どうやら体調が戻ったのだろう。
キキョウは目覚めるとゆっくり上半身を起こし、無意識なのだろうが口元に付着していた吐瀉物を袖で拭った。
「もう大丈夫なのか?」
俺が優しく尋ねると、キキョウは驚いた顔を向けてくる。
「け、ケンシン・オオガミ……殿!」
直後、キキョウは大声で俺の名前を叫んだ。
続いてハッとした顔になると、自分の身体をまさぐり始める。
「なぜだ……どこも苦しくない」
キキョウが困惑するのも当然だった。
死を覚悟で非合法な魔薬を過剰摂取し、苦痛の極みを感じて気を失ったものの、目を覚ませば肉体が元通りに回復していたのだ。
驚くなと言うほうが無理だろう。
「安心しろ。お前の身体を蝕んでいた歪な魔力はもう消えたはずだ」
「まさか……一体、どうやって?」
「体内の気脈の流れを整えたあと、お前の体内に蓄積していた歪な魔力を気力で外に流したんだ。要するに毒消しだな。薬で散らすよりも効果的だから後遺症も残らないはずだぞ」
そう言うと俺は、キキョウに自分の身体をもっと確かめてみろと言った。
キキョウはおそるおそる自分の身体を詳しく確かめると、「本当だ。まったくどこも痛くない」と感心したように呟く。
「ケンシン殿……お主が拙者を助けてくれたのか?」
「いや、お前を助けたのは俺ではなくそこにいる――」
リゼッタだ、と答えようとしたときだ。
キキョウはすぐさま正座になった。
そして――。
「本当に申し訳ありませんでした!」
地面に額をこすりつけそうなほど頭を下げて謝罪してきた。
「拙者らを助けてくれた英雄に対して傍若無人な態度を取ったばかりか、己の悪行を擦りつけるような真似をしたこと平にご容赦願いたい。いや、謝っても許してもらえないことは重々承知しています。なので、どうかこれでご勘弁を――」
そう言うとキキョウは、地面に転がっていた大刀に手を伸ばす。
「――――ッ!」
俺はすかさずキキョウの手を掴んだ。
「な、何をなされます!」
「それはこっちの台詞だ。お前、その刀で何をするつもりだった?」
「…………」
言い淀むキキョウに俺は「まさか、また自殺するつもりだったんじゃないだろうな?」と睨みつけた。
「馬鹿野郎が、せっかく助かった命をすぐに捨てるな」
「しかし、こうでもしないとケンシン殿に対する責任を果たせません。拙者は自身の悪行が広まる恐れをケンシンの殿のせいにし、あまつさえケンシン殿に殺されることですべてを無かったことにしようとしたのですよ」
「だからといって自殺なんてするな。確かにお前のやったことは普通の人間にとっては許しがたいことだが、俺のような空手馬鹿にとっては些末なことだ」
俺はキキョウの手をそっと離した。
「それにお前がどういう理由で非合法な魔薬に手を出したのかは知らないが、非合法な魔薬には多かれ少なかれ頭の感覚を狂わせる副作用もある。そのせいでお前が今回の凶行に走った可能性もあるかもしれない……まあどちらにせよ、これに懲りたら非合法な魔薬とは完全に縁を切って真っ当に生きるんだな」
「まさか……拙者を許してくださるのか?」
「許すも何も俺にとってはこの程度のことはトラブルの内にも入らん。それにどんな事情であれ、目の前で女が死ぬのは見たく――」
ないからな、と言葉を続けようとしたときだ。
「拙者を弟子にしてくだされ!」
突然、キキョウは弟子入りを懇願してきた。
「ケンシン・オオガミ殿……拙者は感服致しました。あなたは拙者の意図を的確に見抜いたばかりか、傍若無人な振る舞いをした拙者に対して武人としての生き様すらも教えてくれた。その慧眼、その寛容さ、その強さ、真にもって御見それしました」
キキョウは明星を仰ぐように俺を見つめてくる。
「そして、あなたは気を失う前に拙者に言ってくださった。生まれ変わったつもりで生きてみろ、と。ならば、拙者はその言葉通りに生きてみたい思います」
「それが俺の弟子になることだと?」
「はい。サムライだった拙者はたった今ここで死に、英雄であるケンシン・オオガミ殿の弟子として生まれ変わりました。何卒、これからは拙者に武芸の教示ばかりか、人生においての導き手になってくだされ。もちろん、虫の良い話だということは承知しています。ですが何卒、何卒お願い致します」
俺はキキョウに対して真剣な表情を向けた。
こいつ、本気だな。
キキョウは心の底から反省した上で俺の弟子になりたがっている。
ゆえに俺がここで弟子入りを断った場合、今度こそキキョウは失意を胸に自害するだろう。
それほどの本気さは痛いほど伝わってくる。
だとしたら、俺が出すべき答えは一つしかなかった。
「分かった。お前を弟子にしよう」
「本当でございますか!」
「こんなことで嘘を言ってどうする。だが、俺の弟子となる以上は今後二度と非合法な魔薬を服用するのは禁じる。生まれ変わったと言うのなら、そんなものに頼らなくても強くなってみろ」
それは俺自身にも言えたことだった。
生まれ変わったつもりで生きてみろ、と叱咤したのは俺なのだ。
他にも安易に死を選んで責任を取った気になるなとも言った手前、キキョウが自分で死を選ぶような選択肢を俺自身が与えてはならない。
それにこの世は袖振り合うも他生の縁という。
どんなに些細なキッカケでも、その出会いは前世からの因縁によるものだから大切にしろというヤマト国の言葉だ。
そして師匠であった祖父の好きな言葉でもあった。
このキキョウとの出会いも、エミリアと同じく何かしらの縁なのかもしれない。
などと俺が思っていると、「ケンシンさま」と俺を呼ぶ声が聞こえた。
声がしたほうに視線を移すと、正座していたキキョウの横にいつの間にかリゼッタが座っていた。
しかもキキョウと同じくきちんと正座している。
「り、リゼッタ?」
俺がおそるおそる声をかけると、リゼッタは涙目のまま大きく鼻をすすりながら口を開いた。
「うちも……うちも今度こそちゃんとした弟子にしてください」
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