静けき衡士

ファーバンシー大陸英雄大系
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序章

公開日時: 2020年10月4日(日) 09:29
文字数:2,197

 ファーバンシー公国歴〇九八年 フィデス本市


「覚悟がないから油断する」

 どちらかと言えば自分にそう言い聞かせるように女衡士こうしは吐き出した。剣を鞘に収め、ぐ、と腰を落とす。勿論このままでは女衡士の剣は女野盗には届かない。しかし女衡士が得意とする剣技には特殊な歩法があり、一瞬にし敵との間合いを詰めることができる。

 一息で敵との間合いを詰め、剣を抜くと同時に斬る。それが女衡士が得意とする『居合』という剣技だ。

「覚悟がない、ですって?」

 女野盗は立ち上がると、左手にナイフを構え、そう言った。

「偽りの、歪んだ想いに何が宿る!」

「言ったはずよ。貴女には一生判らないと!」

 言った後に女野盗はまた某かの呪文を唱えたようだった。しかし同じ轍は踏まない。女衡士は踏み込んだ。

鏡幻影ミラーイメージ!」

 古代語魔導アビリティランゲージ発動の呪文を発した途端、女野盗の姿がゆらりと揺れた。そして背後にもう一人、まったく同じ姿をした女野盗が現れる。

「甘い!」

 魔導師が己の身を守るために使う魔導だ。女野盗が最初に使った魔導の矢エナジーボルトと同じく、この鏡幻影は術者の魔力が強大なほど現れる幻影の数が多くなる。最初に放たれた魔導の矢は三本だ。そして三本であれば初歩の域を出ていない。

 その証左か、今現れた鏡幻影も一体のみ。女野盗は魔導師としての力はそれほど強大なものを持ってはいない。

 鏡幻影は衝撃を与えただけで簡単に消すことができる。女衡士は一歩目の踏み込みでその鏡幻影を消し去ると、更にもう一歩踏み込んだ。

「貴女がね!」

 鏡幻影を消されても動じることなく、女野盗は狙い済ましたようにナイフを投げる。そのナイフは女衡士の腹部に深く突き刺さった。

 衝撃と腹部に走る熱を咄嗟に感じ、それでも女衡士は気を吐いた。

「覚悟……!」




 ファーバンシー公国歴〇九四年


 ファーバンシー公国。

 かつて、呪われた衣を纏いし世界『呪衣界カースメイル』と呼ばれた世界があった。

 呪衣界と呼ばれていた時代、ファーバンシー大陸には六つの王国が存在し、その六王国は時に争い、時に盟友となり、戦乱の時代を生き延びた人々の手によって歴史が刻まれていった。様々な戦争、様々な和平、様々な伝説が語り継がれて行く中、ファーバンシー大陸史上最大、最悪の戦争と言われた『第二次ファーバンシー六王国大戦』が勃発した。

 古の禁忌を発掘した一国が手に入れた力を元に、ファーバンシー大陸征服を目論み、他五王国連合軍がそれに対抗する形となったこの戦争は、十年の後、終結したものの人々も大地も疲弊し、呪衣界を形作っていた誇るべき六王国は消滅した。


 王権政治と国土拡大、権力を欲する者たちの争いの無意味さを凄惨な戦争で学んだ人々は、王権政治を廃止し、各王国を主要地方都市と化し、ファーバンシー六王国をファーバンシー公国へと変貌させた。皮肉にもこの『勝者なき戦争』とも呼ばれた『第二次ファーバンシー六王国大戦』は、今まで誰もが成しえなかった六王国の統一という形で終戦となったのである。

 各国の幕僚や貴族たちは、自由と言う名の追放の中、ある者はあるがままに受け入れ、ある者は反乱を起こし、ある者は落ちぶれ、ある者は自国の忠誠心故に自害した。


 ファーバンシー公国となって九四年の月日が流れた。

 六王国時代とも呼ばれた呪衣界の時代には二度も訪れた争いなき百年、俗に言われる『百年国時代』がもうすぐファーバンシー公国でも達成されようとしている。百年近くの時が流れてもファーバンシー公国のやり方に異を唱える者も少なくなかったが、それでも大きな戦争へと発展することはなく、仮初ではあるにせよ、平和な時代が続いた。


 ファーバンシー公国発足と同時に設立された、ファーバンシー公国唯一の武力『ファーバンシー公国衡士師団こうししだん』は当初、第二次ファーバンシー六王国大戦での功労者を集った組織だった。

 各王国の英雄とまで謳われた騎士や王までもが公国衡士師団設立に賛同し、所属していた。そのため武装集団としての戦力は絶対的なものを有し、ファーバンシー公国の方針に異を唱える、反公国派反乱分子の鎮圧等は問題なく処理されていった。しかし約百年という年月は、人々から争いを忘れさせ、命を賭した戦いに備える技術もまた衰えた。戦争という大きな争いがなくなったことにより、公国衡士師団の戦力はゆるゆると衰退して行くこととなる。


 かつての六王国時代の強き者は時の流れに順じて引退して行く。

 新たな公国衡士師団構成員である『衡士』は六王国大戦の英雄たちほどの戦力は持ち合わせていなかった。

 そして争いがない世界では、屈強な戦力を持つ者が育たなかったということが、公国衡士師団戦力衰退の原因の一つでもある。

 それでも厳しい審査を受け、激しい訓練を成し遂げた衡士はいわゆる一般の傭兵や戦士たちよりも屈強であることに変わりはなく、衰退して行く公国衡士師団と同様に衰退していった反乱分子の鎮圧などは滞りなく進められていた。

 

 公国衡士師団の衰退、なくならない魔族の暗躍、反公国派の反乱の中、それでも人々は文明を復興させていった。

 大きな争いこそ起きないが、ファーバンシー公国はまだ戦いのさ中にある。


 仮初の百年国時代にどれほどの意味があるのか。

 

 それを感じているのは、一握りの衡士と、傭兵たち『戦う者』だけであった。


 そんな混沌とした時代の中、一人の女性衡士が誕生する。

 後に『静けき衡士』と呼ばれることとなる衡士。

 名をリセル・セルウィードといった。


 序章 終り


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