「ぐあッ！」

　俺の右手首に強烈な痛みが走った。

　カガミが俺の右手首を掴（つか）み、〈怪力〉スキルの力で握り潰（つぶ）したのだ。

　意図的にではない。

　自分の身の危険を回避（かいひ）するための無意識な行動だったのだろう。

「この野郎！」

　俺は何とかカガミの手を振り解（ほど）いた。

　だが、カガミは反撃してこない。

　カガミは血だらけの顔を押さえ、うずくまって苦悶（くもん）の声を上げ始める。

　一方、俺はそんなカガミから自分の右手首に視線を移した。

　……確実に折れてやがる。

　右手首を折られたことで俺の怒りはさらに増した。

　そんな俺はうずくまっているカガミを睨（にら）みつける。

　もちろん、睨（にら）みつけるだけで終わるつもりは毛頭（もうとう）なかった。

　すかさずカガミの腹部に蹴りを叩き込もうとする。

　しかし、俺の蹴りは不発に終わった。

「やめろ、キース！　それ以上やると死ぬぞ！」

　カチョウが後方から俺を羽交（はが）い絞（じ）めにしたのだ。

「離せ、カチョウ。もう一発ぐらいやらねえと俺の気が済まねえ」

　俺がそう言うと、アリーゼは急いでカガミの元へ駆け寄って俺を睨（にら）みつける。

「アンタ馬鹿なんじゃないの！　いくら何でも女の子の顔を殴るなんて酷（ひど）いにもほどがあるわよ！」

　アリーゼはすぐに俺から顔を逸（そ）らし、カガミに回復魔法を掛けていく。

　そんなに深い傷ではないため、カガミの怪我はあっという間に治った。

　けれども俺に殴られたカガミはすっかり委縮（いしゅく）してしまい、俺のことを魔物を見るような怯（おび）えた目で見つめてくる。

　そのとき、俺はふと我に返った。

　左手には女の顔を殴りつけた感触がはっきりと残っている。

　では、罪悪感があるのかと問われれば否（いな）だ。

　俺の前で何度もあのクソ野郎の名前を出したカガミが悪い。

　――ズキンッ。

　直後、俺は右手首に走る痛みに顔を歪（ゆが）めた。

　クソッ、このままだと剣が振れねえ。

　俺はアリーゼに右手首を突きつけた。

「おい、アリーゼ。俺の右手首も治せ。そうしたらあの猿野郎を倒しに行くぞ」

　しかし、アリーゼから返ってきたのは沈黙だった。

「俺の声が聞こえねえのか？　早く治せって言ってるんだよ！」

「……分かった」

　表情を暗くしていたアリーゼの回復魔法で右手首が治った俺は、3人からジャイアント・エイプへと顔を向けた。

　どうやらジャイアント・エイプはまだ俺たちに気づいていないらしい。

　俺たちに背中を向けている体勢のまま、身体が呼吸によって膨（ふく）らんだり元通りになったりを繰り返している。

　やはり今が最大の好機（チャンス）だ。

　こんな絶好の機会を逃す手はねえ。

「よし、行くぞ」

　と、俺が先陣を切ろうとしたときだ。

「待て、キース。ここはやっぱり慎重に行こう」

「そうね。さっきのゴブリンのこともある。ここは慎重に行きましょう」

　俺には信じられない言葉が返ってきた。

　壮大（そうだい）な肩透かしを食らった俺は、2人に対して怒声を上げる。

「お前らまでそこのサポーター風情（ふぜい）に感化されてどうすんだよ！　こんな絶好の好機（チャンス）はねえんだぞ！」

　だが、返ってきたのは顔を下に向けた2人の弱気な様子だった。

　チッ、と俺は盛大に舌打ちする。

「とことん使えねえ奴らだな。ダンジョンのときといい宿屋でのときといい、どこまでリーダーである俺の足を引っ張るんだ」

　直後、カチョウとアリーゼの表情が一変した。

「ちょっと待ってよ。ダンジョンでの失態は私たちだけのせいじゃないでしょう。それに私たちを置いて我先に逃げ出したのはどこのどいつよ」

「アリーゼの言う通りだ。それに宿屋のときのことは拙者（せっしゃ）らではなく、お主があの修道女の怒りを買ったことが原因ではないのか？」

「ああ？」

　俺は2人に対してこれ見よがしにブチ切れた。

「あーもー、うるせえな！　分かったよ、ごちゃごちゃ言うのならそこで黙って見てな！　あんな無防備な猿野郎の1体や2体ぐらい俺1人でぶっ倒してやる！　腰抜けのお前らはせいぜいここで指でも咥（くわ）えてろ」

　だがな、と俺はカチョウに指示を出した。

「おい、カチョウ。もしもカガミが逃げ出そうとしたら絶対に止めろよ。そいつがいないと標的の首を持ち帰るのに苦労するからな。役に立たなくなった切り込み隊長でもそれぐらいのことはできるだろ？」

　そうだ、カガミは王宮に標的の首を届けるまで生きて貰（もら）わないと困る。

　だが、その後のカガミはもう用無しだった。

　けれども「はい、サヨナラ」というわけにはいかない。

　当然のことながら、カガミは仕事中に俺に殴られたことを言い触らすだろう。

　それだけは断固（だんこ）として阻止（そし）しなくてはならない。

　これ以上、俺の悪評（あくひょう）が世間に広まるわけにはいかないのだ。

　では、どうやってカガミの口から俺の悪評（あくひょう）が漏れないようにするか？

　まあ、そのときは暗（・）殺（・）ギ（・）ル（・）ド（・）の奴らにでも仕事を頼むかな。

　などと俺が考えていると、カチョウは今まで見せたことのない暗い表情で「キース、お主の言いたいことは分かった」と呟（つぶや）いた。

　どうやら俺の指示を受け入れたらしい。

「よし、絶対に逃（のが）すんじゃねえぞ」

　そうして俺は茂（しげ）みから開けた場所へと静かに躍（おど）り出た。

　念のため、1本は飲んでおくか。

　俺はズボンのポケットから小瓶（こびん）を取り出した。

　蓋（ふた）を開けて中身を一気に飲み干す。

　……ドクン。

　すぐに小瓶（こびん）の中身の効果が現れた。

　体内から通常では考えられないほどの魔力（マナ）が生み出されてくる。

　さすがは非合法な魔薬（まやく）の威力である。

　くくくっ、これでもう負ける気がしねえぜ。

　その後、俺はできるだけ足音を殺しながらジャイアント・エイプに近づいた。

　こちらに背中を向けているので心臓を一突きとはいかなかったが、それならば首を一刀両断すればいいだけだ。

　俺はジャイアント・エイプの間合いに入るなり、長剣をゆっくりと抜いて魔力（マナ）を刀身部分に集中させた。

　凄まじい魔力（マナ）を纏（まと）った長剣を大上段に構える。

　死ねや、猿野郎！

　次の瞬間、俺はジャイアント・エイプの首に向かって長剣を振り下ろした。

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