五時間目、体育。
今日から体術の授業が始まる。とは言っても殴るだけだ。正拳突きと言えるほど立派なものでもない。型は決まっておらず水壁に向かって思い思いに殴れとだけ言われた。体力作りのようなものだろう。
私はせっかくなので色々やってみた。
正拳突き、肘、膝、回し蹴り。
ジャブ、フック、ストレート。
足刀蹴り、掛け蹴り、後ろ回し蹴り。
うろ覚えの見様見真似だが、これはいい運動になる。暑くなってきたのでタックルで水壁に飛び込む。涼しくていい気持ちだ。
そこでふと思い付いた。
自分で水壁を使い直径五十センチの円柱を作ってみた。
うん、即席ウォーターバッグの出来上がりだ。
魔力を大量に込めてあるのでゼリーのようにプルプル、だから拳も足もめり込まない。小さい頃に食べたスライムゼリーを思い出すな。
楽しくなってきた。前世ではサンドバッグを叩いたことはなかったからな。キックミットやハンドミットならあるのだが。
スティード君もやってみたいと言うので交代してあげた。楽しそうに殴っているではないか。のりのりか。
待ちきれなくなったので、私も反対側から殴ることにした。これはこれでいい練習になる。
そして授業は終わったが私はまだ校庭にいる。水壁もそのままにしてある。最後に木刀で切れるか試してみたくなったためだ。
アレクとスティード君が興味深そうに見ている。
私はできもしない居合の構えを取る。気分は流浪人でござる。流浪人マーティン……
右足を前方に踏み込み体を前傾させる。鞘はないけどあるつもりで木刀を抜き、そのまま水壁を横から斬る!
くっ、全然だめだった。拳だと凹みもしないが木刀は五センチぐらい食い込んで取れなくなってしまった。
ちなみにスティード君は十センチと少し刃を食い込ませることができた。さすがだ。
フェルナンド先生なら一刀両断なんだろうな。私も頑張ろう。
帰ろうとしていたら、奴等が現れた。帰ったんじゃないのかよ。
「お前、木刀など使っているのか。貧乏貴族は大変だな。どうだ? アレクサンドリーネから手を引くなら金貨十枚はする本物の剣をくれてやるぞ。」
ツッコミ所が多過ぎて何から反論すればいいのか分からない。アレク本人を目の前にして何を言ってるんだ? このまま無視して帰りたい……のだが……
「お前じゃないだろう。俺はカースだ。こっちも自己紹介をしてなかったから今日だけは許してやる。明日からはカースと呼んでいいぞ。あぁ気にするな、呼び捨てで構わん。
それからこの木刀をお前達のナマクラと一緒にするな。偉大な先生から頂いた逸品だぞ?
それにアレクを呼び捨てにするなと何回言えば分かるんだ? アレックスちゃんと呼べ。手を引くも何も俺が決めることじゃないしな。
ついでに金貨十枚程度の安物の剣などいらんぞ。」
我ながら長いセリフをよく言えたもんだ。自分を褒めてあげたい。さあ、何とか言ってくれよ。頑張って喋ったんだぞ。
金貨十枚の剣は安物かも知れないが、フェルナンド先生とお揃いの剣なら欲しいかも知れないな。
「き、貴様誰に向かってそんな口を!」
ようやく護衛一号君が喋った。
「ちょっとカース! 私アレックスちゃんって呼ばれたくないわよ!」
「あははごめんごめん。お前ら聞いたな? 呼び方には気をつけろよ。お互い貴族だろ?」
アジャーニ君がプルプル震えている。
顔が真っ赤で血管が浮き出ている。
「ハンドラー! シフナート! もう許せん! やってしまえぇぇ!」
一号君はすぐに反応し剣を抜きかけたが、その剣の柄頭を二号君が押さえている。反応が早過ぎる。恐ろしいやつ……
「シフナート! 血迷ったか!」
「黙ってろハンドラー。カリツォーニ様、確認いたします。この男、カースを殺せと言うご命令と考えてよろしいでしょうか?」
「シフナート! 当然ではないか! お前も抜け! 此奴らカリツォーニ様に向かって何と失礼なことを!」
「だから黙ってろハンドラー! その場合、我々三人とも死の覚悟が必要です。それでもやれと仰るなら従います。」
シフナート君……分かってるじゃないか。
クタナツで、ましてや貴族が剣を抜いたら即殺し合いだ。一瞬で殺してくれる。
だが……
アジャーニ君はいきなり冷静になったように見える。意外なところもあるもんだ。
「ちっ、もうよい。帰るぞ。そこのお前、あんまり大きな口を叩かん方がいいぞ。弱く見えるからな。」
ギリギリで命が助かったくせにえらく余裕だな。まあいいけど。
一応忠告しとこう。
「シフナート君。君とは戦いたくないからしっかり手綱を握っておいてね。」
二号、シフナート君は表情を変えずこちらを一瞥するのみだった。きれいな顔してやがる。
それにしても上級貴族って面倒くさい。
カリツォーニ・ド・アジャーニは怒りを抑えきれずにいた。転校初日ということもあり、自分と同格、そして旧知の少女と仲良くしてやろうと考えていた。だが、それがまるで相手にされなかった。また平民同然の下級貴族の分際で少女の権勢を盾に調子に乗っていた男の存在も怒りに拍車をかけた。
「カリツォーニ様、くれぐれもご自重ください。ここはクタナツです。命が簡単に無くなる土地柄なのです。ハンドラー、お前もだ。我々の役目は護衛だ。戦って勝つことではないぞ。カリツォーニ様のお命を危険に晒して何とする。」
「シフナートよ、お前の忠誠は有難く思う。あの者について何か知っているのか?」
カリツォーニは努めて冷静に聞き返した。
「いえ、存じません。ただあの時ハンドラーが剣を抜いていたら命が無かったことだけは分かります。しかもその場合、私とカリツォーニ様の命も風前の灯火だったかと。」
「シフナート! あのような下級貴族に何を恐れている!? 所詮アレクサンドル家の威光を傘に着る雑魚ではないか!」
「はぁ、ハンドラーさぁ。僕の個人魔法を知ってるだろ? 君は本当に死ぬ寸前だったんだよ? 僕が柄頭を止めなければね。」
「そ、そうだな。すまない。助かったようだ。」
「分かってくれたらいいよ。そういう訳ですカリツォーニ様、ご自重をお願いいたします。あいつはヤバい。アレクサンドル家のご令嬢が見初めるだけあるのではないかと。」
「……そうだな……」
カリツォーニは父親からある指示を受けていた。
『好きに振る舞え。いい女がいたらモノにしろ。ムカつく男がいたら殺していい』
父の真意は分からぬ。しかし父からの指示は絶対だ。平地に乱を起こすべく動く必要があるのだろう。
もっとも指示がなかったとしても同じように行動をしていたことだろうが。
幼き頃の淡い恋心などとうに忘れている。なのに……
ほとんど誰にも心を開かなかった、あのアレクサンドリーネが……
クソ、イラつきが止まらない……
あんな剣も持ってないような平民と変わらぬ下級貴族のくせに……
『アレク』だと……
殺してやる……
カリツォーニの心がどす黒く滲んでいた。
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