朝から再び修行が始まった。
まあ例によって私は何もしないのだが。
母上は右手で私の、左手でオディロン兄の首に手を当てている。
マリーの姿は見えない。
馬車で兄上と姉上の送迎だろう。
ぐっ、気持ち悪くなってきた。
しかしオディロン兄にも魔力を注いでるせいか昨日ほどの圧迫感を感じない。
代わりに蛇達が這いずるスピードが上がったように思う。
耐えられる!
吐き気もしない!
軽い船酔い程度だ。
一方オディロン兄は……
「マリー……いないの……?
ううー、うえっ」
苦しそうだ。
それでも立ったままだ。
兄としての意地があるのだろう。
マリーがいないから甘えることもできない。
五歳児にしては十分すごいと思う。
何だこの家族は……
平凡な騎士一家じゃないのか……
父上の兄弟子も何やらすごそうな人って話だし。
午前中はそのまま終わった。
今日は母上が大変だったようで口数が少なかった。
やはり二人同時かつ別々に魔力を流すのは難しいのだろう。
両手で違う楽器を同時に弾くようなものか?
結局マリーは現れず、午後からは姉上が帰ってきた。
午後からの修行も午前同様、我慢できる気持ち悪さだ。
姉上も必死に耐えているようだ。
さて、兄達はどうしてるのだろうか。
後で聞いたら二人でひたすら狼ごっこをしていたらしい。
くっ、羨ましい。
二人ともフラフラになって帰ってきた。
楽しそうだけどそりゃハードだよな。
明日はついにすごい先生が来る日だ。
私には関係ないが楽しみだ。
さあ、今日は先生が来る日だ。
昼前には来て我が家で一緒に食事をする予定らしい。
それまでは昨日のようにオディロン兄と修行だ。
「さあオディロンちゃん、カースちゃん。今日も張り切っていきましょうね。お母さんも頑張るわ。」
「「押忍!」」
今更だが武門での返事、挨拶は押忍が一般的らしい。
古の大騎士、オースティン・ド・ベルジュラックに由来するとか。
何事も会話を簡素化することを好んだ彼は、敬称すら無駄と考えていたらしい。
その結果……
おはようございますオースティン・ド・ベルジュラック卿
⇨おはようございますオースティン卿
⇨おはようっすオース卿
⇨おはっすオース
⇨おはオース
⇨押忍
という説がある。
そこから武門では挨拶に費やす時間を少しでも短縮するためにこの返事が尊ばれているらしい。
本当なのか……?
「さあさあそろそろフェルナンド・モンタギュー先生がいらっしゃいますわ。お着替えしてお迎えしましょうね。
オディロンちゃんは動きやすい格好にしましょうね。」
そこに、マリーがやって来た。
「奥様、先生がいらっしゃいました。応接室にお通ししてお茶をお出してあります。」
「まあ!いらしてくださったのね!マリーはオディロンちゃんを着替えさせてね。
カースちゃんはこちらにいらっしゃい。」
おお、ついに剣鬼とご対面だ。
ドキドキしてきた。
私は着替えなくてもいいのか?
ガチャッ……
母上と一緒に応接室に入る。
「フェルナンド様、お久しぶりでございます。この度はよくいらしてくれました。
主人も大喜びしております。
フェルナンド様ほどの方に指導をしていただけるなんて天上の幸運ですわ。」
「ド・マーティン騎士爵夫人、お懐かしゅう存ずる。あれからもう十年は過ぎただろうか。
少し見ない間にまたお綺麗になられたようだ。」
うおっ、剣鬼って言うぐらいだから野獣のような男を想像していたが、どうしたことだ。
肩まで自然に伸びた白に近い金髪
細く長い足、なのに全体的に華奢に見えない。
そして特筆すべきはその顔、どこの主人公だよ!
イケメンとかいうレベルではない。
美青年というべきだろうか。
強い眼差し、長い睫毛、白くシミ一つない肌……
剣鬼ってより貴公子とか王子様って感じだ。
父上より年上じゃなかったのか?
父上は確か三十三歳だったか……
「まあフェルナンド様こそ御世辞が達者になられたのね。貴方様が剣にしか興味を持たれないことは存じてますのよ?
あれから三年ぐらいしか経っておりませんわ。それにしても水臭いですわ。イザベルとお呼びになって。」
「はっはっは、私も成長したのかも知れませんな。
それで私が指導をするウリエン君はその子かな?」
「まあ御冗談までお上手になられて!
この子は三男のカース、まだ二歳ですわ。
さあカースちゃん、ご挨拶なさい。」
「カース・ド・マーティンです。二歳です。
好きなことは狼ごっこです。」
「うむ、いい挨拶だ。しっかりしたいい子だ! 私が十歳と間違うのも無理はない。
アランの小さい頃そっくりだ。」
冗談でなく本気で間違えてたのか……
もしかして剣にしか興味がないってそういう意味もあるのか……
面白い王子様だ。
父上の小さい頃そっくりってのも怪しくなってきたな。
「さあさあフェルナンド様、ウリエンが帰って来るまで食事にいたしましょう。
本日は私も料理しましたのよ?」
いつの間に?
昨日のうちに下拵えとか済ませてたのか?
「これは楽しみだ。イザベル様の料理の腕はアランから聞いている。
ありがたくご馳走になるとしよう。」
いつの間にかオディロン兄もやって来て挨拶を済ませたようだ。
マリーは後に控えている。
「うむうむ、これは美味しい! 聞きしに勝る腕前! アランが自慢するだけありますな。」
「うふふ、ありがとうございます。ちなみに主人からはフェルナンド様は何を食べても美味しいと言うと聞いておりますわ。」
「アランの奴め、そんなことを言っておりましたか! いやいや、それでもこの料理の数々、感服いたしましたぞ。」
こんな会話が兄上が帰ってくるまで続くのか……
大丈夫なのか……
昼下がりの情事なんて嫌だぞ……
まあ母上の表情はいつも通りだし、先生も剣にしか興味がないって言うし、私が心配することでもないだろう。
「ところで今日の稽古だが、カース君も参加してみないか? きっと楽しいぞ?」
「まあフェルナンド様ったら、カースに剣術はまだ早いですわ。昨日主人にも言ったばかりですわ。」
「なーにイザベル様、今日の稽古、いやこれからしばらくの稽古は剣術ではない。
先程カース君も言っていた狼ごっこをするのですよ。
短くて一週間、長ければ半年間ずっと狼ごっこをするかも知れませんがね。」
「まぁ! それならカースちゃんでも参加できそうですわね。他ならぬフェルナンド様のお考えですもの。きっとウリエンのためにもなるのでしょう。
よろしくお願いいたしますわ。」
「やりたーい! 狼ごっこだいすきー!」
まさか狼ごっことは……
以前二歳参りの日に、狼ごっこは騎士になるための体力作りにいいとか適当ぶっこいたのだが、本当にやるとは。
嬉しい誤算だ。
中身がおっさんなのにどうかとは思うが、好きなものは仕方ない。
おっ、兄上が帰ってきた。
さあ、稽古(狼ごっこ)の開始だ。
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