静けき衡士

ファーバンシー大陸英雄大系
yui-yui
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第五話 再会

公開日時: 2020年10月5日(月) 10:54
文字数:7,695

 ファーバンシー公国歴〇九八年 フィデス本市


 ロイと別れ、正門前広場南口から再び東口へと環状線をひた走る。先ほど東口から来た時にはいなかった集団がこちらに気付いた。

衡士こうしだ!」

「一人だぞ!やっちまえ!」

 野盗にしては着ているものが少し見栄えする。

(まさか!)

 最悪だ。

 やはりこの騒ぎに乗じて、他の反公国分子が野盗に加担しているのだ。盗賊団アンセスタランカーが手を引いたのかもしれない。公国衡士師団こうこくこうししだんでも盗賊団アンセスタランカーの規模は正確には把握できていない。それは反公国分子が入り混じっていることもあり、正確な把握ができていなかったのだろう。リセルは馬を停め、剣に手をかける。これだけの人数を相手にして勝てるだろうか。

(それにもし他にも反公国派がいたとしたらフィデスとアレイジアの部隊だけでは……!)

「待ちなさい!」

「!」

 逸る反公国分子の男たちを制する声がした。それは女の声だった。

「貴方たちは正門前広場へ。こんなところでもたもたしてる時間はないわ!」

 聞き覚えのある声だ。

「しかし!」

「衡士なんて広場に行けば幾らでもいる。貴方たちはそこで戦って。一応指揮を取る立場上、勝手なことをされては困るの」

 聞き憶えのある声は更に言って、馬から降りた。暗がりのせいで顔は良く見えない。

「判った。行くぞ!」

 反公国分子は女の言うことを聞き、馬首を巡らせる。

「待て!」

 リセルが馬の尻を蹴ろうとした途端、女が動いた。

「行かせない!」

「!」

 女はナイフを投げたようだった。それはリセルの左腕に装備された鉄羽に当たる。

「くっ!」

 リセルの愛馬が嘶き、前足を高く上げる。リセルは巧みに手綱を操り、何とかことなきを得たが、反公国分子はもはや追うことができそうもなかった。

「指揮を取っていると言ったな!」

 リセルも馬を降り、剣を抜く。

「……貴女、マリル?」

 聞き覚えのある声が自分の、本当の名を呼ぶ。遠く轟音が響き、一瞬だけ辺りが明るくなる。どこかでまた火球の魔導が炸裂したのだろう。その明かりでリセルの本当の名を呼んだ女の、軽くカールしたプラチナブロンドが鮮明にリセルの瞳に焼きついた。

「……セレン?」

 生きていた。

 あの事件の、あの場に残った生存者はリセル、いやマリルのみだった。となればセレンとエリンは連れ去られた、ということだったのだろう。こうして自分の前に現れたということは。

しかし。

「な、なんで、どうしてセレンが……」

「生きていたのね……。あの時引き上げたグラズニィたちと一緒にいなかったから死んだものだとばかり……」

 リセルと仲も良く、リセルと似てたおやかな女性だった。物腰の優雅さは少しも損なわれていない。しかしマリルを見詰めるその瞳は異常なほど冷たい。

「エリンは」

「エリンもこの戦場のどこかにいるわ」

「どうして!」

 正門前広場に手をやり、セレンはマリルから視線を外さないまま言った。信じられない。優しかったセレンが、敵としてマリルの前に立っていることが。

「どうしてもこうしても、グラズニィは私たちの恩人よ。貴女、あのままフィデス市に無事に着いていたらどうなっていたか、判らない訳ではないでしょう?」

 セレンが発した言葉は自分の耳を疑いたくなる言葉だった。

「……!」

「リセルは……。死んだのね」

 マリルが真っ先にエリンの心配をしたからであろう。セレンはマリルから何かを感じ取ったのかもしれない。

「グラズニィの配下に殺されたわ!何故!どうしてリセルを殺した奴らと一緒に……。リセルを殺した奴を恩人だなんて!」

 もはや反公国分子のことなど忘れてマリルは叫んだ。

「グラズニィは私たちに自由をくれたわ」

「自由……」

 何を言っているのか理解ができない。マリルにこうして自由を与えてくれたのは公国衡士師団のはずだ。グラズニィ・ツェーンロードはマリルから大切なもの全てを奪って行った、忌むべき存在だ。

「そう。私たちは全員、あのまま売り物にされて、奴隷か、男たちの慰み物にされるしか道は残っていなかった」

「……くっ!」

 背中の刀傷がずきり、と痛んだ。あの時の記憶が鮮明に蘇る。

 物資を略奪する盗賊。

 女を蹂躙する男。

 無抵抗の者を殺害する悪魔のような嘲笑。

 瞳を伏せてもまだこんなにも鮮明に心に焼き付いている、暗黒の記憶。

「まさか貴女が生きて、衡士になっていたなんてね……」

 セレンの声ではっと我に返る。セレンは間違っている。こんなことがあってはならない。討つべきは公国衡士師団ではなく、盗賊団アンセスタランカー。そしてグラズニィ・ツェーンロードだ。

「グラズニィを捕らえ……。いや、グラズニィを殺すために私は衡士になった!リセルの仇をこの手で討つために!」

 背中の傷が痛む度にふつふつと憎しみが沸き起こる。リセルと同じ目に遭わせるだけでは到底治まりそうもないこの怒りを、何故セレンは解ってくれないのか。

「無理よ。この状況を見て判らない?この勢いはもはや止められないわ」

「それに屈するようでは衡士は勤まらない」

 罪もない人々を傷つけるだけだと何故判らないのか。無力だった自分たちを襲った輩と同じことをしようとしていることに何故気付けないのか。

「人を殺そうという貴女がそれを言うの?」

「……」

 セレンがマリルを嘲笑う。判っている。この自分の中に渦巻く感情が、衡士にあるまじきものだということは。

(冷静に、自分を見失わず、全てのことを清算してきなさい)

 ソニアの言葉が脳裏をよぎる。

 そうだ。今はまだ、マリルは衡士なのだ。いやマリルではない。

 リセル・セルウィードというファーバンシー公国衡士師団の一員なのだ。

「あの時、衡士師団が何をしてくれた?リセルを救ってくれたの?貴女は助けられたのかもしれない。でも私とエリンは助けられなかった。ここまで成り上がるために何人の下衆に抱かれたと思う?どれほど苦しい鍛錬をしてきたと思う?どれほど辛酸を舐めてきたと思う?」

 まくし立てるようにセレンは言う。たおやかで美しかった表情が今では怒りに満ち満ちている。

「それは私も同じだ。グラズニィを討つために、ここまで厳しい訓練を続けてきた。あの嵐の記憶に苛まれ、辛酸を舐めてきた!それでも衡士師団は私をここまで育ててくれた!」

 そう。きっと同じなのだ。マリルがグラズニィに抱く怒りも、セレンが公国衡士師団に抱く怒りも。

 そしてもう、二人が後には戻れないことも。

「それならもう話すことはないわ」

 マリルの意思を読み取ったかのようにセレンは言った。

「辱めを受けてまで、どうして奴に従う意味がある!」

「貴女には一生判らない」

 怒りの嘲笑をセレンは浮かべる。それをマリルは正面から受けてたった。

「ふざけないで!」

「ふざけてなどいないわ。屈辱の日々を送ったこともあった。アンセスタランカーから放り出されそうになったこともあった。それでも耐えてきた私たちを、あの男は認めてくれた。何も、何もない真っ暗な未来からあの男は私たちを救い出してくれた」

「結局同じような目に」

「えぇ、遭ったわ。でもね、それでもこうして私はもうくだらない男どもの慰み物になることもなく、剣を取って戦う意思を貫ける」

 マリルの言葉を遮って、セレンは言う。

「あの時、何もしてくれなかった衡士師団に対して……か」

「……そうよ」

(違う)

 判ってしまった。

「愚かな……」

 万感の思いを込めて、マリルは吐き捨てた。

 この愚かな女に。

 女と言う生物に。

「愚かなのは貴女だわ。何故命を繋ぎ止めながら公国の犬などに成り下がったの?」

「……」

 憎しみがない訳ではないのだろう。公国衡士師団に。しかしマリルはあの時、どうしても救えなかった、と悔やむソニア・グリーンウッドを三年間も見てきた。

 被害者だったマリルと顔を合わせることも辛かったはずだ。副隊長という立場であれば、付きっ切りで一被害者の看病をする義理も、暇もなかった筈だ。ましてやマリルを看病するなどという任務もなかった。それでもソニアはずっと、怪我が治っても一緒にいてくれた。あれほど責任感の強い女性衡士が、マリルの恩人であり、恩師とも呼べる存在で良かった。

 そして恐らくは殆ど前例のない、マリルの衡士志願をフィーア・ツェーン・ベルクトも受諾してくれた。マリルにとって、公国衡士師団こそが自分を救ってくれた唯一絶対の存在なのだ。

「公国衡士師団はグラズニィの敵。そして私たちの敵よ」

「敵、か」

 セレンは狂ってしまった。狂わされてしまったのだ。あの事件に。

「ファーバンシー公国衡士師団、フィデス市本部部隊、マリル・セルウィード、貴女もね」

「……ならばもう語る言葉は持たない。盗賊団アンセスタランカー!セレン・ユークリッド!」

 抜いた剣の切っ先をゆっくりとセレンに向ける。

(狂っているのは私も同じだ!)

 そうだ。セレンの言う通り、もう一生判りなどしない。友を殺され、大切であろう妹と共に辱めを受けても尚、その男の言いなりになる女の言葉など。

「……」

 セレンはマリルの剣の切っ先を見詰め、そして俯いた。

「……?」

 戦う意思はないのか。

「しまっ!」

魔導の矢エナジーボルト!」

 古代語魔導アビリティランゲージ発動の呪文が完成する。俯いていたのは呪文詠唱をする口元を隠すためだ。マリルは顔の前で腕を十字に組み、防御体制を取った。魔導の矢は絶対に標的を外さない。回避行動は無意味だ。

「!」

 セレンの掌から現れた魔導の矢は三本だ。力を抑えているのか、それが限界なのかは判らないが、しっかりと防御すれば致命的なダメージは受けない。

 がつ、と瞬間的に三度、左腕、左脇腹、左大腿部に衝撃が走る。僅かに半身になって左側で魔導の矢を受けたのは剣を使う右腕を負傷しないためだ。

「っ!」

 魔導の矢が消えた瞬間にマリルは無言の気合で踏み込んだ。セレンは既に剣を抜き、防御体制に入っている。踏み込みが浅い。マリルは剣を横薙ぎに振るうと、もう一歩踏み込んで返す剣で更にもう一度セレンを狙う。

 ぎぃん、と、独特の剣戟の音が響く。

旒剣りゅうけん!)

 旒剣同士がぶつかり合うと発せられる独特の剣戟の響き。マリルの剣を弾き、セレンも反撃をしてくる。マリルの伸びきった腕の根元、肩口を狙い済まし、上段から剣を振り下ろしてきた。咄嗟に左腕の鉄羽でそれを阻む。

「!」

 先ほど魔導の矢を受けた場所が悲鳴を上げるかのように疼いた。ぐん、と左腕が押し下がる。

「がっ!」

 セレンの剣はマリルの鉄羽を押し下げ、鎖骨にぶつかった。鉄羽のおかげで骨折まではしていないようだったが、マリルは膝をついた。

(くそっ!)

 まだセイローの村にいた頃は、セレンには魔導の素養は見受けられなかった。しかしアンセスタランカーにいる間に、魔導の素養が生まれたのだろう。相手がどんな攻撃をしてくるか、予想し切れなかったマリルの油断だ。

「剣を引きなさい、マリル」

 マリルを見下ろしてセレンは言った。その瞳の温度は驚くほど低い。

 しかし。

「……そんなものか」

「何?」

 低く呟いたマリルの声がセレンに疑問を抱かせる。

「何が衡士師団を討つだ。ここで私を見逃すようでは程度が知れる」

「マリル!」

「あああっ!」

 マリルは渾身の力を込めて立ち上がる。同時に左腕を乱暴に振り回し、セレンの剣を弾いた。

(美の女神クレアファリス……)

 口の中で神聖魔導の奇跡を行使するための呪文を詠唱する。

 神聖魔導の中では初歩的な神聖魔導だ。ごく僅かな呪文で神聖魔導は完成する。

空圧撃エアブラスト!」

 呪文の完成と共に奇跡の言葉を発する。両手に圧縮された空気が集中する。その両腕をがら空きになったセレンの腹に突き出すと、両腕に衝撃が返ってくる。セレンは吹き飛ばされ、二度、三度と転げ周り、仰向けになって倒れた。

(……クレアファリスよ)

 更にマリルは集中を続け、呪文を唱えた。今度は右手に淡い光がともる。治癒の神聖魔導ホーリーランゲージだ。その光を自分の鎖骨に当てると、セレンに切り裂かれた鎖骨の傷口が見る間に塞がった。そして魔導の矢を受けた部位にもそれを当てる。

「神聖魔導……」

 セレンもまた、マリルが神聖魔導を使えることは知らなかった。空圧撃のダメージは見た目ほど軽くはない。マリルは傷を癒し、これで立場は逆転した。

「覚悟がないから油断する」

 どちらかと言えば自分にそう言い聞かせるようにマリルは吐き出した。剣を鞘に収め、ぐ、と腰を落とす。勿論このままではマリルの剣はセレンには届かない。しかしマリルが得意とする剣技には特殊な歩法があり、一気に間合いを詰められるのだ。一気に間合いを詰め、剣を抜くと同時に斬る。それがマリルが得意とする『居合』という剣技だ。

「覚悟がない、ですって?」

 セレンは立ち上がると、左手にナイフを構え、そう言った。

「偽りの、歪んだ想いに何が宿る!セレン!」

「言ったはずよ。貴女には一生判らないと!」

 言った後にセレンはまた某かの呪文を唱えたようだった。しかし同じ轍は踏まない。マリルは踏み込んだ。

鏡幻影ミラーイメージ!」

 古代語魔導発動の呪文を発した途端、セレンの姿がゆらりと揺れた。そして背後にもう一人セレンが現れる。

「甘い!」

 魔導師が己の身を守るために使う魔導だ。セレンが最初に使った魔導の矢と同じく、この鏡幻影は術者の魔力が強大なほど現れる幻影の数が多くなる。最初に放たれた魔導の矢は三本だ。そして三本であれば初歩の域を出ていない。

 その証左か、今現れた鏡幻影も一体のみ。セレンは魔導師としての力はそれほど強大なものを持ってはいない。

 鏡幻影は衝撃を与えただけで簡単に消すことができる。マリルは一歩目の踏み込みでその鏡幻影を消し去ると、更にもう一歩踏み込んだ。

「貴女がね!」

 鏡幻影を消されても動じることなく、セレンは狙い済ましたようにナイフを投げる。そのナイフはマリルの腹部に深く突き刺さった。衝撃と腹部に走る熱を咄嗟に感じ、それでもマリルは気を吐いた。

「覚悟……!」

 マリルはそれでも怯まず、半ば自暴自棄に踏み込むと、力の限りに剣を振るった。

「!」

 その剣はセレンの腹部を深く切り裂いた。踏み込みの勢いが強すぎ、セレンと激突してマリルの体は地面に転がった。

「ぐっ!」

 腹部に刺さったナイフの柄が地面に当たり、更に深く体に突き刺さる。それでもマリルは痛みに耐え、立ち上がった。そして残心する。

「……」

 倒れたまま起き上がれなかったセレンは、信じられないものを見るかのように自分の腹部を見ている。致命傷なのは火を見るより明らかだった。あれでは言葉を発することも難しいだろう。

「う、そ……」

「それが、貴女の結末だ。セレン・ユークリッド」

 非情に、マリルはそう告げる。

「マリ、ル……セル、ウィード」

 途切れ途切れにセレンはマリルの名を呼んだ。しかしマリルは、いや、リセルはそれを否定する。

「違う」

「……?」

「私は、リセル・セルウィードだ」

 剣を収め、リセルはそう言った。

「そう……。強く、なったのね」

「リセルの遺志と、衡士師団の恩恵、そしてグラズニィ・ツェーンロードへの復讐心で私はここまできた。マリル・セルウィードはあの時、グラズニィ・ツェーンロードに殺された。既にこの世にいない」

 リセルはそう言って上着を脱ぐと、背中の刀傷をセレンに見せた。

「ふふ、本当に、ね。覚悟がなかったのは、私、なのね……」

 リセルの背の傷に手を伸ばしかけ、そして辞めた。恐らくはもうその力も残っていないのだろう。リセルは再び上着を着た。

「……セレン」

「どうしようも、なかったのよ……。私は、グラズニィを、あの男に抱かれて、そして、愛して、しまった……」

 そうだ。

 本当に、どうしようもなかった。あの時に運命の矢は放たれ、セレンとリセルは完全に進むべき道を隔てられてしまった。あの時、リセルとセレン、そしてマリルとエリンが逆の立場になってしまうことも充分に有り得たのだ。

「すまない」

 今リセルの胸中を占めるのはただただ、友を手にかけたという悔恨の念だ。

「いいのよ……。誰をどうやっても、責められ、ない……。貴女が、衡士師団、を、愛するよう、に、私も、あの男を愛した……」

 力があれば、セレンも救えたはずだった。こうして戦う前に、救うことができたはずだった。それが不可能でも、致命傷を治癒するほどの神聖魔導を行使できる力があれば、セレンを救えるというのに。

「私がグラズニィを憎むように、貴女も衡士師団を憎んだ」

 お互いに、何の矛盾もない想いなのかもしれない。けれど、リセルはそれを納得することができない。セレンは恐らく、死んでしまいたいと思うほどの辱めも屈辱も受けてきたはずだ。

 それでもセレンがそれに耐えてきた、本当の、たった一つの真実。

「そう、ね……。そして、残された、真実、は、唯、一つ……」

 そう、セレンが言う真実とは別の。

「私があなたを殺した」

 リセルが口にする真実とは別の。

「救って、くれた、のよ、リセル……」

 今ある結果という事実とは別の思いが、真実がセレンにはあった。

「それが、判っていながら!」

「どうしようもない、って、言った、でしょ」

 グラズニィ・ツェーンロードを愛してしまったという過ちの真実も、確かにあったのだろう。

「でも、だからって!」

 恐らく、もうリセルの姿も見えていないであろうセレンに、リセルは言った。その声は涙に滲んでいた。

「泣か、ない、で、リ……セル」

「……」

 リセルは跪き、セレンの冷たい手を握った。

「エリ、ンを……妹、を……お、願い、ね……」

 それが、最初で最後の、たった一つの、真実。

(生きなさい……)

 あの日のリセルの声を、聞いた気がした。


 フィデス本市 正門前広場外周環状線


 セレンが息を引き取ったのを確認すると、リセルはセレンの遺体を環状線の道端に横たわらせた。セレンには申し訳ないが、弔っている時間はない。美の女神、クレアファリスの葬送の詩を祈りと共に捧げると手を合わせ、セレンの遺体に背を向ける。

「済まない、セレン……」

 リセルは立ち上がると、精神集中を開始した。腹部のナイフは刺さったままだ。抜いてしまえばそこから血液が噴出し、止まらなくなってしまう。ナイフを抜く前に治癒の神聖魔導を行使するための精神集中を開始する。

(美の女神クレアファリスよ……)

 呪文詠唱を終えると、ナイフの柄を掴み、一気に引き抜く。

「っ!」

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 精神集中が乱れそうになるが、何とか持ちこたえ、治癒の神聖魔導を行使する。患部の細胞が急激に活性化し、熱を発してくるのが判る。

「く……」

 酷い熱と痛みが走るが、徐々に、ゆっくりと痛みが和らいで行く。しばらくそうして立ち尽くしていると、轟音がまた響いた。

「急がないと……」

 傷の痛みが引き、傷口が完全に塞がったのを確認すると、リセルは持っていたナイフの、自らの血で汚れた刃を上着の裾で拭った。帯剣用のベルトにはナイフをストックするためのスリットが付いている。そこにセレンのナイフを納めると辺りを見回した。

「いてくれたか!」

 少し離れた所にリセルの愛馬、アイセアがいた。流石に厳しい訓練を積んでいる軍馬だけあって多少の騒ぎでは動じず、こうして主人を待ってくれていたのだ。

「ありがとう、アイセア。……急ごう」

 リセルは馬に飛び乗り、首元を優しく叩き、腹を蹴った。


 第五話 再会 終り


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