前回の依頼人だった柏木彰子。謎の多い女だったが、俺は見事、依頼を果たしてみせた。だが二人の間には、果たせないままでいた思いがあった。また会うことになるとは望外すぎる僥倖だったが、いかんせん、タイミングが悪すぎる。
「なんだ、彰子か」
「つれない言いぐさ! 感動の再会じゃないの!」
「よりによってこんな時にな。間が悪い」
本当だったら熱烈大歓迎なのは間違いない。
「あの……柏木警部?」
「お知り合いですか?」
「あなたたちは下がってて。あのね、この人は特別なの」
「「は、はいい!」」
彰子は警官二人を軽くあしらった。
「偉いもんだな」
「もっと驚いてくれてもいいんじゃなくて?」
「何をだ」
「……そっか、バレてたってことね。私が警察の人間だって」
「まあな。俺は何でも知ってるんだ」
「そんなこと言って……まだ見てもいないくせに……」
そう言いながら、いつかのごとく急激に距離を詰めてきた。俺の右胸に頬を寄せ、左肩に指を這わせる。毛糸洗いに自信が持てそうな香りが流れた。
「し、師匠!」
「弟子の前だ。控えてくれないか」
「私ね、空気が読めないみたいなの」
「知っている」
俺は背を向けた。こっちは忙しいんだ。由紀奈がここに連れ込まれてから、まだ五分は経ってないはずだ。まったく、彰子め、何だって一刻を争うこんな時に。幹彦は顔を真っ赤にして俺にしがみついてきた。
「新しい彼女かしら?」
「これがデートに見えるか。弟子だと言っている」
「どうしたの、探偵さん……何だか怖い」
「由紀奈がさらわれた。この中にいる。ついさっきだ。ほら見ろ、そこのロールズはまだ温かい」
俺の探偵スマホをサーモグラフィモードにして、彰子に見せてやった。これはもちろん、由紀奈の手による改造だ。
「由紀奈ちゃんだったの! ごめんなさい、探偵さん。遠目だとそこまでわかんなかったの。なるほどね、すごく必死な訳がわかったわ」
「誰が必死だ」
「妬けちゃうわあ」
「茶化すんじゃない」
「本気なのに」
「今はそういう時間じゃない」
「安心して、探偵さん。さっきそのロールズロイスが来て由紀奈ちゃんを建屋に連れ込んだ時点で、機動隊を出動させたから」
「何だ、彰子、お前はここに張ってたのか」
どや顔でサーモグラフィを見せて、俺はまるで馬鹿じゃないか。
「突入するのに大義名分が必要だったの。感謝するわ」
「ふざけるな。機動隊はいつ来るんだ」
「怒らないで。もう間もなく。もう五分もしたら」
「遅い。俺は行くぞ」
リュックの中に入れてあった地下足袋を履いて、あとはこの身ひとつ、俺の準備は万端だった。
「師匠!」
「幹彦、お前はここで待ってろ。すぐ戻る。由紀奈を連れてな」
「うん……」
「幹……彦? 女の子じゃないの?」
「そうだった、幹彦、お前は本当は何と言うんだ」
「あ、みき……美貴だよ。僕の本当の名前は、立原美貴」
気づけば、わざと潰して出していたんだろう美少年ボイスはとっくにやめて、素の十五歳の少女らしい声になっていた。
「いい名だ。よし行ってくる」
「うん、気をつけてね、師匠」
「彰子!」
「なあに? 探偵さん」
「少しの間だが、幹彦を頼む」
「え、ええ。いいけど」
「美貴だってのに!」
どっちだっていい。どっちにしたって、俺の一番弟子だ。
そうして俺は、彰子の呼んだ機動隊の到着を待たずに、単身、由紀奈をさらった謎の敵アジトに乗り込んでいった。こういうのはむしろ、一人のほうが動きやすいんだ。俺はな。
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