか。
私達一家が住むのは広大な辺境フランティアにある街の一つ、クタナツ。辺境伯が直接治める領都とは別にある三つの街の一つだ。
ローランド王国は広い。
辺境フランティアも広い。
城壁で覆われたクタナツの街は多分そこまで広くない。人口は三千人ぐらいらしい。
フランティアの中では最も辺境に位置しているためクタナツと呼ばれるエリアは広大なのだが。
これ系の知識は、かなやが仕込んでくれたサービスによる。頭の中に教科書が一冊入っているようなものだ。
内容はそこまで詳しくはない。辞書ではなく教科書なのだから。二十代平民男性の平均レベルの知識、常識らしい。
ではクタナツのエリア外には何があるのか?
そこには『魔境』と呼ばれる広大なエリアが広がっている。
山、森、大河、湿地、砂漠などがあるらしい。名前の通り魔物達が大勢跋扈する危険な地域だとか。
やはりこの世界は安全ではない。狼などの野生動物はたくさん出るし、ファンタジー御用達のゴブリンやオークなど魔物も多い。
奴らは基本的に肉食だ。しかし腹を空かせるとそこら辺の草や畑の野菜も食べるし魔物同士でも食い合う。もちろん人間も食べる。
ゴブリンやオークと言えば繁殖目的で人間を含む哺乳類のメスを攫うらしいが、攫われたメスが苗床になるか餌になるかは奴ら次第らしい。そんな奴らの巣に攻め込むと、生き残っている女がいることもあるらしいが、大抵は精神が壊れているらしい。そんな時は発見者が気を利かせてトドメを刺すのが普通だとか。
ああ怖い。
そんなことを考えているうちに教会に到着した。三十分ぐらいかかっただろうか。
走った方が早い気もするペースだった。それでも少し酔ってしまったようだ。吐くほどではないが気分が悪い。
目の前には豪華ではないが、荘厳な雰囲気を醸し出す石造りの建物があった。これが教会か。二階建ての家よりかなり高く、我が家の五倍は広い。
「二歳参りの皆様、受付はこちらです。馬車はあちらに停められてください」
若い神官が来場者の整理をしている。歩きで来た家族、馬車で来た家族と様々だ。
ちなみにうちの馬車は他家の馬車と比べて小さく、馬一頭で引く四人乗りタイプだ。さあ、いよいよ教会デビューだ。他家の子供と顔を繋ぎ友達を作ろう。
近所にも何人か友達はいるが、年が離れてるんだよな。同級生と会うのは今日が初めて、楽しみだ。
受付を済ませ教会の中に進む。席順は決まってないが、前列ほど身分が高い者が座るらしい。
「あら、マーティン卿の奥様、イザベル様じゃありませんか。お久しぶりですわ。確か去年の総登城以来かしら。」
「まあ、ミシャロン卿の奥様、シメーヌ様!お久しぶりですね。お元気そうで何よりですわ。そうでしたね。総登城以来ですわ。」
「イザベル様も二歳参りですか。つくづくご縁がありますわ。さあセルジュもご挨拶なさい。」
そう言ってミシャロン夫人は横の男の子に挨拶を促す。
「はじめまして、ぼくはセルジュ・ド・ミシャロンです。二さいです。好きなものはゴースト|退治《ハント》です。」
「まあ!なんてしっかりしたご挨拶! えらいのね! さあカースちゃんもご挨拶しましょうね。」
「はーい、ド・マーティン家のさんなんカースです。ぼくも二歳です。好きなものは狼ごっこです。」
どうだ。二歳にしてはいい感じの挨拶じゃないか。まあここに来ている子供は全員二歳に決まっているが。
「カースちゃんとおっしゃるのね。さすがマーティン卿とイザベル様のお子様だけあって可愛らしさの中から聡明さが滲み出ておりますわ。セルジュも負けてられないわね。」
「まあシメーヌ様ったら。セルジュちゃんだって凛々しさと朗らかさを併せ持ついい子ですわよね。カースちゃんと仲良くしてあげてね、セルジュちゃん。」
「はい! ぼくも狼ごっこ好きです! 一緒にやりたいです! やろうねカースくん!」
「うん! ぼくもゴースト退治やってみたい! たのしみだよーセルジュくん!」
ちなみにゴースト|退治《ハント》とは隠れんぼのことである。音もなく物陰に潜むゴーストを探して退治するという設定だ。
ゴーストは魔力の高い者に存在を認識されるとそれだけで消滅することから、このような名前になったらしい。
このようにあちこちで挨拶が交わされている。だいたい同じぐらいの身分同士で固まるものらしい。
えらい神官の挨拶が始まる。全身白づくめの優しそうなお爺さんだ。
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