正月、元日。十八時。高円寺。
昼間、初詣の人の往き来で賑わってた商店街も駅前のロータリーも、日が沈んじゃうと嘘みたいに静かになってた。やっぱ元日から開いてる店って少ないんだね。馴染んだ場所なのに、よそよそしい。車も通らないけど信号は動いてる、そんな街を、三人で歩いた。
『ハードボイルド探偵事務所』……うちの事務所だ。
どっか灯りのついてる良さそうな店無いかなー、ってキョロキョロしてるうちに着いちゃった。風が冷たかった。一月の北風は、木枯し紋次郎だ。淳ちゃんは篤藩次郎だけど、関係あんのかな。どうせ訊いたって、「あっしにゃあ関わりのねえことで」とか言うだけだろうな。腹立つ。
事務所の出入口の前まで来て、しめ飾りのこと思い出した。というかすっかり忘れてたんだけど、どうせ売ってなかったよね。神社の周り、おしることか甘酒とかのお店は出てたけど。淳ちゃんが鍵はどこだとモタモタしてる。どんくさい。あたしが自分の鍵出して開けた。さっさと中に入ろうか。
「ついでに着替えちゃってもいい? このままじゃ、焼肉なんて食べられないし」
「焼肉。いーねー」
新年早々、縁起がいい。
「それならいい店を知ってるぞ。バカ高いわけじゃないんだが肉は極上だ。七輪で焼くんだがな。脂がすごいから煙もすごい。真っ白だ。振り袖なんかじゃいられない」
「いーねー」
「さすが探偵さん。何でも知ってるのね」
「君の秘密も教えてくれ……」
「焦らないの。あとでゆっくり……ね?」
「はいはいはいはい、コントとかいらないから彰子さんはさっさと着替える! プライベートスペースに行った行った。淳ちゃんは、その店今日もやってんのか電話して確認な。あたしも家に連絡しとく。今日泊まるから、って」
まったく、アホかっての。
「あ、そーだ。彰子さん、あたしなんか着替え手伝う?」
「うん、大丈夫。ありがと、由紀奈ちゃん」
スーツケースと一緒に、彰子さんは奥に入ってった。あたしはドアを閉める。ここに立ってれば、淳ちゃんは悪さできまい。彰子さんは――さすがに淳ちゃんのパンツとか漁ったりしないよね? 可能性は否めないな。
「すったもんだがありまして。泊まることになった……いや、ちがうし。そんなんじゃねーし。てか何言ってんだよ。はいはい、はいはーい。がちゃん」
家に連絡入れた。淳ちゃんは残念なことに、言ってた焼肉屋、やってなかったらしい。探偵椅子にへたり込んで、ものすごいうなだれてる。残念なやつめ。
「しゃーないなー」
あたしの出番だ。由紀奈ちゃん情報網を駆使して、元日でもやってる焼肉屋が無いか調べてみる。無かった。
「二人ともどうしたの? そんながっくりしちゃって、うなだれて」
「すまん、彰子……」
「あたしたちは無力だ……」
「そんな、いいのに、焼肉じゃなくても。それに焼肉って言い出したの、私なんだし……ねえ、『イプセン』にしない? ここの真下。開いてるっぽかったし」
「え、そんなんでいーの?」
「え、そんなのでいいんですか?」
意外な提案に顔を上げると、大人カジュアルにお着替えした彰子さんの姿が目に入った。
「私、たくさん歩いて疲れちゃった」
たしかに、ずーっと草履だったもんね。疲れそう。って、いやしかし、その彰子さんの着替えたその格好。明るい色のショートダウンの中の、グレーのタイトめニットワンピがね、もうね。しかも極盛ってるし。ちょっと体の線がさ……さっきまでの振り袖とは、また違う大人っぽさだ……。
「おぶってやろうか?」
「いや淳ちゃん」
「抱っこがいいか」
「いーかげんにしろ」
彰子さんを見た途端に復活しやがって。
「まあ、ママ(マスター)なら言えば何でも作ってくれるからな。いい考えだ」
「それもそーだね」
こうして、あたしたちは『イプセン』へと階段を降りたのであった。
「あっけまーしてートゥーユー♪」
事務所の入ってるビルの地下一階のバー、『イプセン』に入ると、この店のマスターの箕浦美智雄さんがそんなハイテンションで迎えてくれた。店はかなり混んでた。普段はこんなお客さんいっぱいいることなんて絶対に無い。「なんで?」って淳ちゃんに訊いたら、「正月だからだろう」って答えた。正月だから飲みたいってのと、元日やってる店が少ないから、ってことらしい。ふうん。ボックス席がいっこ、ちょうど空いてた。
「今日は三人なのね。淳ちゃん、いいの? そんなんで」
マスターがコースターを持ってきて言う。
「どういう意味だ」
「虻蜂取らず、って言うじゃな~い?」
「妬いてるのか。安心しろ、俺はママ(マスター)ひとすじだ」
「なんだその謎リップサービスは。ややこしいこと言うなって」
「やだ~。本気にしちゃうわよ?」
「ちょっと。聞き捨てならないんだけど」
「ほらややこしくなった」
なんて言ってたけど、やっぱりマスターは忙しいみたいで、いつものゆるゆるオーダーを頼める空気じゃなかった。淳ちゃんはいつもの烏龍茶ロックで、あたしは普通の烏龍茶だ。彰子さんはウォッカマティーニを頼んで、「正月おまかせコース」とか言って出てきた「おせちライス」を三人でつっついた。餅じゃないのな。ま、餅焼くのって面倒だしね。んで、その「おせちライス」からだんだん、話題は彰子さんが追い出されたケンカのことに移ってった。
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