優希絵の通う野方女学院高校は同中学校と共に、事務所から北へ徒歩十五分ほどの距離に位置している。由紀奈はここに今年の春に入学したが、優希絵はおそらく中学からのエスカレーターだろう。近くを水色カブで通りかかったことは何度もあるが、中に入るのは初めてだ。そりゃそうだ。通門許可やらなんやらについては全て、善美ちゃんが学校側との間を取りなしてくれた。カブも敷地内に停めてよいとの事だったが、今はダイエット中だ、この程度の道は自分の足で来ることにしよう。志が高い。
「ぷっ。笑うんだけど」
「あら、わたくしは素敵だと思いますわ!」
初日であるこの日、俺は、清潔感のあるシンプルかつフォーマルな出で立ちでジェントルに決めて参上していた。この山高帽は学院の雰囲気にもぴったりだ……と思ったんだけどな。
「ごきげんよう、何でも屋さん!」
「ごきげんよー」
「俺は小堺さんじゃないぞ。さあ、案内してくれ。美術室はどこだ」
由紀奈と連絡を取って、落ち合った。校内はスマホは禁止らしいが、由紀奈だけは特別だ。そう、話をつけてもらっておいた。善美ちゃんパワーだ。
「こちらですわ!」
「淳ちゃん、周りしっかり見とくんだよ。あ、生徒のことじゃねーぞ。建物。ちゃんと頭に入れといてー」
学校というのは、日中はけっこうひっそりとしたモンだが、放課後となった途端、にわかに賑やかになってきた。部活動に励むジャリガキ、もとい、お嬢様がたがそこら中に湧いて出、ご帰宅するお嬢には、迎えの高級車がロータリーにずらりだ。
「壮観だな。あれ全部でいくらになるんだろうな」
「車ー? あー、そーいうのも見とかないとか」
「そうだ。場違いな車種があったら、そいつが犯人だ」
「ちょっと話急過ぎな」
ボディガードは俺だけじゃない。由紀奈にもサポートしてもらう。一人より二人、心を寄せ合えば、だ。
「これがきっと愛だね~」
「古いっての」
「こちらの棟ですわ!」
昨日の俺の狼藉もなんのその、優希絵はえらい上機嫌だ。敷地内と校内とを、グーにした両手を大きく振って、無い胸を張って、行進でもするかのように俺と由紀奈を先導している。
「俺の前にもいたんだろ? 前任のモデルが」
「ええ! おりました! でも、帰国してしまいまして、それで困っておりましたの」
「きこく?」
「イタリアの方でしたの!」
「由紀奈も知らないのか」
「だってあたし幽霊だもん」
「成仏しろよ」
「残念でしたー生き返りましたー」
「さあ、着きましたわ!」
美術部の活動場所である美術室は、メインの教室棟から渡り廊下で連絡した先にある特別教室棟の、二階一番奥の突き当たりにあった。中に入った途端、二十人ほどいた部員たちの注目を一斉に浴びた。俺は面食らった。ここまで歩いてる途中も、周りからチラチラ見られているのを感じていたが、やはり俺は注目されるのが苦手だ。動揺を隠すため、窓から外を眺めてみた。何やらノーブルな噴水付きの中庭が教室棟との間にあり、外のグラウンドやテニスコートその他とは、渡り廊下をくぐって行き来できるようになっていた。
「淳ちゃん、こっちこっち」
由紀奈に袖を引かれて美術室脇の準備室へ入ると、枯れたジジイがひとり、茶を啜っていた。
「せんせー、この人、新しいデッサンのモデル。ここ、控え室にさせてもらっていー?」
由紀奈に圧力をかけられ、ジジイはどこかへ消えていった。
「あれ、ウチの美術の先生。美術部の顧問。どっか行っちゃったね。まー気にしないでいーよ」
「ああ……」
「え、何。ぷっ。淳ちゃん、緊張してんの?」
「そ、そんなわけがあるか!」
言葉では否定したが、バレバレだった。大人数の目が集中することを思い、俺は恐怖していた。
「初日からそんなんでだいじょーぶなの」
「初日だからこその初々しさと思ってくれ……」
「ういういしさ。ぷっ。きも」
ジジイのいた机に灰皿があったから、一服つけて落ち着こうと思った。そうだ、どうせ相手は、由紀奈と変わらぬ歳のノーブルでノービスなジャリどもじゃあないか。仮にこれが全員彰子だったらどうだろう。逆に楽しい。しかし現実はそうではない。がっかりだ。そう思考を転がすことで俺は、見事に冷静さを取り戻した。要は発想の転換だ。
「しまっていこう」
「うわ、もー立ち直った。まじか」
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