約束とは何だろうか。
世の中には約束を破ると針を千本ばかり飲まなければならない文化もあると聞く。
そうかと思えば、約束は破るためにあると嘯く者もいるらしい。
私にとって約束とは普通のことだと考えている。
約束したからには守るし、できそうにない約束はしない。
それが普通であり、私は自分が普通であることをどこかで誇らしく思っていた。
私はこんな約束も守れないクソみたいな奴らとは違う、できもしないことを容易く約束する生ゴミどもとは違う。
そう自分に言い聞かせ、思い通りにならない現実から目を背けながら生きていた……
「せんせー しゅくだいわすれた」
「なんだ夢海夜、また宿題忘れたのか。昨日先生と約束したよな? 今日こそきちんとやってくるってな。」
「ちゃんとやったんよー もってくるのわすれたー」
「そうか……分かった。ちゃんとやったのか。えらいぞ。明日はちゃんと持って来ような。今日の分の宿題もあるけどできるか?」
「うんやるー」
私は小学校で教師をしていた。五年生の担任だった。児童数二十五人、その内まともだと思える子は十八人。
このように約束を守らないガキとそのクソ親。このクラスには私が児童、生徒とカウントしていない奴が七匹ほどいた。
先ほどのバカガキ、村噛 夢海夜もそうだ。
毎日同じやり取りをしており、他のまともな児童達はクスクス笑ってるし、そうでないクソガキはこれ幸いと宿題をやってこないか丸写しだ。
こいつは忘れたと申告するだけマシかも知れない。
こんな私だが保護者や児童からの評判は良いようだ。
まともな児童には熱心に教えるし、質問対応だってバッチリだ。またそうでないクソガキは放置しているため、叱らない優しい先生だと勘違いされているようだ。
したがって比較的気楽に教師生活を送ることができていたのだ。
あの時までは……
七匹のクソガキの中でもより低俗なガキ、内筒 騎土が怪我をしたのだ。
こいつの名前は騎士ではない、騎土なのだ。親は何を考えているんだ?
我が校では放課後はない。
終わりの会が終わればすぐ帰ることになっているためだ。
それが何を思ったか騎土達は帰らずにグラウンドのシーソーで遊んでいたらしい。
そしてなぜかシーソーで鼻を折ったようなのだ。
どいつもこいつも保健室で意味不明なことを叫ぶばかりで全く状況は掴めない。
結局私が病院まで連れて行くことになった。担任だから仕方ない……くそっ!
今夜は彼女と約束があったのに。
だが、災難はこれからだった。
騎土の母親が巨体を揺らし、鼻息を散らしてやって来た。ちっ、ブクブクと太りやがって! そのくせ露出多めのキャミソールに近い服装だと? いい歳コイて何考えてやがんだ? 胸だか腹だか分からん体型しやがって。家畜か? そうだな、この母親のあだ名は家畜、つまり『カッチュ』だな。
「なんでないとが!ないとがなんで!鼻が!血がでて!かわいそうだと!思わないんですか!説明しなさいよ!なんで目を!はなしたの…………!!!」
そんな勢いでひたすら何か言っている。何を言っているのか分からない。日本語を喋れよな。家畜語を話されても私には通じないぞ?
そもそも学校が終わった後だぞ?
どうしろってんだ。家畜のガキは家畜か? 日本語通じてないよな。
それでも状況の説明ができない私は、ひたすら謝るしかなかった。
後日、教頭と謝罪に訪問したらシーソーを撤去しろと言われた。
頭が悪すぎるだろ?
シーソーで怪我をしたからシーソーを撤去? そんならコケて怪我したら道路を撤去すんのか? タンスの角に小指をぶつけたらタンスをぶち壊すのか?
まったく……家畜の考えることはさっぱり分からん。
でもまあ私に慰謝料を請求されずに済んで一安心だ。後は教頭がうまくやってくれるだろう。県に掛け合うことを約束していたようだし。がんばれ教頭。
しかし私の受難は終わらない。
県によると、そんな予算はないらしい。よって教頭は私に、ブルーシートでシーソーを覆い隠すよう指示しやがった!
ふざけんな!
仕事を増やすんじゃねえよ!自分でやるか用務員さんに頼め! この学校の用務員さんは勇者並みに頼れる人なんだよ! 長谷部さんを舐めんなよ! くそったれが!
しかもブルーシートを買いに行くところからスタートかよ! なんで私がそこまでやらないといけないんだ!? 後でブルーシート代くれるんだろうな!?
結局この作業に夜の七時までかかってしまった。シートをかけるだけでは不十分で、シーソーを使用できないようブロックで固定してロープでぐるぐる巻きにする必要まであったためだ。私って変なところで真面目なんだよなぁ……
それにしても、普段からシーソーで楽しく遊んでいる児童達のことを考えるとやるせないな……昼休みのたびにぎっこんばったんと楽しく使用していただろうに。
そう言えばテコの話をシーソーを使って説明したりもしたものだが。理科の授業でグラウンドに出ると子供達のテンションってめっちゃ上がるんだよな。
それがあんなモンスター家畜のために使えなくなるとは……これも時代の移り変わりなのだろうか。はぁ……
そして一週間後、ブルーシートに覆われたシーソーを見たのだろうクソガキ騎土は……
「なんでぼくにひどいことするの?」
そう私に言ってきた。
私は最早理解ができず、返事もできなかった。一体何を考えているんだ……なぜそうなる……
翌日、騎土は学校に来ず、代わりに母親、いやカッチュこと家畜がやって来た。あだ名はカッチョ。私がさっき決めた。
カッチョが言うには……何でもシーソーが撤去されてないことが自分に対する攻撃だと認識しているらしい……
攻撃? やはり理解できない……
そして、撤去されるまで学校には来ないらしい。どこまでも世話を焼かせるガキだ。
不登校なのは構わない、だがそのケアは意外に面倒なのだ。
しばらくの間、家庭訪問のため残業が確定した瞬間だった。ふざけるな! 毎日訪問だと!?
プリント、クラスのみんなの手紙、授業の説明。嫌になる面倒さだ。クラスのみんなだって手紙を書くのを面倒くさがっている。誰が好き好んであんな奴を学校に来させるために手紙なんか書きたがるってんだ……
毎日放課後に訪問してはカッチュや騎土と中身のない会話をする。その上勉強も見ないといけないのだな、当然騎土に小5レベルの内容が理解できているはずもない。九九を地道にやり直しているだけだ。勘弁して欲しいものだ……
ちなみに割り算はできない。九九でさえ精一杯だというのに……置いて帰った宿題に手をつけることもなく、学校にも行かず一日中ゲームばかりして過ごす日々。それに文句も言わず成績を上げろとしか言わない母親……
終わってるよ……
はあ……田舎の小学校は早く帰れることが取り柄だったはずなのに……
そんな地獄が半年も続いたある夜。
私はいつも通り家畜の家を訪れた後、無性に峠道を走ってみたくなったので回り道をしてみた。
トンネルを通れば一分なのに、わざわざ三十分もかかるルートを通ってみた。
結論から言えば私は死んだのだろう……
たいして車の運転が上手いわけでもない、普段から通り慣れているわけでもない、見通しがよいわけでもないし、路面の状態がよいわけでもない。そんな夜の峠道だもんなぁ……
そんな道を感情の赴くままに走ったらそりゃあ事故るよな……
雨上がりでスリップもした。コントロールを失った車が突っ込んだ先にはガードレールは無く、その下が崖とは……これがいわゆる不運の役満ってやつなのだろうか。
スリップした瞬間は覚えているが、落ちる瞬間は覚えていない……
朦朧とした意識の中で気になったのは、彼女との結婚の約束が守れなくなることへの不安だった。
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