静けき衡士

ファーバンシー大陸英雄大系
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第四話 事件

公開日時: 2020年10月5日(月) 10:54
更新日時: 2022年5月9日(月) 13:54
文字数:12,931

 ファーバンシー公国歴〇九八年 妖精の月 フィデス市


 唐突に事件は起きる。

 それはリセルが衡士こうしに叙勲され、ファーバンシー公国衡士師団フィデス本部部隊の一員になってから約一年、初めての大きな事件だった。

 反乱分子の活動や、内乱、魔族騒ぎなどはこの一年起こらなかった。しかし野盗の窃盗、恐喝、暴行行為などの事件は多くあり、先日も遺跡発掘現場で貴重な宝珠などの窃盗があったばかりだった。

 そして百年国時代の達成を阻むかのように、その事件は起きた。


 フィデス市 郊外 リーンの村 女神の調べ亭


「ソニアさん、調書、持ってきました」

 リセルはソニアの変わりに会議に出て、そこでもらってきた調書をソニアに見せた。

「お疲れさん。リセル」

「今日は仕方がないけど、たまには会議に顔を出せ、ってコッド師団長に言われましたよ」

 ソニアは会議に滅多に顔を出さない。フィーアもコッドもそれは判っていることなのだろうが、一応上に立っている立場上言わなければならないことなのだろう。そう理解はできるが、小言を言われるのはリセルだ。今日は警邏と本市外の砦の見回りという公務があったせいで、ソニアが恐らくは保身のために任命した副隊長代理役になってしまったリセルが会議に代わりに出席したのだ。

「了解了解。それにしてもここにきて魔族が動き始めたってのは穏やかじゃないわねぇ」

 調書に目を通しながらソニアは言った。

「そうですね。今のところ大きな被害はありませんけど、いつ隊商や冒険者たちに被害が出るか……」

「そうね。こないだの遺跡で起きた窃盗事件も気になるし。なんだか凄い発見をしただの何だの、市内報でも取り沙汰されてたじゃない」

「あぁ、確か物凄く純度の高い旒刻石が見つかっただとか、旒爪シリーズが見つかっただとか書いてありましたね」

 第二次ファーバンシー公国六王国大戦が終結した時に、大規模な地殻変動がファーバンシー大陸に起こった。その際、鉱山や遺跡、地下迷宮などが新たに、それも多数、発見されたのだ。その為、ファーバンシー公国を運営する、ファーバンシー公国国営局はかなりの財力をそれらの発掘に割いていると言われている。

「そこに窃盗でしょー。もうさーただの宝石とかならまだしも、魔導的な力を持つ宝珠とか、魔導の品とかやめて欲しいわよねぇ。絶対売り飛ばしておしまい、とかじゃなさそうだもん」

 心底嫌そうにソニアは言った。六つの王国が争い、疲弊し、やっと一つになった世界でも、まだ人よりも力を欲する者がいる。私利私欲のために。

「確かにそうですね。大事件に発展しなければ良いけど……」

 もう夕食時だ。ここ四、五年で開発された『時計』という文字通り時を計る機械は六の数字を差している。ソニアは早々と酒を呑んでいるが酔ってはいないようだった。

「よぉソニア副隊長殿、もう晩酌か?」

 不意に背後から声がかかった。

「ロイ」

 声をかけてきたのはソニアと同期である衡士のロイ・ファーゼルだった。

「ロイさん、今晩は」

 リセルは一応頭を下げる。先輩衡士ではあるが、リセルはロイのことがあまり好きではない。何かにつけてはソニアに突っかかってくる。副隊長争いをしているそうだが、争っていると思っているのはロイだけで、ソニアは歯牙にもかけていないようだった。何年もソニアには勝てないままでいるらしい。

「あぁ、随分いい身分だな副隊長ってのは。俺もあやかりたいぜ」

「仕事は終わってるわ。文句を言われる筋合いはないけど」

 カウンター席に座っていたリセルとソニアに並んで、リセルとは反対側のソニアの隣にロイは腰掛けた。

「そいつは失礼」

「そういうあんたも暇そうね。そんな暇があったら剣技でも磨いてたら?」

 いちいち棘のある言い方で話しかけてくるロイにはソニアもほとほと愛想を尽かしている。いちいち相手にしていられない、とばかりにソニアは投げやりな態度でそう言った。しかしロイはソニアに勝てないだけで無能な衡士ではない。むしろソニアと争えるだけの実力は持っている、実質フィデス本市部隊ではかなり有能な衡士だと言っても過言ではないだろう。ロイがソニアに勝てないままでいるように、リセルもロイには模擬戦では勝てないままだ。

「もういいんだよ。俺は衡士を辞める」

「辞めてどうすんの?自警団にでも入るのかしら?自警団ならあんた程度の腕でも威張り散らせるものね」

 リセルはよせばいいのに、と思いつつも、黙ってソニアの言うことを聞いていた。自分が口を挟めば厄介なことになってしまうことは判りきっている。

「ま、そんなところさ。器量の小さい男にはお誂え向きだ」

「珍しく認めるのね」

 肩をすくめて言うロイに、ソニアは微笑を返したが、どう見ても嘲笑しているようにしか見えなかった。

「あぁ。もうすぐあんたたちともおさらばだからな。女の顎で使われるのもあと少しさ」

「そんな程度でしか物事を見られないから卑屈になるのよ。好き嫌いと能力の有る無しを混同する奴に副隊長は務まらないわ」

「なるほど。あんたの憎まれ口もまぁ今日で最後になるだろうからな。それを聞きにきたが、相変わらずだよ」

「あんたの卑屈さ加減もね。邪魔だから帰ってくれない?お酒が不味くて仕方がないわ」

 いい加減付き合っていられないと思ったのか、ソニアはそう言って野良犬でも追い払うかのように手を振った。

「ま、そうしたいけどな。一つだけ心残りがあるんで、それを済ませてからにするさ」

「心残り?最後に一発ぶん殴りたいとかならやめておいた方がいいわ。あたしも同じだから」

「そうじゃねぇよ。ほんとに食えねぇ女だなお前は。確かにお前は気に入らねぇけど、お前の演奏は好きなんだよ。ま、気に食わねぇとは思うけど、最後に一曲だけでいい、聞かせてくれないか」

 苦笑するロイの言葉に心底驚いたようにソニアは目を見開いた。

「ふん、いいとこあるじゃないのよ」

「最後まで嫌な野郎で悪かったな」

 ソニアはそう言ってロイに手を出した。ロイは多少赤面しながらもその手を掴む。リセルは何となくそのやりとりが微笑ましく感じて、知らず笑顔を作っていた。


「あんたが音楽好きだったなんて知らなかったわ」

 音楽を愛する者に悪人はいない。それがソニアの持論だ。リセルは幾度となくそれを聞かされた。

「聞くだけだけどな」

「それでいいじゃないの。ま、衡士辞めても時々聞きにきなさいよ。癪だけどあたしがその時ここにいれば聞かせてあげるわ」

「可愛くねぇ提案だが、そうさせてもらうよ。リセル、あんたにもまぁ色々世話になったけどこれでお別れだ。嫌な野郎が辞めてって清々するだけだろうがな」

 苦笑してロイは言いながらリセルにも手を差し出してきた。

「いえ。最後に認識は改めましたよ」

 そう言ってロイの手を握ると、リセルは微かに笑顔になった。

「いい衡士になれよ……」

 ロイはそう言うとリセルの手を離し、ソニアに顔を向ける。

「最後に言っといてやるよ。上層部に気をつけろよ」

「は?」

「用心しろってことさ」

 それだけ言うとロイは背を向けて店を出て行った。

「どういうことかしら」

「さぁ……」




「ソニア!どこ行ってたの!」

 役所に戻ると衡士たちが所狭しと駆け回っていた。ソニアを呼びかけるフィーアの声にも緊迫感が満ち満ちていた。

「フィーアさん」

「何の騒ぎですか?これ」

 事情が飲み込めていないリセルとソニアは戻るなり声をかけてきたフィーアに問うた。

「隊商が下級魔族に襲われてるって情報が入ったのよ」

「隊商が?」

 それにしては騒ぎが大きすぎる。周りを見れば常駐部隊のほぼ全員が動いているように見える。

「そう!その隊商には碵石が積み込まれているの」

「せき、せき?」

 ソニアは首を傾げたが、リセルはそこではっとなった。

 『碵石ていせき』というのは、古代の歴史、魔導帝国エールスよりも遥かに昔、灰世紀よりも更にとてつもないほどの昔にまで遡る、今では完全に失われた神秘の文明の遺物だ。

 この世界には『神録書しんろくしょ』という書物が存在すると言われている。この世界の全ての理を示すと言われている、伝説の書物だ。実在していることすら危ぶまれる書物であるが、各地に聖典、外典の写本が残されていることから、全くの事実無根ではないと言われている。

 その神録書の外典の写本に記されていたのが碵石だ。リセルは書物庫でそれを見たのを思い出した。


――碵石――

 現在のファーバンシー公国を含めた全世界。アルダースト大陸、レムリア島、サラス島の全てに点在していると考えられる神秘の秘宝である。使う者の意思に答える力を秘めた魔導の宝石の一種で、その力は一瞬にして国を滅ぼし、竜すらも滅する力を持つと言われている。歴史に何度か登場する伝承の四戦士ですら、その碵石を持つ者とは互角以上の戦いを強いられたと伝えられる。

 第二次にまで及んだファーバンシー六王国大戦の原因の一つにも碵石は挙げられている。純度の高い旒刻石、という力を秘めた石でできているという説もあるが、その正体は不明である。


「何故そんなものが……」

「この間の遺跡の盗難騒ぎ、憶えてない?」

「そういえばなんかとてつもない代物を発掘しただとか……」

「まさか!」

「そ。そのまさか。それは元々はこの役所へ入る予定だったらしいわ」

 リセルの疑問にフィーアが答えた。

「この役所へ?」

「盗まれなければ国営局が一時的に預かって調査に踏み出す、ってことだったらしいわ」

 衡士の頂点に立つものは、今現在ではコッド・スナイプスであるが、その衡士自体をまとめている、司令塔が公国衡士師団には存在する。

 各主要地方都市とファーバンシー公国衡士師団を纏め上げているのはファーバンシー公国国営局だ。国営局長は一人を任命せず、三人の協議と合意で物事を決議するようになっている。その三人は実質、ファーバンシー公国で一番の権力を持つことになる。その国営局が危険な因子を持つ宝珠を一時的に預かり、調査するというのは確かに頷ける話だ。

「それにしても何故盗まれたはずのものが隊商に?」

「盗んだ連中が碵石なんて危なっかしくて売り捌いた、ってのは?」

 リセルの問いに答えたのはソニアだった。

「もしくは碵石だなんて判らないまま……」

 盗んだ物が碵石だと判れば悪用しようと試みる者がいるかもしれない。碵石を盗んだ者は、単純に宝石か何かだと思って売り捌いたとも考えられる。

「そっちの線のがありそうね」

 フィーアがリセルの意見に同意した。

「でも碵石なんて危険な物が実在するなら隊商がそのまま……」

 そうだ。国をひっくり返せるほどの力がもしも本当にあるのならば、隊商の誰かが乱心してもおかしくはない。

「お国から目ぇつけられちゃ、とんずらもできないでしょ」

「まぁ碵石に向かって目ぇ瞑って願いを言うだけで発動するような代物ではないだろうしね」

「それにしたって危険は伴いますよね」

「それってそんなにやばいものなの?」

 ソニアはまだ実感がないようだが、実感がないのはリセルも同じだった。しかしリセルが今まで読んできた歴史書には碵石が原因で起こった争いの数多くが記されていたのだ。

「やばいなんて代物じゃないわ。下手をしたら六王国大戦の再来よ。とにかく急いで出撃の支度して!」

「え!」

 フィーアの答えを聞き、ソニアは驚愕の声を上げた。

「行きましょうソニアさん!」

「う、うん」

 今日ほどソニアが酒を呑み過ぎないで良かった、と思ったことはない。ロイのおかげでもあるのだろう。そこでふと先ほどロイが言っていた言葉が脳裏をよぎった。

(上層部には気をつけろよ)

 あの言葉はこのことを指していたのだろうか。リセルにとって上層部と言えば、やはり師団長であるコッド。そして部隊長であるフィーアだ。しかしあの二人が何かを企んでいるようには到底思えない。

 リセルは思考を止め、ソニアの手を引くと、宿舎へと走り出した。


 部隊は三つに別けられることになった。そのうちの一つはフィーアが、一つはソニアが、そしてもう一つはロイが仕切ることとなった。

 辞める直前にこんなことになるなんてついてないぜ、とロイはぼやいたが、それでも立派に一隊を指揮し、隊商のルートを確保するために出て行った。リセルはこれが初の実戦になるかもしれないということで、見習い時代からずっと世話をしてきた愛馬アイセアと共にソニアの隊に配属された。各隊の殿には伝令要員として、部隊でも馬の扱いに優れている者が数人選抜された。

「リセル」

 隊列を組み、既に馬上にいるリセルに声がかかった。

「アサート」

 アサートは去年の叙勲式では衡士にはならなかった、元々二年で叙勲試験を受ける者がいないのだ。今年叙勲試験を受ける予定だそうだが、今年衡士になれることはまず間違いないと言われていた。

「気をつけてね、リセル」

「あぁ、ありがとう」

 衡士見習いが実戦に参加することはあるが、今回の事件は規模が違う。失敗が許されない重大な任務に衡士見習いは参加させてはもらえない。それが判っていたリセルはアサートにそう短く答えると、馬を歩かせた。先頭のソニアが出発の号令をかけた。

「死なないでよ!絶対!」

 アサートはそう叫んだ。気遣いは嬉しかったが正直に言えば怖い。

 初めての実戦でまさか碵石に関わろうとは夢にも思わなかった。本当に下級魔族が現れて隊商を襲っているのだとしたら、戦闘になることは必至だ。ゴブリンやオーク程度の下級魔族であれば問題はない。しかし碵石を狙った犯行であれば、その下級魔族を束ねる者が必ず存在する。闇の森妖精ダークエルフや、それ以上の力を持つ人間。それらと対峙した時に、今のリセルが正面から戦って勝てるかどうかは判らない。

「もちろんだ」

 リセルはそう答えた。それは願掛けに似ていたかもしれない。

 ロイの部隊がルートを確保し、ソニアの部隊が隊商を保護する役割になった。フィーアの部隊は隊商の殿に付き、背後からの敵に備えることになっている。

 しかし――


 隊商の進行ルートはフィデス市の西部に位置するアレイジア市へと続く大街道であるはずだった。ロイの部隊は先行しているため、ソニアの部隊からは見えない。走っても走ってもロイの部隊と隊商の姿は見えない。大街道はこのままアレイジア市へと続く道であり、もうすぐアレイジア市との市境に近付こうとしてる。ソニアが突然馬を止めた。

「おかしい……」

 いつもの呑気なソニアはそこにはいない。衡士たちを指揮する副隊長の真剣な表情でソニアは呟く。

「もう合流してもよさそうな地点ですよね」

 リセルが簡易的な地図を馬上で広げてそう言う。すると前方から馬が走ってきていた。

「ソニア副隊長!」

 背後に控えている衡士が叫ぶ。ソニアは剣に手を掛け、警戒態勢をとった。しかしその警戒態勢もすぐに解かれる。前方から走ってきた馬には衡士が乗っていたからだ。ロイの部隊からの伝令要員だ。

「ソニア副隊長、我々の部隊はアレイジア市との境界まであと僅かという所にまできていますが、未だ隊商を発見できていません。こちらも同じですか?」

「あぁ、同じ道を走ってきているんだ、当然そういうことになる」

「どういうこと?」

 リセルは再び地図を広げ、呟いた。

「野盗だ!」

 隊の後部で叫び声が上がる。

「何!」

 ソニアは剣に手を掛け、隊の後部へと視線を走らせる。

「お疲れ様でした。隊にお戻りになって、ことの始終をロイさんにお伝えください」

「了解した。武運を!」

 リセルは伝令要員にそう伝えると地図をしまい、ソニアに続いた。

「何故野盗が……」

 碵石などという危険極まりない代物を運び込ませるのなら、情報は確実に、間違っても野盗などに漏れないようにするはずだ。それこそリセルのような末端の衡士になど情報が降りないほどの機密事項として扱ってもおかしくない。

「嫌な予感がする……」

 リセルは急激にそんな思いに駆られた。見つからない隊商、隊商の運搬日時とルートを知っていたかのように現れた野盗。ロイの意味深な言葉。不確定要素が多すぎるが、何かリセルたち公国衡士師団にとって都合の悪いことが着々と進められているのではないのか。そんな気がしてならなかった。

「アンセスタだ!気をつけろ!」

 誰かがそう告げる。リセルの身体が硬直した。アンセスタとは略称だ。正式な名称は。

(盗賊団アンセスタランカー!グラズニィ……ツェーンロード!)

 そう思うが早いか、リセルは馬を走らせた。

「リセル!」

 ソニアの制止の声がかかるが、もう耳には届かなかった。

「ああああ!」

 馬を野盗の一団に突っ込ませる。リセルは剣に手を掛け、瞬間的に抜刀するとその勢いのまま先頭の野盗の首を刎ねた。返す剣ですぐ脇に迫ったもう一人の側頭部に剣を突き刺す。

「あの馬鹿!」

 ソニアの声が遠くで聞こえた。しかし構ってはいられない。

「リセルの仇!みんなの、仇!」

 リセルはそう叫んで、視界に入る野盗全てに剣を振るう。剣戟の響きすらさせずにリセルの剣は的確に野盗たちの喉といい、心臓といい、致死する箇所に致命傷を浴びせていた。それほどリセルの剣線は素早く、的確であり、その剣が阻まれる前に、敵の身体に確実に斬り付けていた。リセルの剣技は大陸から伝わったと言われる剣技だ。

 役所内の書物庫でその見聞を読んだ時に、自分に合っていると判断し、見聞を頼りに我流で磨いたものだった。リセルは一握りの戦士が覚醒するといわれている体内の気の力を使った闘法、旒気法を行使することはできない。その代わりに旒剣りゅうけんという、旒気法を行使することができない人間でも旒気力を帯びた一撃を繰り出せる剣を持っている。今では市販され、一般化してきている一種の簡易的な魔導の剣だ。

「リセル!一人で突っ込みすぎるな!」

 瞬間的に声のした方へと剣が向いていた。ソニアの旒剣とリセルの旒剣がぶつかり、独特の剣戟が鳴る。

「我を忘れると死ぬわよ!」

 リセルの剣を受け止めながら、リセルの襟首を乱暴に引っ掴んでソニアは言う。

「……ソニア、さん」

「とにかく、落ち着きなさい」

「でも!」

 後続の衡士たちが野盗に斬りかかる。剣戟の音がそこかしこで響く中、奇妙なほど鮮烈にリセルの頬を打つ音が響いた。

「あんたの中のリセルの仇を討つのはあんたの好きにしなさい。でもね、これは私闘じゃないの。今、自分が何をするべきか良く考えて」

 ソニアの一言でリセルは我に返る。リセルとソニアは一度戦線を離脱した。

「今この中にグラズニィ・ツェーンロードはいないわ。どういうことだと思う?」

 ソニアは周りを見渡すと、自問しているようにも聞こえる言い方でリセルに問う。

「……簡単に考えるのなら陽動、もしくは分隊しているか……。それともただ単に出てきていない……?」

「ただ単に出てきていないのならいい。もしも陽動、分隊だとしたら、本隊はどこへ、何をしに向かうかしら」

「……」

 判らない。

(上層部に気をつけろよ)

 ロイの言葉が脳裏をよぎる。

 本隊は街へ。

 そう考えては不自然だろうか。

 もしも偽の情報が流れていたとしたら。

 だが、誰が何のために偽の情報を流すのか。

 そもそも偽りの情報とは何か。

 隊商が碵石をもって街道を走っている、という情報。

 先行したロイの部隊と、リセルもいるソニアの部隊は隊商を発見できていない。

 そこに現れた盗賊団アンセスタランカー。

 何のためにアンセスタランカーが現れたのか。

 単純に考えれば、衡士師団の足止め。フィデス市本部の部隊全員が三隊に分けられ、総出撃をした。今フィデス市に残っているのは衡士見習いと彼らを引率する衡士が数名残るのみ。ほぼ蛻の殻、と言って良い。

 偽りの情報の先に現れた野盗は、当然衡士師団の動きを把握している。偽りの情報を流した不明と通じていることの証になる。

 こうなってしまうと碵石の信憑性も不確定になってくるが、動員数が大規模すぎる。フィデス市本部の衡士がほぼ総動員ともなれば、恐らく碵石は存在して然るべきだ。

 となれば隊商と共にあると言われている碵石はどこへ消えたのか。

(街へ……)

 今街はもぬけの殻に近い。待機している衡士と衡士見習いでは街への侵入者は抑えきれない。それに非戦闘員の姿をしていれば容易に街には侵入できる。

 しかし、碵石はそもそも国営局が預かる、と言われていたはずだ。ほぼ全ての衡士を街から追い出して受け取る意味がない。

(いや)

 受け取り、調査をする気など無かったとしたら。

 国営局の誰かが、秘密裏に碵石を受け取り、私物化しようと画策しているのだとしたら、辻褄は合わないだろうか。

 荒唐無稽な推理ではある。いやこんなものはリセルが知っているだけの状況から導き出したただの推論でしかない。

 リセルが思いついた最悪のシナリオは、存在もしない隊商が碵石を持ったまま、存在もしない魔族に滅ぼされた、もしくは行方をくらませた、という偽の情報を流し、碵石を欲した何者かが密かに碵石を受け取る、というものだ。

 それはつまり、発掘された現場から盗まれた碵石を、そのまま盗賊団アンセスタランカーが所持しているということになる。碵石を欲した者は、アンセスタランカーに碵石を盗ませ、自分の元へと届けるように画策していた。

 フィデス市に常駐している衡士を街から追い出すには、碵石ほどの危険な情報がある代物があれば充分だ。今現在、こうして殆どの衡士が街の外へ出て来てしまったのだから。

「ソニア副隊長はおいでか!」

 突如リセルの思考を断ち切って、飛び込んできたのは衡士の声だった。

「ここだ!どうした!」

 衡士はフィーアの部隊の伝令要員だった。

「街で戦闘が起きています。野盗が現れました!」

「く……人数は足りているのか?」

 リセルの推論が合っているとするならば、それは野盗、アンセスタランカーの本隊だ。グラズニィ・ツェーンロードが率いている可能性も高い。しかし今度は冷静に考える。走りすぎてはいけない、と逸る心を押さえつける。

「それが敵は魔導師を有しています。我々だけでは正直……」

「判った。私たちもここを片付け次第街へ……」

「ダークエルフだ!魔族もいるぞ!」

 ソニアの声を掻き消したのは同じ部隊の衡士の声だった。野盗と魔族が同時に現れる確立は低いはずだ。誰かが裏で糸を引いている。それはリセルの中で確信に変わった。

「まずいな……。すまない、フィーア隊長に伝えてくれ。暫く援軍は出せない」

「判りました」

 ソニアはフィーアの隊の伝令要員にそう言うと、今度は自分の部隊の伝令要員を呼ぶ。

「ロイの隊へ走ってくれ。本市に救援が必要だと伝えてくれるか。市境ならば大街道から伸びた裏道で街道を走るより遥かに早く本市に行けるはずだ。急いでくれ!」

「了解しました」

 そういうと伝令要員は馬を走らせる。リセルはソニアの顔色を伺った。

「ソニアさん、どうしますか」

 ダークエルフが行使する精霊魔導サイレントアビリティは手強い。衡士はその殆どが白兵戦に長けた者だ。魔導に精通している者はあまり多くない。魔導に通じていない者にとってはそれが神聖魔導ホーリーランゲージであれ、古代語魔導アビリティランゲージであれ、精霊魔導であれ、脅威となる。今分隊して本部への応援へ向かわせることはできないだろう。

「目の前の敵を叩いてから考えるわ。リセル、あんたは街へ行きなさい。冷静に、自分を見失わず、全てのことを清算してきなさい」

 ソニアはそう言うと、衡士と野盗が戦っている中へと馬を走らせた。

「ソニアさん……」

 リセルは一瞬だけ迷った。しかし次の瞬間には迷いなく、ソニアの後に続いた。

「ソニアさん!」

「あんた……」

「これは私闘じゃないってことです。よりにもよってソニアさんに教えられるとは思いませんでした」

 そうだ。今衡士としてすべきことは、自分の積年の恨みを晴らすことではない。仲間を守り、野盗と魔族を討つことだ。

「ナマイキ言うんじゃないわよ!」

 リセルに一瞬だけ微笑んで、ソニアは馬首を巡らせた。


漆黒の髪帯ブラックリボン、ソニア・グリーンウッド副隊長とお見受けします」

 背後から声がかかった。敵意はないようだったが、ソニアは剣を向けた後に視線を投げる。敵の数が減ってきたとはいえ戦闘中だ。

「衡士?」

「はい。アレイジア市常駐部隊長、セイルファーツ・ノード・デリヴァーと言います」

「アレイジアの?」

 ソニアのすぐ近くで戦っているリセルが声のする方へと振り向く。聞いたことがある。セイルファーツ・ノード・デリヴァーといえば次期公国衡士師団長の呼び声も高い、各市常駐部隊長の中でも最年少の衡士だ。年はリセルよりも一つ年上の二二歳のはずだ。

「ここは我々に任せてください」

「我々?」

 そう振り向いた矢先には、衡士師団の制服が並んでいる。アレイジア常駐部隊がここにきているのだ。

「何故アレイジアの部隊が……」

「フィーア隊長からの命令ですよ」

「フィーアさんの?」

転移の魔導テレポーテーションで僕のところへと飛んできたんです。フィデスとの市境の砦に常駐させている部隊を先行させ、僕もフィーアさんと共にフィデスにきました」

 フィーアもこの事件に何かを感じていたということだろう。あまり知られていることではないが、フィーアはかなり高位の魔導を使うことができる。転移の魔導という魔導自体が今は使えるものがあまりいないほどの高位の魔導だ。フィーアは転移の魔導でアレイジアへと赴き、事情を説明すると、次は砦へとセイルファーツと共に飛び、伝令をしてフィデスに戻ったということだろう。

「敵も少なくなってきました。脅威はダークエルフの魔導だけです。ここは我々が引き受けますので、フィデス本市へ急いでください」

 セイルファーツはそう言うと細い目を少しだけ見開いた。

「判ったわ、お願い!リセル、行くわよ!」

 ソニアはそう言うと、目の前の野盗を一人屠り、馬を進める。

「フィデス部隊!街へ戻れ!街で戦闘になっている!隊列など構わん、迅速に街へ!」

 良く通る声でソニアは叫ぶ。

「セイルファーツさん、お願いします!」

 リセルはセイルファーツに礼を言いう。

「セイル、でいいですよ」

 無邪気な笑顔をリセルに見せ、真横から襲い掛かってきたゴブリンを一撃で叩き伏せる。セイルファーツの得物は長剣だ。リセルは唖然としながらも頷くと、ソニアの後に続いた。


 フィデス本市内では戦闘が続いていた。

 リセルとソニアが街についた頃には、ロイの部隊も街道から裏道を抜け、最短ルートで街に戻ってきていたようだった。街道で出くわした人数よりも野盗の規模が大きいが、フィデス市本部の殆どの衡士が出動しているこの状態では多勢に無勢だ。役所の正門前には、正門前広場という名の公園がある。その公園は東口、西口、南口、と三つの入口があり、戻ってきたロイの部隊や、元々いたフィーアの部隊が正門前広場に集結し、野盗の役所内侵入を阻もうとしていた。正門前広場の向かいに位置する南口では、多数の野盗が、フィデス市役所内侵入を図ろうと戦力を整えつつ終結しているところだ。その戦力の差が危機を生むことになる。

 リセルとソニアは街の入口から役所の正門近くへと向かう途中だった。一度正門前広場東口から広場へ入ると、すぐに役所の正門が見えた。その途端に正門前広場で大爆発が起こった。凄まじい轟音と共に熱風がリセルの顔を煽る。

「火球の魔導!」

 魔導師をどこかに配備している。

 正門前広場には殆ど衡士しかいない。野盗を巻き込む心配もなく、衡士の数を一気に減らせる。これ以上効果的な魔導の使い方はない。

「くっ……。グラズニィ・ツェーンロード!」

 馬を止め、野党がいる正門前広場の南口へと向きを変える。衡士の中にいてはまた魔導の餌食になるだけだ。

「散れ!正門前広場に固まるな!魔導の餌食になるぞ!」

 馬を走らせ、ソニアが叫ぶ。既に一撃を喰らっている衡士たちは浮き足立ち、既に烏合の衆と化している。

(実戦経験が少なければこんなにも脆いのか)

 リセルは内心歯噛みしていた。一年前に『神威』が言っていた言葉が蘇ってくる。

(あの頃の英雄と同じくらいの衡士は実際今は少ないぜ)

 その瞬間、再び爆音が轟く。直後に熱風と断末魔の叫びが無数に発生する。

「くそっ!リセル、とにかく南口へ!」

 ソニアは悪態をつくように吐き捨て、リセルに指示を飛ばした。ソニアとリセルはもう一度東口から正門前広場の外へ出て、正門前広場の外周に沿って南口へと馬を走らせる。

「判りました!」

 正門前広場の外側をぐるりと囲む環状通りを駆け抜け、南口に接近した時、数人の野盗の影が見えた。

「死ぬんじゃないよ!リセル!」

「はいっ!」

 ソニアは前方の野盗を見据えたまま叫ぶ。リセルはありったけの力を込めてそれに答えると、ソニアとは別方向へ馬首を巡らせ、剣に手をかけた。南口付近には街道で見た野盗の数の倍ほどの野盗がいた。中央を守護する衡士を一気に屠ったとはいえ、それで衡士を全滅できる訳ではないことを野盗側も判っているのだ。西口、東口から、衡士が攻め入ってくることを予測しての戦力の配備だ。軽い地響きと共に更に爆発が起こる。正門前広場への魔導の攻撃と、公国衡士師団の魔導師が野盗に向けて放った魔導とが響き合っているのだ。

 既に五人の野盗を斬ったリセルはそこでふと馬を停める。ソニアとは完全にはぐれてしまったが、もはや乱戦状態になってきている戦場で魔導に巻き込まれる心配もないはずだった。

 最初に火球の魔導ファイアボールの標的となった広場正面は衡士が散り、野盗もまた公国衡士師団の魔導の餌食になることを避けるためか突入はしていない。

 しかし。

(広場の戦力が殆ど機能しなくなった今は……)

 そこから一気に役所内へと突入を果たすはずだ。荒唐無稽な野盗の魔導攻撃と違い、公国衡士師団の魔導師たちは味方衡士を巻き込む可能性がある場所への魔導攻撃はできない。

(それなら野盗はどうしてここまで……)

 味方の死も厭わない覚悟で公国衡士師団に戦いを挑むのは何故か。

(反公国派……)

 盗賊団アンセスタランカーが反公国派の反逆者だという話は今まで聞いたこともなかった。だが政治的な話を取り除いても、盗賊団という存在そのものは公国衡士師団、ひいては一般市民への脅威であり、公国衡士師団が叩くべき敵であることに間違いはない。

 盗みという行為も極論で言えば立派な反逆行為なのだ。盗賊団アンセスタランカーが、グラズニィ・ツェーンロードが反公国派の反逆者であろうが、そうでなかろうが、グラズニィ・ツェーンロードがグラズニィ・ツェーンロードである限り、リセルは戦わなくてはならない。

(これは……戦争だ)

「リセルか!」

 そこに男の声がかかる。

「ロイさん!」

 眼前の野盗が馬から落ち、その向こうにロイの顔が見えた。恐らくリセルたちとは反対側、西口外周から攻め入ったのだろう。

 正門前広場の中から南口の野盗を全滅することができたとしても時間的には早すぎる。

「西口からこっちにきたが手薄い」

「!」

 やはり野盗は既に壊滅状態に陥っている正門前広場の中央突破を狙っているのだ。リセルの勘は当たっていた。

「南口の部隊で中央突破を考えているかもしれません!」

「ちっ……。後を追うか……」

「後を追うと敵の魔導の餌食になる可能性が高いです。間に合うかどうか判りませんけど、もう一度東口か西口から中央突破部隊の正面に出ないと、侵入されます」

 魔導師がどこに隠れているかを割り出すには、火球の魔導の軌跡を辿れば良いのだが、リセルはそれを一度も目撃していない。

 恐らくは役所内から魔導を放っている公国衡士師団の魔導師や無事な衡士が捜索隊を組織し、捜索をしているだろうが、魔導師も馬鹿ではない。一つ所に留まっている訳ではないはずだ。

「そういうことか……。ソニア副隊長はどうした?」

「判りません。戦っている最中に見失いました。私はもう一度東口へ戻ります。どうかお気をつけて!」

 もしかしたらソニアは単身魔導師の捜索に出たのかもしれない。

 討たれたとは考えにくい。リセルは一度としてソニアに剣で勝った例がないのだ。野盗ごときに討たれることはまずない。それ以前にこんな戦いでソニアが命を落とすはずがない、とリセルは信じている。

「くそっ!まずいな」

 ロイは焦っている。こんな時に何を思ったのか、感じてしまった。

(この人はソニアさんのことを……)

 一瞬生まれたその思考を無理やり断ち切って、リセルは馬を走らせた。


 第四話 事件 終り


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