エリザベスがフェアウェル村を目指している頃、マリーは村長に相談をしていた。
「村長……村長ほどの方ならば何かご存知なのではないですか? 坊ちゃんを助ける方法を……」
「無茶を言うでない。人間の体のことなど分かるはずがなかろう。だいたいそやつは薬の飲みすぎであろう? ならば自然回復以外に方法などあるまい。まあこの状態で我らの飲み薬に耐えられる器ならば別だがな。」
「やはり、そうでしょうか……しかしいくら坊ちゃんでも今の状態でエルフの飲み薬は……」
「眠っているだけとも言えるのだ。無理矢理栄養を送り込んでもいいのではないか?」
「それは……一体どのようにして?」
「知るわけがあるまい。そやつの好物でも鼻先に置いたら食いつかぬか?」
「好物を……なるほど……さすが村長。ありがとうございます。」
どうやらマリーは何か思いついたらしい。
「コーちゃん、カムイ。私は村の外に出かけて来ます。その間、坊ちゃんをお願いできますか?」
「ピュイピュイ」
「ガウガウ」
コーネリアスはカースの側に付いていてくれるようだが、カムイは違った。マリーの側から離れようとしない。
「カムイ……私を助けてくれるのですか?」
「ガウガウ」
そしてマリーは革鎧などの装備を整えて村の外へと向かった。
「待て。」
「アーダルプレヒトか。何だ? 私は忙しい。」
「どこへ行くつもりだ?」
「知れたこと。蟠桃を捥ぎに行くのだ。」
「バカが。人間風情のために命を賭ける気か? しかもアレは美味いだけで薬でも何でもないのだぞ?」
「そんなことは分かっている。意識のない坊ちゃんに訴えかけるにはアレしかないだろう。」
「お前が帰らなければあの人間の世話をする者はいない。緩やかに飢えて死ぬ。それでもいいのだな?」
「私は必ず帰る。何も問題はない。」
「ガウガウ」
「ふっ、まあ我らにはどちらでもいいことだ。同胞として忠告はした。せいぜい気をつけるがいい。」
「ありがとう……行ってくる。」
「ガウガウ」
マリーは風の魔法を身に纏い飛ぶように大地を駆け抜けた。いくつもの山を飛び、谷を越えまっすぐ東へと向かっている。カムイもそんなマリーの後を苦もなく追従している。
三時間は移動しただろうか。時刻は昼を過ぎた頃だろう。マリーは足を止めた。
「カムイ。あの先に見える山の裾野に数本の木が生えています。その木に蟠桃の実が生っているのですが、問題があります。」
「ガウガウ」
「そこを縄張りにしている魔物がいるのです。それも強い……」
「ガウガウ」
「まともに戦うわけにはいきません。カムイはその速さで奴を翻弄してください。おそらく目以外に傷を付けることは不可能でしょう。」
「ガウガウ」
「そうやって隙ができれば私が強力な一撃を撃ち込みます。当たりさえすれば倒せないまでも時間を稼げます。その時間で蟠桃の実を捥いで逃げます。分かりましたか?」
「ガウガウ」
カムイは首を縦に振るのだった。
そしてマリーとカムイは目の前の谷を越え、緩やかな山の裾野へと降り立った。広々とした裾野には四本ほど大木があり、実がなっている。
そこに立ち塞がる魔物……二本足で直立した一匹の猿だった。魔物にしては小さく、ただの猿にしては大きい。その体長は二メイルないぐらいだろうか。肩を怒らせてマリー達を睨んでいる。
「エンコウ猿の族長です。誰が名付けたのかカカザンと呼ばれています。ここは族長のみが立ち入ることができる餌場だそうです。ではカムイ、手筈通りに。」
「ガウガウ」
駆け出したと思ったら既にカカザンの右足を切り裂くカムイ。百メイルは離れていたのに一瞬だった。
しかしカカザンの右足は毛並みが乱れた程度で傷一つ付いていない。体は大きくても、まだ幼いカムイにとってこれは意外だった。しかしマリーに言われた通り撹乱することに集中する。どうやら奴はカムイの動きが速過ぎて捉えられないのだろうか……
『爆裂風球』
そこにマリーの魔法が着弾する。
まるで嵐を閉じ込めたかのような球体がカカザンに命中する、かと思われた刹那。
奴の手が素早く動きカムイを捕まえて盾にしてしまった。
「ギャゥワン」
「キキッ」
しかしマリーの魔法はカムイとカカザン両方を飲み込み別々の方向へ吹き飛ばす。
カムイには悪いがいきなりチャンスだ、と考えたマリーは遮二無二に実を求めて行動する。
木の上に飛び上がり、慎重にゆっくりと実を捥いでいく。少しの傷でも付けてしまうとすぐに傷んでしまうからだ。
一個、二個……五個! もう十分だ。
「カムイ!」
「ガウガウ!」
見る限りカムイは無事のようだ。撤退を始めるマリーの後ろに付いてきた。そこには当然のようにカカザンも凄い勢いで迫ってくる。
『氷壁』
「キキッ」
分厚い氷で壁を作るも一撃で壊されてしまい、時間稼ぎにすらならない。
あと少し、谷の向こう側にさえ渡れば空を飛べない魔物には追跡ができない。しかし見る見る差を縮められてしまう。彼我の差はもう十メイルもない。もう少しで振り切れるのに……
『風操』『風球』
マリーのとった行動は……
来た時のように風を纏い全力で逃げつつ、手に入れた蟠桃の実を風球に包みカカザンに打ち込むことだった。
その実はカカザンの顔に命中し、瑞々しい果汁を撒き散らす。
こんなものが目の前にあったらもうだめだ、逃げるやつなんかどうでもいい、とばかりに手や顔に付いた汁を舐め回し、付着した果肉を貪り食べる。いくらボスでも所詮は魔物。蟠桃の実の強烈な甘さの前には全てが消し飛んだらしい。マリーの知恵が勝ったのだ。
マリーとカムイは振り返ることなく全力で逃げ続けている。一時間は走っただろうか。ようやくペースを落としカムイの体を確認する。
「折れていますね。そんな体でよく頑張ってくれました。きっと坊ちゃんは助かります。あなたのおかげですよ。」
「ガウガウ」
そう言ってマリーはカムイの手当てを始めた。もう焦ることはない。後は慎重に帰ることが大事なのだ。村に余計な魔物を呼び込まないように周囲を警戒しながら帰路に着くのであった。
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