予想外の遭遇もあったが後は寝るだけだ。
疲れる一日だったな。明日は昼までには帰りたいものだが。
「カース上がったのね。私の部屋に行っておいて。バイオリンを弾いててもいいわよ。」
「お先。いいお湯だったよ。じゃあ行ってるね。」
ふふふ、女の子の部屋に私一人。
下着を漁ってもいいが、アレックスちゃんではな。うちのマリーぐらいの女性でないと。
ここは素直にバイオリンを弾いておこう。
前世で私が好きだったのは、破滅に向かうバンドだ。時に火を吹く激しいバンドなのにバラードも美しいのだ。
その中でも私が好きなのは『未完成』だ。
ハ長調で弾きやすかったりもする。
夢中になって弾いていると、もうアレックスちゃんが風呂から上がってきた。
早すぎないか?
「いい曲ね。使ってる音は明るいのにどこか物悲しいわ。声を殺して叫ぶような胸に迫るものがあるわね。」
「早かったね。音楽に魂を捧げた魔王のような男が作った曲なんだけど、きれいな曲だよね。本当はピアノで弾くといいんだけど。」
「へぇすごいのね。誰の何て曲なの?」
「言えないんだよ。口に出してはいけない名前なんだ。ちなみにテーマは『未完成』らしいよ。」
「もう一回、最初から聴きたいわ。昼間より弓の使い方が上手くなってるし音も外してないわよね。」
こうして寝るまでのしばらくの間、私はバイオリンを弾いていた。
本日が今生での初演奏だったためにもう指の皮がボロボロになってしまった。痛くて仕方ない。
それでも、この爪まで響くような鈍い痛みが前世のギターを彷彿させ心地よい。ギターも弾きたくなってしまった。
誰か作ってくれないものか。アンプにエフェクターも欲しいぞ。
「僕はどこで寝たらいい?」
「カ、カースが言うんだったら同じベッドでもいいんだからね!」
「いやいやそれは困るよ。客室とかあるよね?」
「ご案内いたします。こちらです」
どこから出てきたんだよメイドさん。どうせ近くにいるだろうとは思っていたが。
下着を漁らないでよかった。
「じゃあアレックスちゃんおやすみ。また明日ね。」
「う、うんおやすみ。早く起きなさいよ!」
「起きれたらね。」
メイドさんについて歩くこと二分。
「こちらでございます」
地下牢にでも案内されるのかと思ったら普通の部屋のようだ。
「ありがとうございます。」
私の部屋とはレベルが違う。泊まる客層が違うのだろう。
いい夢が見れそうだ。
「ご報告いたします。昼からお嬢様と二人きりにしておりましたが、不埒な行いをすることはありせんでした。入浴後も一人でお嬢様の部屋にいましたが同様でした」
アレクサンドル家のメイド、サラは当主夫人のアルベルティーヌに何やら報告をしていた。
「そう。彼は一人で何をしていたの?」
「お嬢様のバイオリンを弾いておりました。さすがに上手とは言えませんが」
「クタナツにもバイオリンを弾ける人間がいたのね。誰から習ったのかしら? 魔女が音楽にも精通してるとは聞かないわね。」
「今日が初めてのようです。指を見るにその通りかと。作曲者の名を呼ぶことのできない曲、とやらを弾いておりました。魔王という言葉も出てきました」
「魔王……名を呼べない……まさかあの子は?」
「分かりかねます。しかし彼が弾く曲は私も知らないものばかりでした」
「そう、他に気付いたことはある?」
「風呂には入り慣れているようです。マギトレントの価値も正しく理解したようです。風呂にて何か妙な魔法を使っておりました」
「それはどのような?」
「四角く黒い物体を浮かべたり上に乗ったり、旦那様がお入りになるまでそのようなことをしていました」
「分からないわね。わざわざお風呂でどんな魔法を使っていたのかしら。」
「気配には鈍いようでしたが、突然私が姿を現しても驚いた様子はありませんでした」
「やっぱり分からないわね。分からないことを考えても仕方ないわね。下がっていいわよ。」
「失礼いたします」
アレックスの母親、アルベルティーヌは考える。バイオリンとは初見の人間が弾けるほど簡単なものではない。ましてや曲を奏でるなどと。
あの子には何かある。話だけは娘から飽きるほど聞いているが、改めて実感する。夫はなぜか詳細を話してくれないが、あいつはだめだと言うばかり。
怯えている? まさかね。
娘可愛さで言うわけではないが、彼を逃してはならないと思う。
このクタナツで最後に頼れるのは結局のところ力しかない。騎士長だろうが代官だろうが死ぬ時はあっさり死ぬ。
前任の代官と騎士長は二人揃って無事引退できたが、何十年ぶりのことだろうか。
あの家、マーティン家は家格こそ低いものの戦力はダントツだ。当主のアランは平民出身だが無尽流を修めた実力派騎士、妻のイザベルは王都で名を轟かせた『聖なる魔女』。
長男は近衛学院に合格し、長女も魔法学院への入学が有力視されている。その上『剣鬼』もよく出入りしているらしく敵に回せない家だ。
次男はよく分からないが今回の三男は言葉遣いといいとても九歳とは思えない。また来てくれるだろうか。
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