静けき衡士

ファーバンシー大陸英雄大系
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第三話 叙勲

公開日時: 2020年10月5日(月) 10:52
文字数:13,470

 ファーバンシー公国歴〇九七年 王妃の月


 フィデス市


 あの惨劇から三年の月日が過ぎた。

 今日は叙勲式があり、リセルは晴れて衡士こうしとなる。衡士見習いから僅か二年で衡士に叙勲されるというのは異例のできごとであったが、本部の誰もがリセルの実力を認めていた。今日からファーバンシー公国衡士師団の衡士として、正式に登録される。

「ソニアさん!遅れますよ!」

 リセルはソニアの自室の前で叫んだ。真新しい衡士の制服を身につけると誇らしい気分になったが、叙勲式に同席するはずのソニアが一向に部屋から出てこないせいで、新鮮な気分もぶち壊しになってしまっていた。

「判った!判ったから大きな声出さないで!」

 そう言いながらソニアは自室のドアを開けた。出てきたソニアの顔色は最悪だった。

「また遅くまでお酒呑んでたんですか!」

 今日は叙勲式があるから、控えめに、と昨晩口うるさく言っておいたというのに。

「あぁぁぁ……。大きな声出さないで……」

 誰がどう見ても二日酔いの顔をしている。ソニアは額を押さえ、呻くように言った。

「お酒臭いですよ、ソニアさん……」

「だって可愛い可愛い後輩が異例の速さで正式に衡士になるんだから、こんな嬉しいことはないでしょう。だからつい、ね」

「ね、じゃありませんよ……」

 全く、とリセルは腰に手を当てて呆れ顔を作った。いざ仕事となるとソニアは立派な衡士ぶりを発揮し、男女問わず憧れの的となっているが、規律は守らない、私生活は不規則で、衡士見習いであったにも関わらず、リセルは幾度となく先輩であるソニアに説教をしたものだった。

「うー、具合悪い……」

「叙勲式終わるまで我慢してくださいね」

 生憎二日酔いを治せる神聖魔導はない。それに二日酔いというのは自業自得なのだから、もしも直せる神聖魔導があったとしても、リセルはその奇跡を行使するつもりなど全くなかった。リセルは無慈悲にそう言うとソニアの腕を引っ張った。




 フィデス市役所内にある大広間でファーバンシー公国衡士師団、衡士叙勲式は行われていた。元々はフィデス王国国王の謁見の間であったところだ。

 フィデス市は六王国時代から武力と学力、そして文化を重んじる国であり、王権政治時代であったにもかかわらず、世襲制をいち早く廃止した国でもあった。

 フィデス王国最後の王、『剣皇、グランツ・ガレッド』は六王国の王たちの中でも指揮力に長け、反乱を起こしたアレイジア王国を討伐する際に組織された五王国連合軍の指揮を取ったといわれる人物である。ナイトクォリー王国国王『旋風の騎士、ソアラ・スクエラ』と並んで現在でも賞される英雄王の一人だ。

 他にも『炎剣の騎士ナイトオブフェニックス、スレイ・ジード』

 『雷光の騎士ナイトオブライトニング、カイン・レファード』

 『影斬りシャドウスラッシュ、フュー・リズン』

 『白虎の騎士ナイトオブアンガー、ティグ・レーバント』

 『剣破斬ソードブレイカー、ガウェイン・ゾルディム』

 など、そうそうたる時の英雄たちがグランツ王の指揮に従ったと言われている。

 そして第二次ファーバンシー六王国大戦終結後、グランツ王がこのファーバンシー公国衡士師団設立の案を持ちかけ、他五王国の首脳陣たちがそれに賛成をしたという。ファーバンシー公国衡士師団の本部がフィデス市に置かれているのはそういった経緯がある。毎年行われる叙勲式では衡士とは別の、公国衡士師団を総括するファーバンシー公国国営局の役員たちも出席をすることになっている。公国衡士師団総司令や副指令は公国衡士師団の最頂点に位置する者たちであるが、衡士の出ではなく、国営局から選抜される。主に身体を使う衡士をまとめるのは頭を使う者でなくてはならないのだ。

「リセル・セルウィード。本日を持って、ファーバンシー公国衡士師団の衡士に任命する。ファーバンシー公国のこれからを守るため、貴公の活躍、期待している」

「はい!」

 ファーバンシー公国全土の衡士の頂点にいる、第八代ファーバンシー公国衡士師団長、コッド・スナイプスが公国衡士師団の紋章をリセルに手渡した。リセルはコッドの声に答え、その紋章を受け取る。

 公国衡士師団の制服の背につけるものだ。翼と杖と若葉をイメージしたものであり、翼は力、杖は秩序、若葉は平和を意味するものとなっている。これを背につけた時、リセルは本当に衡士になれるのだ。

 その後、数名の衡士見習いがリセルと同じように叙勲され、叙勲式はつつがなく終了した。




「さてリセル!呑み行こっか!」

 衡士見習いから衡士に上がったと同時に、宿舎はフィデス市役所内にある衡士宿舎に移ることになる。リセルは先輩、後輩たちに手伝ってもらい、荷物を移動させ、一息ついたところだったのだが、突然ソニアが顔を出した。

「ソニアさん……。二日酔いであれだけ苦しんでたのに……」

 すでに夕刻時とはいえ、ソニアの元気さにリセルは呆れた。リセルはクレアファリスの信者ではあるが、神官ではない。クレアファリスの神官は酒を嗜む時を決められているが、単なる信者である者にはそこまでの厳しい戒律は当て嵌められない。そもそも神官であったならば、衡士として剣を持つことなどできはしないのだ。世界の神々の中でも、生活用品以外の刃物を持つことを許されるのは、聖なる戦と宣誓された時にのみ、神の祝福を受けた剣の帯剣を許される『戦神スランヴェルン』と破壊の後の再生こそが新生、自然の摂理だと説く『暗黒の神レーヴェ』のみである。

 神々の教えにより、そうした戒律があるからこそ、リセルは幼少の頃から慣れ親しんできたクレアファリスの神官にはならずに、衡士になる道を選んで良かった、と思っていた。

「なに、二日酔いなんか夕方になりゃ吹き飛ぶってもんよ!吹き飛ばなくたって向かえ酒よ!」

 リセルの部屋へ入り、ソニアは声も高らかにそんなことを言った。

「やっぱり女神の調べ亭ですか?」

「そうね、可愛い可愛い後輩のお祝いに、心を込めて一曲プレゼントするわ!」

「それは大変いいことだけど、あんまり呑みすぎないようにねぇ、ソニア副隊長殿」

 そこへ、もう一人女性が入ってきた。フィーアだ。ソニアはフィーアの顔を見るなりばつの悪そうな表情をした。

「フィ、フィーアさん……」

「あ、フィーア隊長」

「おめでとう、リセル。たった二年で衡士になれちゃうなんてさすがね。ソニアだって三年かかったのに」

 フィーアはそう言って笑った。

「三年でなれれば早い方ですぅ!」

 リセルが優秀すぎるのよ、と嘯くようにソニアは言う。

「ま、あたしの見る目があったってことね」

 自己満足すようにフィーアは言う。

「いやいや、あたしの教育が良かったんですよ!」

「どっちが教育されてたんだか……」

「う……」

 まともに言葉を詰まらせたソニアを見てリセルは思わず噴き出した。

「今日のお祝いはね、ソニアの思いつきだけじゃないのよ。あたしも同じこと考えてたし、今日は叙勲式だから『屠竜とりゅう』も来てるし、みんなで騒ごうってことなのよね」

 フィーアは言ってソニアの肩に手をおいた。

「屠竜!屠竜って……旦那さんのツヴェルフさんですか?」

 フィーアの口から出た名前を聞いて、リセルは目を丸くした。

 『屠竜』といえば、傭兵の『神威しんい』と並んでファーバンシー最強と謳われ、常に傭兵や衡士の間ではどちらが強いのかなどと噂されている。しかも竜伐ドラゴンスレイヤーの称号までもっている衡士であり、フィーアの夫であることは有名すぎるほど有名だが、こうして自分が直に見える機会があるとは思ってもみなかった。

 しかし年に一度の叙勲式には、各常駐部隊の部隊長及び、副隊長は出席することになっているのだから、ナイトクォリー市常駐部隊長であるツヴェルフが本部に訪れるということは当然といえば当然のことなのであろう。

「そうよ。だからさっさと支度しなさいよ、リセル」

 もとよりソニアに誘われた時点で、今日は断るつりもなかったのだが、屠竜との邂逅の機会があるのならば、喜んで誘いを受けようという気になる。

「判りました。じゃあありがたくそのお誘い、受けることにします。ただ……」

「よっしゃ!呑むぞー!」

 リセルの言葉を遮ってソニアがはしゃぐ。ソニアは知っていることなのだが、リセルはフィーアとは杯を酌み交わしたことがないので、言おうと思っていたことがあるのだ。

「じゃ、また後でね。いい頃合になったら声かけるわ」

 フィーアはそれだけ言うとリセルの部屋から出て行った。

「はい」

 結局言えず終いだったが、その時になってからでも遅くはないだろうと思い、リセルはソニアに向き直る。

「ソニアさん」

「え?」

「今日は本っ当に控えてくださいね!」

 ずい、とソニアに詰め寄ってリセルは言う。

「え?あ、あぁうん、判ったわよ……」

 目をそらしてソニアは曖昧な返事を返した。

「ちゃんと私の目を見て、言ってください」

「判ったわよ!今日はハメを外さないって誓うわ!」

 観念したのか、ソニアは半ば自棄になってそうリセルに誓った。




 フィデス本市から少し離れたところに、郊外の村、リーンがある。『女神の調べ亭』はそこにあった。

 リセルがソニアと共に到着した頃には既にフィーアとツヴェルフ、そして衡士師団長であるコッド・スナイプス、そして初めて顔を見る男がいた。

「あ、きたわね、リセル、ソニア」

「あら、イレブンじゃないの」

 ソニアはリセルの知らない男にそう言った。

「よ、ソニア、久しぶりだ」

「イレブン、さん?」

「おうおう、この見るからに頭の悪そうなのが、天下の『神威』ってやつだ」

 ツヴェルフがそう言ってイレブンの肩を叩いた。

「そういうこと言うなよツヴェルフ。おれがばかみたいじゃねぇか」

「ばかじゃん」

 イレブンの言葉に間髪いれずに返すツヴェルフ。どうやら屠竜のツヴェルフと神威のイレブンは顔見知りで、しかも随分と深い仲らしい。そしてついついソニアの顔色を伺ってしまう。

 もう六年、七年前のこととはいえ、本当に吹っ切っているのだろうか。

「お互いな」

「ま、否定はしねぇけど」

 は、とイレブンは笑って席を立った。

「今日衡士になったって?イレブンだ。まぁ商売柄敵対することも、もしかしたらあるかも知れないけどな、よろしく」

 イレブンは笑顔になってリセルに手を差し出した。その手を見た瞬間、今思い返さなくても良い記憶がよぎってしまった。

「傭兵が……。何故……」

「ちょっとリセル、こんな時に何考えてるの?別にイレブンが悪さした訳じゃないんだから、捕まえることなんてできないわよ」

「……でもソニアさん」

 傭兵というのは金次第で汚れた、違法である仕事も平気でやる。あの事件以来傭兵も嫌悪してきたリセルは素直にソニアの言うことに頷くことができなかった。

「あー、なんかやばいかな。んじゃ別んとこで呑み直すわ」

「イレブン」

 頭をかきながら席を立ったイレブンにツヴェルフがなんとも言えない表情でイレブンの名を呼んだ。

「あ、も、申し訳ありませんイレブンさん。私どうかしてました。是非ご一緒してください」

 イレブンの、言ってしまえば腰の低い態度にリセルは我に返った。気まずい雰囲気を作ってしまって、リセルはすぐさまイレブンに謝罪した。ツヴェルフだけでなく、コッドやフィーア、ソニアにも迷惑をかけてしまう。折角祝賀の場を作ってくれたというのに、これでは申し訳が立たない。それにソニアの言う通り、イレブンは犯罪者ではない。イレブンの『神威』という字は悪名ではないのだ。傭兵全てがあの事件のに関わっていたような悪人ではないことはリセルも判っていたのだ。

 あの隊商を、リセルたちを護衛して命を落としたのもまた傭兵だったのだから。

 そして一度でもソニアが好きになった人物であれば、それを疑うことはソニアをも認めないことと同じになってしまう。それにイレブン本人も、元々知り合いであったソニアやツヴェルフ、フィーア、コッドの新しい後輩を祝うために態々駆けつけてくれたのだ。

 なんという恥知らずな態度を取ってしまったのだろうか、とリセルは後悔し、イレブンに深く頭を下げた。

「いやいや、頭なんか下げないでくれよ。敬われる商売じゃないことは百も承知さ。主役がそう言ってくれるんだったら、おれもありがたいしさ」

 イレブンは崩れた衡士の礼を、おどけてリセルに見せた。気さくな人なのだろう。リセルのような若輩者に失礼な態度を取られても笑顔でそれを許してくれるというのは。中々できることではない。

「折角だからトレスも連れてくればよかったのに」

 再び腰を下ろしたイレブンにフィーアが言う。

「あぁ、かれこれ二年は帰ってねぇからなぁ」

「二年!あんたばかじゃないの?」

「もう愛想つかされてるんじゃないの?」

 イレブンの間延びした声に、フィーアとソニアが口々に言う。ソニアの表情を見る限り、本当に今はイレブンのことをなんとも思ってはいないのかもしれない、とリセルは安堵した。

「だからばかだって言ったろ」

「……」

 閉口したイレブンを見て楽しそうにツヴェルフが笑う。後から聞いたことだが、トレスというのはイレブンの妻のことらしい。フィーア、ツヴェルフとは長い付き合いなのだそうだ。

 そうこうしているうちに、飲み物が運ばれてきた。各々の手元にグラスが回ると、ツヴェルフが立ち上がった。

「さて、じゃあ乾杯の音頭はコッド師団長殿にやってもらうかな」

「わしか?まぁ別に構わんが……」

 コッド・スナイプス衡士団長は髭面のいかにも貫禄ある初老にも届きそうなほどの厳つい顔立ちをしているが、性格はとても温厚で、リセルも直々に何度か声をかけられたことがあった。

「手短に頼むわよ、コッド殿」

 ツヴェルフとフィーアがそう言うと、コッドが立ち上がった。

 コッドはイレブンは勿論ツヴェルフやフィーアよりも随分と年配に見えるが、昔からの付き合いなのだろうか。その口調は親しげで上官と部下という関係ではないように思える。

「あー、わしもそろそろ引退が近付いてきたが、引退前にリセルのような有望な衡士が入ってきてくれて非常に嬉しいと思う」

「なげぇ」

 ぶす、っとイレブンが呟いた。

「もうか!だいたいお前が戻れば衡士師団だってずいぶんと楽になるっていうのに、いつもいつもワシを無視しよって!」

 まだ一言しか話していないというのに早速ぼやいたイレブンにコッドは食いかかる。お互い冗談でやっているということがすぐに判る。それにしても『戻る』とは一体どういうことなのだろうか、とリセルは訝しげにイレブンを見た。

「だめだめ、こんなのが戻ったら規律が乱れるだけですよ、師団長」

 ソニアが手をひらひらと振って笑う。ソニアに規律云々を言う資格があるとは到底思えなかったが、リセルはとりあえず黙ってことの成り行きを見守った。

「ちげぇねぇ」

 ツヴェルフがそれに同意した。いくら犯罪者ではないとはいえ、傭兵と衡士とは敵同士になることもある。それなのにこのメンバーが醸し出す和やかな雰囲気はどういうことなのだろう、とリセルは今更ながら首をかしげた。

「ま、もうちっと衡士の質が上がったら考えてやるよ、コッド」

「そういえば聞いたぞ、イレブン。お前、三代目の時からまだ正式に除隊してないそうじゃないか」

 三代目、とは何のことだろうか。話の流れから察するに、イレブンが元衡士だったというのは何となく理解できる。しかしコッドの言う三代目、という言葉が理解できない。

「あぁ、まぁそうなんだけどさ……。随分と懐かしいな。あの頃までは衡士でも強ぇ連中がうじゃうじゃいたからさ。訓練だけでも退屈しなかったな」

「今の衡士は駄目、ということですか?」

 リセルは判らないながらも、なるべく棘のない言い方でイレブンに問うた。イレブンは今の衡士では駄目だと言っているのだ。今日衡士になったばかりのリセルにとっては聞き捨てならないことだった。

「や、そうは言わねぇよ。ただ、あの頃の衡士は大戦で活躍した連中の子供やらなにやら、血筋がいいのがまだ揃ってた。あの頃の英雄と同じくらいの衡士は実際今は少ないぜ」

 いや、聞いたことがあった。『神威』は森の妖精エルフ、もしくは有翼人種フェザーであり、長寿なのだと。とすると、三代目というのは第三代公国衡士師団長のことなのだろうか。それにしてもイレブンはエルフ特有の尖った耳をしていないし、フェザー特有の翼も持っていない。謎は深まるばかりだ。

「結局同じことなのでは……?」

「……まぁそう思いたきゃ思ってりゃいいさ。今の自分を信じられないなら尚更、な」

 イレブンの目つきはそれまでの呑気なものではなく、真剣なものに変わっていた。深い、戦慄すら覚えるその瞳にリセルの自尊心は吸い込まれそうになる。

(これが、神威……)

「そ、それは……」

 イレブンの格に完全に飲まれた。戦わなくても判ってしまうほど、自分とイレブンの実力には差がある。思わず口ごもってしまったことで完全に負けを認めたようなものだった。

 確かにリセルは戦争を知らずに生きてきたが、どん底は知っている。イレブンはそのことだけを見抜いた上で、リセルにそう言っているのかもしれなかった。

「おれだって衡士になるのが甘いもんじゃないことくらいは良く知ってるよ。たださ、心も体も強い人間ってのが今は少ないんだ。戦争がなくなったこの微温湯状態の中で、心身ともに強い戦士ってぇのはこのご時世じゃよっぽどの事情がなけりゃ育たねぇもんさ。何もリセルが弱いって言ってるんじゃないことくらいは判るよな?」

 言いたいことはそれだけ、と言わんばかりにイレブンは懐から煙草を取り出し、背もたれに背を預けた。

「私は、弱くないですか」

 イレブンとの格の差を見せ付けられたばかりで、自分が強いなどと納得することはできない。ただ単に物理的な強さだけを指摘しているのではないであろうことは何となく判るが、納得はできない。

「はー、いけねぇいけねぇ。年を取るとどうも説教臭くなっちゃうなー。すまんリセル、忘れてくれ。それよりも今日はリセルの衡士叙勲祝いなんだろ、楽しくやろうぜ」

 全く年を取っているようには見えないイレブンがそうぼやく。イレブンの一言でリセルは遅まきながら気付いた。

「イレブンさん……」

「イレブンでいいよ」

 今度はなんだ?とばかりに疑問のまなざしを向けてくるイレブンにリセルは続ける。

「ではイレブン。貴方は先ほど、コッド師団長が三代目の時から正式に除隊していない、と言ったときに頷きました」

「あぁ」

「三代目師団長、セヴァーツ・カティスが活躍した時代は公国歴二二年から三〇年。これは一体どういうことなんですか?」

 エルフやフェザーという亜人類は寿命がないと聞く。リセルがまだセイローの村にいた頃にエルフは二回ほど見たことがあったが、エルフは僅かに耳が尖っている種族だ。フェザーという種族はリセルは見たことがなかったが、背に二対の翼を持つ亜人類であることは知っている。そして今、イレブンの背に翼はない。

 となれば、どういうことなのだろうか。

「おれは呪われてるんだよ」

 端的にイレブンは答えた。

「呪われて……」

「あぁ、禁呪の中に『制約ギアス』って魔導があるのを知ってるか?」

「……はい。聞いたことだけは」

 禁呪というのは古代語魔導の最上位に位置する『魔神言語』という特殊な魔導言語を媒体とする禁制古代語魔導の略称だ。リセルは古代語魔導の知識はそれほど持ち合わせてはいなかった。

「おれとトレスは六王国時代にその制約の魔導をかけられちまったんだよ」

「どんな制約が……」

「時の流れに準じられない、『生きる』という制約の魔導さ。ま、死のうと思えばいつでも死ねるけどな。自殺以外の手段なら。不老ってだけで不死じゃない」

 制約の魔導というのは最も魔導が発達した魔導帝国エールスの時代に生まれた魔導だと本で読んだことがあった。その制約を破ろうとするものには、耐え難い苦痛が与えられる、という。

「クソの役にも立たねぇ魔導さ。だからこそおれはそれを呪い、って言ってるんだけどな」

「しかし永遠の命を欲しがる輩はいくらでもいるぞ」

 コッドがそう言ってイレブンの肩を叩く。どうやらコッドはこのことを知っていたようだった。もしかするとイレブンの実年齢はコッドよりもずっと上なのかもしれない。そう考えれば先ほどのやり取りも納得ができた。

「くれてやれるもんならとっくにくれてやってるさ」

「今じゃ禁呪なんて扱える魔導師はごく僅かだし、制約ほど高度な魔導ともなると使い手はいないでしょうし」

 そう補足してくれたフィーアはかなり高度な魔道を使用できると聞いたことはあった。しかし、禁制魔道を行使できるほどではないということだろう。

「なるほど……」

「ま、おれも大戦時は五王国連合にいたし、公国が発足しても魔族の残党だの反公国派だので色々大変だったからさ。ちぃとばかり力を貸しただけのことさ。あの頃に比べりゃ魔族も大人しいし、大した反乱も起こらない今じゃのんびり暮らすのが性に合ってる。ま、おれも腑抜けたってことさ」

 軽く笑いながらそう言うイレブンの瞳の中に、微かな憂いを感じる。

「ちぃとばかりなんてのは謙遜だな、影閃黒衡衆えいせんこっこうしゅう

「黒衡!」

 コッドの言葉にリセルは頓狂な声を上げた。

 黒衡というのはコッドが述べた影閃黒衡衆という特殊部隊に所属する衡士の俗称だ。ファーバンシー公国衡士師団には特殊部隊が存在する。一つは形式上だけではあるが、六都市に駐在する部隊の隊長のみを集めた『六鉾白衡衆ろくぼうはっこうしゅう』、その下に付くのが、イレブンも籍を置いている『影閃黒衡衆』、それと肩を並べる二つの部隊、『月華蒼衡衆げっかそうこうしゅう』と『雪華紅衡衆せっかこうこうしゅう』、そして現役を引退した衡士が後進の指南のために籍を残す『六合紫衡衆りくごうしこうしゅう』だ。どの部隊も戦闘力に特化した部隊であり、性格的に問題のある者もいると言われている。また、六鉾白衡衆以外はフィデス市本部部隊に籍を置くだけで、行動にはほぼ制限がない。影閃黒衡衆、月華蒼衡衆、雪華紅衡衆の三つの特殊部隊は相当な修練を積んだ者でなければ選抜されず、どの部隊もファーバンシー公国衡士師団設立から百年が過ぎようとしているのに、二十人を超えたことがない。

「お前の籍はまだ残っておるぞ」

「そう言えばそうね、相方は確かリュリュだったかしら」

 聞いたことがある。特殊部隊に選抜された女性衡士はことのほか多い。絶対数はやはり男性衡士の方が多かったが、比率で考えると、特殊部隊以外の、一般衡士の女性衡士の割合よりは、特殊部隊における女性衡士の割合の方が高い。

「あー、あいつも立派になったもんだ。相棒なんて動きが窮屈になるだけだから衡士師団には戻ってこなくていい、ってこないだ言われたよ」

「リュリュ・エヴェリーン、ですか」

「あぁ、知ってんのか?」

「いえ、面識はないですが特殊部隊に所属する女性衡士はつい気になって……」

 リュリュ・エヴェリーンはリセルより三歳ほど上だ。ソニアやフィーアよりも若くして特殊部隊に選抜されたのは、剣技はもちろん、古代語魔導アビリティランゲージを使いこなす魔導衡士でもあったからだ。

 剣と魔導を使う者は、どちらも中途半端で大成しないことが多い。戦士も魔導師も、己の力の開発には余念がないからだ。しかし、ごく稀にそのどちらの素養も持って生まれる者がいる。そしてその才能に恵まれた殆どの者達はどちらの能力を伸ばして良いか判らなくなってしまうか、驕りたかぶりどちらの鍛錬もしないままかで大成することが少ないのだ。リセルは神聖魔導ホーリーランゲージを行使できるが、それほど高位の神聖魔導を扱うことはできない。神官になることを諦めた時、衡士になることを選んだ時、リセルは神官になる道を断った。

「なるほどなぁ。……なぁリセル」

「はい」

 イレブンは苦笑を浮かべて言う。

「今日はお前さんの祝賀会だ。こんな辛気臭ぇ話やめて、楽しく呑もう」

 テーブルの上のワインボトルを一本もつと、イレブンはそれをリセルに差し出した。

「あ、いや、私は……」

「一杯くらい呑みなさいよ。天下の神威が注いでくれるってんだから」

 どう断ろうか、と迷ったところにフィーアの声がかかる。そういう訳ではないのだ。しかしつい持ってしまったカップの中はもうワインで満たされてしまっている。

「あーフィーアさん、リセルってば下戸なのよ。もうてんで弱いの」

「ほぉ、そうか、じゃあどんどん呑ますぞ!」

 宿舎を出るときにフィーアに言いかけたことを今更ながらソニアが言う。こうなる前にやはりしっかりと言っておけば良かった、とリセルは後悔した。早速ツヴェルフが悪乗りする。いくら上官の指示とはいえ、呑めないものは呑めない。

「ツヴェルフ、呑めない人間に無理に薦めるもんじゃないわよ」

「薦めてるんじゃねぇよ、め、い、れ、い」

 ツヴェルフが意地悪い笑顔でフィーアに返す。命令とあればもう退くことはできない。リセルは意を決した。

「……で、ではこの一杯だけで許してもらえますか?」

「あんたねぇ、こんな時にまでそんなくそ真面目になる必要なんかないのよ」

「まぁおれも薦めといてなんだけど、無理はよした方がいいぞ」

 ソニアとイレブンが口々に言う。しかしもうリセルにはその言葉は届いていない。

「ばかだなてめえら。面白ぇじゃねぇか。ほれ呑め呑め!」

「鬼だな、ツヴェルフよ」

 心底楽しそうなツヴェルフに、しかしコッドが笑って言う。

「酒で辛い思いしねぇうちはイッパシとは言えねぇんだよ。判んねぇかなぁ」

「判んないわよ」

「……」

 ツヴェルフの一言がきっかけとなった。もう半人前扱いされる訳にはいかない。今日からリセルは衡士になったのだ。きつく目を閉じると、カップの中のワインを一気に呷った。

「うぷっ」

「リセル……」

 呆れた顔でソニアが言う。

「おっ、いけるじゃねぇか」

 そう言うとツヴェルフもそれに続くようにカップに入ったエール酒を一気に飲み干す。

「結局わしの乾杯のなんとやらは無視か」

「話が長ぇからいけねんだよ」

「なにが長いか!」

 愚痴るコッドにイレブンがそう言って、コッドのカップにカップをぶつける。リセルはワインを飲んでから動かなかった。正確には胸の辺りがかっかと熱を持ち、身体が熱くなってきていて、下手に動けない状態に陥っていたのだ。目だけで周りのできごとを判断しているようなものだった。

「じゃあ仕切り直しか?リセル、もう一杯だけな」

「ツヴェルフ隊長!意地悪言わないの!」

 ひひひ、と笑ってツヴェルフが恐ろしいことを言う。一杯呑んだだけでこの有様なのだ。もう一杯呑んだらどうなるかリセルには見当もつかなかった。ソニアが制止の声をかけてくれてはいるが、恐らく効果はないだろう。

「ふむ、有望な衡士リセルの健康のために仕切りなおしはやめておくとするか」

「既に顔に出てる」

 イレブンがこちらを見て言う。身体が熱くなっているせいか、顔も高潮しているのだろうか。リセルの思考能力は既に低下し始めていた。

「顔に出るやつは本当は強ぇんだぜ。ただ単に今まで呑んでなかったってだけで、後は慣れだ慣れ。酒なんぞ吐いた数だけ強くなるってもんだ」

 そう言いながらツヴェルフがリセルのカップに再びワインを注いだ。

(潰す気だ……。ツヴェルフ隊長は私を潰す気だ……)

 目の前の男が偉大なる悪魔グレーターデーモンよりも恐ろしく見える。いや、偉大なる悪魔など実際には見たことなどないのだが。

 ごくり、と喉を鳴らし、自分のカップに注がれるワインを見る。

「おいよせってツヴェルフ。おれもそんなに強ぇ方じゃねぇからな。弱いやつの気持ちは判る」

(弱い?)

 何故神威は先ほどから気にかかることばかりを口にするのだろうか。

「私はやっぱり弱いんですか?」

「やっぱりも何も一杯でその有様じゃ……」

(その有様?)

 今、自分が何をしでかしたというのだ。酒の席で酒を呑んだだけだというのに、その有様も何もないではないか。

 確実に回っていない思考回路を勿論自覚することなどできずにリセルはそう思った。

「これでも訓練は一生懸命積んできました。……実戦経験はありませんが、でもそれはこれからです」

「……んん?」

 新米の衡士に実戦経験を問うのは愚問だとは思わないのだろうか。長く生きていればそれだけ実戦経験があって当たり前だ。それをイレブンよりも遥かに若い自分に言うこと自体が間違っていると何故神威は気付かないのだろうか。

「お酒の話よ、リセル」

「そんなもの関係ありません。確かに私は貴方より弱いと思います。剣を合わせなくても……」

「えぇ……」

 イレブンがこの世の終わりかと思うほどの困った顔を向け、そしてそのままの表情でフィーア、ツヴェルフ、コッド、ソニアへと視線を巡らせる。イレブンの表情に誰もが苦笑を返すことしかできない。それもそのはずだ。そもそも返答に困ることならば最初から言うべきではないのだ。何故だかリセルは勝ち誇った気分になった。

「誰だ呑ませた奴ぁ」

「お前だ」

 ツヴェルフとイレブンの言い合いを他所に、リセルは目の前にある、カップを再び口元に持って行く。

「……」

「てめえから呑んでんじゃねぇか」

 自分で命令だと言ったはずなのに、ツヴェルフはリセルを指差し、驚いている。神威も屠竜も先ほどから言っていることが滅茶苦茶だ。

「あぁ!こ、こら、ちょっと!」

 ソニアが慌てて静止しようとしたが遅すぎる。もう全て呑み干し、リセルは勢い良くカップをテーブルに置いた。

「ソニアさん!」

「な、何よ……」

 リセルのカップを隠そうとしていたソニアの手を止めて、リセルはソニアの名を呼ぶ。

「私は、別に男なんてなんとも思ってないですから」

「はいはい、判ったわよ。マスター!ちょっとお水!」

 取り合わないソニアがリセルには気に入らない。普段ソニアが酔った時はいつも自分が面倒を見ているというのに、ソニアのこの態度は有り得ない。

「ソニアさん!」

「何よ!」

「ちゃんと聞いてください!」

「聞いてるわよ、男なんてなんとも思ってないんでしょ!」

「そう、そうれすよ……。ひゃっく。……あれ?」

 呂律が回らない。何故だかしゃっくりまで出てくる始末だ。

「フィーア……」

 イレブンが何事かをフィーアに言ったが、良く聞こえない。意識が朦朧としすぎて、今自分が何を言ったかさえ定かではない。

「判ったわ……」

 フィーアの声が聞こえ、直後になにやらぶつぶつと呟くようなフィーアの声がかすかに聞こえた。リセルの目の前にごくごく小さな雲が発生したが、リセルはそれを雲とは認識できず、目を細めるだけだった。一瞬の後、リセルの意識は暗転。崩れそうになったリセルをソニアが支えた。

「眠り雲の魔導、いっちょあがり」

 フィーアの悪戯っぽい笑みと共に出た言葉は既にリセルの耳には届いていなかった。




 リセルが目を覚ますと、そこは昨日移動したばかりのあまり片付いていない自室だった。

 身体を起こした瞬間、激しい頭痛がリセルを襲った。

「っ!」

 風邪でも引いたのかと思ったがそうではない。昨日ワインを呑んでからの記憶が殆どないのだ。イレブンに失礼なことを言ってしまい、それをしっかりと詫びてから宴会になったはずだった。ツヴェルフが呑め、と命令を下し、一杯目を呑んだところまでは覚えている。

 だとするならば、何をどう考えてもこれは二日酔いというものだろう。

「リセルー」

 ばんばん。

 突然の扉を叩く音に頭が痛んだ。この呼び方は間違いなくソニアだ。

「あれー?リセルゥ?」

 音がばんばん、からがん、に変わる。なんと乱暴な女だ、とは口には出せない。扉を叩く音と共に聞こえてくるソニアの能天気な声に苛立ちさえ覚えるくらいに、いちいち物音が頭に響く。ベッドから降り、扉を開けようとしたときに、ぐらり、と足元が揺らいだ。バランスを保とうと一歩飛び出した足が床を踏みつけた瞬間、足からの振動までもが頭に響く。

「うぇ」

 気分も悪い。最悪だ。

「リセルー、まだ起きてないの?」

 ともすれば扉を叩く音にかき消されそうなほど、ソニアはがんがんと扉を叩きつけている。恐らくは足でも蹴り飛ばしているだろう。

 わざとやっているのだろうか。

「おぉーい!リセルー!」

 がんがんがんがん。ばしん、ばしん。どん、どん。

 自分の頭が悲鳴を上げているようだ。リセルはふらつく足元を叱咤しながら、扉にまでたどり着くと、勢い良くその扉を押し開けた。

「なんですか!」

 自分の上げた大声で更に頭が痛んだ。一瞬くらり、とする。

「おぉーいリセ」

 奇妙な声と共に、ドアを叩く音とソニアの声が消える。ドアを開けたときに何かにぶつかる手応えがあったが、そんなことにいちいち構っていられない。

「おはようございます……。あの、大きな音立てないでくれます?」

 リセルは俯いたままそう言ってまた部屋の中へと戻る。

「いったぁい……」

 扉が開き、鼻を押さえたソニアが中に入ってくる。

「うぅわ酒くさっ!」

 部屋の中がワインの匂いで充満している。ソニアはカーテンと窓を一気に開けた。

「なっさけないわねぇ、たかが二杯や三杯で二日酔い?それでも『漆黒の髪帯』の一番弟子のつもりぃ?」

「仕方ないじゃないですか……。呑めないのに……」

 額を押さえてリセルは呻く。二日酔いがこんなに酷い症状だとは知らなかった。もしも神聖魔道に二日酔いを直す奇跡があったのなら、間違いなく行使していたに違いない。もう二度と、どんなことがあっても酒は口にしない、とリセルは固く誓った。

 しかし、ソニアがこれほど元気だということは、昨日は珍しくリセルの言うことを守ったということなのだろう。

 何たる皮肉か。

「うぇ」

 急激に気分が悪くなり、リセルは自室のトイレに駆け込んだ。

「……重症ね、こりゃ」

 ソニアの声を背中で聞きつつ、何も考える余裕がないまま、リセルはトイレのドアを閉めた。


 第三話 叙勲 終り


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