カースとの待ち合わせは貴族学校の正門前に十二時。まだ三十分ぐらいあり、カースから発信の魔法は来ていない。マニュエルから逃げるために少々早く図書室を出てしまったからだ。
正門前ならば大きな時計が見えるため待ち合わせには最適。アレクサンドリーネはこの待ち時間でカースに話すべき勇者の話をまとめるべく紙に書き記すつもりだった。
しかしそこで邪魔をするのが、マニュエルだった。アベカシス家の歴史から始まり勇者との関わり、王家との繋がり。いかに自分の家が素晴らしいかを延々と語る始末なのだ。上級貴族たるアレクサンドリーネなら当然承知の内容ばかりでウンザリしているのだが、彼には伝わらない。黙り込んだアレクサンドリーネの興味を惹こうとなおも話し続けるのだった。無限に続くかと思えるような時間なのに時計を見ればたったの十数分しか経っていない。どうしたものかと困り果てたアレクサンドリーネに、ついにカースから発信の魔法が届いた。もうすぐ正門前に着くらしい。カースのもうすぐとは大抵の場合五分だ。アレクサンドリーネは今朝会ったばかりのカースの到着を夢見心地で待ちわびていた。
「もうすぐ来ますわ。だから離れてください。そんなに近づかれると彼に勘違いされてしまいます。」
「君をこんなに待たせるなんて何様なんだろうね。勘違い? 望むところさ。」
カースとしては待ち合わせ十五分前に到着する予定なのだが、この男には伝わってない。アレクサンドリーネは確かに話したのだが、基本的に他人の話や都合など気にしない男なのだから。
そして、指一本でも触れることが許されないためギリギリまで近づくという暴挙に出ている。十分セクハラだ。無論彼からすれば自分が近寄ることは女性を喜ばせることだと考えている……
「お待たせ。早かったんだね。待たせてごめんよ。」
カースを見てマニュエルは俄然勝ち誇った。明らかに自分より年下。背も低い。服装からすれば少し裕福な下級貴族。ウエストコートにトラウザーズなど衣類は仕立てではあるようだが、下品な魔物素材。彼も最上級貴族の端くれ、先入観を捨ててカースの服装を見たなら上級魔物素材と気付いたかも知れない。しかし出会い頭にカースを見下したマニュエルが気付けるはずもなかった。
「ううん、待ってないわ。こちら暇なマニュエルさん。私達にどうしても昼食をご馳走したいんだって。ハスコーリ・ダ・レイサで食べ放題よ。」
「それはそれは。ご馳走になります。カース・ド・マーティンと申します。」
「マニュエル・ド・アベカシスだ。そのつもりだったのだが、淑女を待たせるような男にご馳走はできないな。今日のところは許してあげるから気をつけて帰るがいい。」
いきなり何を言ってるのか理解できないカースとアレクサンドリーネ。ご馳走すると言って無理に来たくせにカースを見るなり帰れと言う。
だからカースは……
「じゃあ行こうかアレク。二人でハスコーリ・ダ・レイサで食べようか。」
「ええ、それがいいわ。ではご機嫌よう。」
当然こうなる。
「待て!」
先ほどの忠告も忘れてアレクサンドリーネの肩を掴むマニュエル。正確には掴めず掌を氷で覆い尽くされてしまい絶句している。
「同じことを言わせないでくださいな。私の身体は全て彼のもの。指一本たりとも触れさせませんわ。」
マニュエルの主観では耐え難い侮辱。自分ほどの人物にこれだけの恥をかかせた女、そしてその男も許してはおけない。手元で何かの魔道具を触ってから宣言する。
「決闘だ!」
「受けて立つわよ?」
即座に返事をしたのはアレクサンドリーネだった。感情のままに叫び、受理されてしまった。いかに厚顔なマニュエルでも受理された決闘を取り消すことはできない。
「頑張ってね。」
気楽な顔をして応援するカース。ますます焦るマニュエル、女の影に隠れて平気なのか? それでも男か! と言いたそうな顔をしている。
「正式な決闘は初めてよ。立会人は誰がいいかしら?」
まるでドレスは赤がいいかしら? とでも言っている口調だ。
「ソルダーヌちゃんとか? エロー校長みたいな人がいるといいのにね。」
そこにゾロゾロと他の生徒達が現れた。昼休みだからだろうか。
「マニュエル様、何事ですか?」
「マニュエル様、大丈夫ですか?」
「マニュエル様、また新しい女ですか?」
「マニュエル様……」
マニュエルの取り巻きだろうか。
「お前達……少々決闘をな……」
「マニュエル様、決闘ですか!」
「マニュエル様、大丈夫ですか!」
「マニュエル様、その女ですか!」
「マニュエル様……」
その間にアレクサンドリーネはそこらで職員を捕まえてソルダーヌを呼ぶよう頼んでいた。
「お前か! マニュエル様は強いぞ!」
「下級貴族か! さっさと謝って帰れよ!」
「女は置いて行けよー!」
「マニュエル様……」
そして現れたソルダーヌ。職員が迅速に動いてくれたらしい。
「久しぶりねアレックス。突然来たと思ったら何事?」
「いきなりで悪いわね。こちらのマニュエルさんに決闘を申し込まれたから立会人になって欲しいの。」
「それはいいけど……カース君、いいの? マニュエル先輩は魔力も高いし、それなりに強いわよ?」
「久しぶりなのに心配かけてごめんね。問題ないよ。もうアレクの魔力は昔とは比べものにならないよ。気楽に立会人をやってもらえるかな?」
何の気負いもなく言い放つカース。彼がそこまで言うのならと、ソルダーヌも余計な心配はやめた。
「マニュエル様、こちらの女性に決闘を?」
「マニュエル様、いいんですか?」
「マニュエル様、嬲って楽しむおつもりですか?」
「マニュエル様……」
「マニュエル先輩、取り敢えず移動しましょうか。私が責任を持って立会人を務めますのでご安心ください。」
「ソルダーヌ……君は彼女を知っているのか?」
ソルダーヌとマニュエル、最上級貴族同士だけあって当然面識も付き合いもある。敵か味方かはともかく。
「小さい頃からの友人ですわ。先輩、今ならまだ間に合いますわよ。恥を忍んで取り消してはどうですか?」
「出来るわけないだろう。彼女こそ僕に詫びを入れれば勘弁してやるものを。無駄に死ぬことはないだろうに。」
マニュエルは本気で自分の勝ちを疑っていない。自分が勝つのは当然で、アレクサンドリーネを殺してしまうことを惜しんでいるのだ。お気に入りの玩具を自分の手で壊さなければならない程度の葛藤だが。
「付いて来るなと言うのに無理に来て、ご馳走すると言ったのに帰れと言う。素直に帰ろうとしたら決闘を吹っかける。意味が分かりませんわ。私が相手をしているうちに謝ったら許してあげますけど?」
アレクサンドリーネの言う通り、客観的に見てもマニュエルの言動は無茶苦茶だ。弁解の余地がない。普通ならば……
「マニュエル様から誘われただって?」
「それは何と幸運な!」
「自分を高く売ろうとして失敗するパターンだな。素直になりなよ?」
「マニュエル様……」
次の瞬間、なぜか動きを止める四人の取り巻き。立ったままプルプルと震えるだけで何も話せないようだ。カースが何かしたのだろうか?
「まだ始まらないの? 僕はもうお腹が空いたんだけど? 早く始めてよ。」
自分の大切な女性が決闘をしようと言うのに場違いな発言をする男。こんな男のどこにアレクサンドリーネが決闘するほどの価値があるのか……マニュエルは歯噛みして睨みつける。
「相手は私なんですが? カースを睨んでも無意味ですよ。」
そこにソルダーヌがラチがあかないとばかりに。
「ではこれよりアレクサンドリーネ・ド・アレクサンドルとマニュエル・ド・アベカシスの決闘を始めます! もう一度言います!これは決闘です!
ドナシファン・ド・フランティアが四女ソルダーヌが見届けます! 決闘後の異議は一切認めません! 両者構え!」
慌てて杖を取り出すマニュエル。
両手を下ろし構えもしないアレクサンドリーネ。
「始め!」
やや早口で詠唱を始めるマニュエル。どうやら上級魔法を使うつもりらしい。彼の常識では自分が魔法を使う際、対戦相手は魔法の完成を待つものである。そうして自分の強大な魔法を受けて無残に負けるまでがいつもの流れだった。しかし今回は……『氷弾』
詠唱の最中にもかかわらず大腿部に二発も攻撃を受けた。普段から高級な装備を身につけているため怪我はないが、詠唱は途切れてしまった。また唱え直さなければならない。
「詠唱中に攻撃してくるとはとんだ卑怯者だね。」
『氷散弾』
数百発の氷の球がマニュエルを襲う。当然防御など間に合わない。剥き出しの手や顔に無数の傷が付くが、致命傷ではない。
『氷弾』
先ほどはマニュエルのトラウザーズを貫くことはできなかったが、今度は魔力を多目に込めた。いつだったかトビクラーを仕留めた時よりも強力な一撃だ。しかし、それでもマニュエルの装備は貫けない。かなりの高品質なのだろう。
「無駄だよ。その程度の魔法では僕の防御は抜けないよ。降参するなら今のうちだよ?」
実際にはある程度の衝撃は通っているので、やせ我慢ではあった。詠唱もできないため防御に徹しているが、コツコツ下級魔法を使うなどという考えはない。上級魔法で豪快かつ華麗に勝つことしか考えていないのだ。
『氷弾』
さらに魔力が込められた一撃だ。先ほどから同じ大腿部だけを集中して狙っているアレクサンドリーネ。カースのゴリ押し精神に影響されたのだろうか?
『氷弾』
もうマニュエルの顔面は蒼白だ。段々と氷弾の威力は増していき後何発耐えられるか怪しくなってきたのだ。そして遂に……
『氷弾』
「うわぁぁあぁぁあ! 痛いよぉぉあぉお!」
アレクサンドリーネの魔法がマニュエルの大腿部を貫いた。
「さて、決闘なのですからトドメを刺すのが作法。お覚悟はよろしいですね?」
相手が最上級貴族ということでそれなりに気を使っているアレクサンドリーネ。しかし返事はない。
しかも……
「マニュエル様!」
「マニュエル様大丈夫ですか!?」
「一体何事が!?」
「おのれよくもマニュエル様に!」
そこに突如現れた男達。明らかに学生ではない。彼らは一体……?
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