「バイオリン練習曲『タランテーラ』よ。じゃあ弾くから……」
うおっ、なんという滑らかな指遣い……細い指が指板の上で踊っている……
それでいて音の粒が揃っている……基礎的な修練を怠っていない証拠だ……
うう、指と音が加速していく……音圧が室内を埋め尽くし、私を酔わせる……すごい……
圧巻だった……
演奏時間は長かったのに、一瞬で終わったように感じる。アレックスちゃんのバイオリン演奏は上手かった、かなり……
私の耳など当てにはならないが前世で聞いたバイオリン曲との違いが分からない。
もちろん曲そのものは初耳だが、音色や技巧に違いを感じない。かなりの高レベルだと感じた。
むしろバイオリンそのものはこちらの方が品質が上なのか?
私は何も言えないでいる。
すごすぎて言葉が出てこないのだ。
アレックスちゃんは心配そうに聞いてくる。
「そ、その、どうだった?」
「う、うん、どう言っていいか分からないけど凄かったよ。まさかこんなに上手だと思わなかった。今まで気付かなかったけど、かなり練習してるよね? その指。」
「み、見ないでよ。ボロボロなんだから!」
「そう? すごく綺麗だと思うよ? その感じだと指が血だらけになっても練習し続けたんだよね? そうやって作り上げた指ってバイオリン並に芸術品だと思うよ。」
「カースのくせに……ありがと……」
それから私達は色んな話をした。
領都での生活、クタナツに来てから、初登校。
バイオリンとの出会い、厳しい教師、伸び悩み。
クタナツで楽器を嗜む人間などいないから誰にも話してなかったようだ。
また、私達と友達にはなったが、誰も遊びに来てくれないことも気にしていたらしい。
それでもみんなで遊ぶことがとても楽しかったとか、それは私もだ。
「少しバイオリン弾いてみていい?」
「うん、誰にも触らせてはいけないって言われているけどカースは特別なんだから!」
「ありがとう。じゃあ慎重に……」
私はギターを弾くようにバイオリンを構える。ピックがあればいいのに。
ギターとバイオリンでは押さえる位置が近かったりする。ギターなら弾けるのだ。
そこでドレミの曲を弾いてみた。音は外すし隣の弦まで弾いてしまうし散々だ。
「変な弾き方する癖に基本ができてそうな動きね。初めてじゃないの?」
「いやーリュートのつもりで弾いてみたんだよ。やっぱり弓の扱いは難しいね。」
「リュートですって? 最近王都の貴族間で流行り始めてるらしいじゃない? そのウエストコートと言いカースは流行に敏感なのね。」
「え? ウエストコートってまだ王都で流行ってるの? これを貰ったのは数年前だよ? 兄上からのお土産を無理矢理サイズ直ししつつ着てるんだよね。カッコよくて気に入ってるからさ。」
「流行ってるどころか加熱してるらしいわよ。腕のいい職人は取り合いらしいし。」
「へぇーすごいんだね。ところでピアノはどう? かなり高いって聞いたけど。」
「話が飛ぶわね。ピアノは高いわよ。父上の本家にはあるらしいわ。ちなみに私のバイオリンは安物よ。でもピアノには安物なんてないわね。」
「へえー、それにしても普段学校で話さないような話題を二人だけで話すのも青春だよね。」
「そう、ね……」
そこにノックの音が聞こえる。
「失礼いたします。夕食の用意が整いました。カース様にはマーティン夫人より着替えを頂いて参りました。」
もう夕方? 楽しい時間は本当にあっという間だ。
そして着替えか。泊まることがないからすっかり忘れていた。まあオディ兄直伝の洗濯魔法と乾燥魔法があるから風呂に入っている間に自分で洗うこともできるんだよな。
それにしても、こんなに長居していいのか?
「ようこそ我が家へ。アレクサンドリーネの母親、アルベルティーヌです。カース君の話は何度も聞いてますのよ。」
何だこの格下感は……彼女は私の前でも平気で服を着替えたりトイレに行ったりできるだろう。
ペットの視線を気にする飼い主がいないように。そんな感覚に襲われる……
これが本当の上級貴族なのか……
「お初にお目にかかります。アラン・ド・マーティンが三男、カースと申します。ご挨拶が遅れたこと心よりお詫び申し上げます。」
無理だ、育ちの悪いガキのふりなんかできない。この母親の前では全力で礼儀に気を遣ったところで大差ないだろうが。
気軽に『アルベールちゃん』なんて絶対呼べない……
みんながアレックスちゃんを普通は名前で呼べないと言っていたのがようやく理解できた気がする……
「まあ、ご立派なご挨拶ね。アレクサンドリーネにも見習わせないと。」
「とんでもございません。お嬢様はいつも私達の手本となり導いてくださります。」
「カース?」
「そう、それは重畳ね。それよりその話し方は何とかならないのかしら?」
うっ、だめか……
やはり最上級貴族からすると私など礼儀知らずの山猿か……
「辺境育ちの不調法者にて……ご不快な思いをさせた由、なればこれにて失礼させていただきましょう。」
「そんな! カース!? 母上!」
「ごめんなさいね。言い方が悪かったわ。普段通りに話して欲しいだけよ。貴方のことは何度も聞いているって言ったわね? もう耳にアザができそうなのよ? ふふっ……」
普段通りだと? これはファンタジーあるあるだ!
王様とかにタメ口で話して、周りが激昂する中で王様だけがその威勢を褒めるアレだ!
この場合はどっちが正解なんだ!?
くそ、分からん!
もうどうでもいいや。
「それは失礼しました。おば様の威光に飲み込まれてしまいまして。騎士の小倅には荷が勝ち過ぎるってものです。」
「まだ固いわね。まあ初対面だし良しとしましょう。で、どうするの? うちに婿に来る? それとも嫁に貰っていく?」
「ははは母上!? そそその話は!?」
いきなり何言ってんだ? 付き合う気すらないってのに。たぶん。
「話がよく分かりません。私には既に心に決めた女性が……いる訳ではありませんから一考の余地ぐらいあるかも知れませんが。」
「そんな! カース、心に決めた女性……」
「本当にアレクサンドリーネのことをよく分かっているのね。女の子をからかうなんて悪い子。この子ったら話を聞かないことがよくあるのよ。」
「いえ、おば様が意地悪をなされたものでつい。」
「姉上はお前なんかに渡さないからな!」
おっ、弟君か。かわいいな。キアラより年上だな。お姉ちゃんが大好きなんだろうな。
「初めまして。お姉ちゃんのただの友達、カースだよ。名前を聞いていいかな?」
「ふん! アルベリックだ! 魔法だって使えるんだからな!」
「すごい! どんなのを使えるの! すごいね! 何歳?」
「七歳だ! 火球だって使えるんだからな!」
「てことは二年生? すごいね! 頑張ってるんだね! えらい!」
たった二つ下だったのか。それにしてはえらくかわいく感じてしまう。
そうか、今まで後輩と交流することがなかったからか。小さい頃は近所の子達と年齢問わず遊んでいたけど、いつのまにか遊ばなくなったもんな。
褒められて満更でもなさそうなところもかわいいぞ。
「さあさあお夕食にしますよ。お祈りをしましょう。」
夕食はさらに豪勢だった。
私が気に入ったのはバジリスクの軟骨をクイーンオークの油脂で揚げたものだ。バジリスク一匹から少ししか取れないらしい。嗚呼ビールが飲みたいなぁ……
夕食の席ではアレックスちゃんの口数が少なかった。照れてるのかな。全く、可愛いやつめ。
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