冒険者ギルドを出ること数分――。
俺とエミリアは路地裏にあった、それなりの広さがある空地へと辿り着いた。
一足先に到着していたキキョウは、空地の真ん中で仁王立ちしている。
「それで? こんなところに来てどうするんだ?」
俺がキキョウに尋ねると、キキョウは真剣な表情のまま口を開いた。
「ケンシン・オオガミ殿……拙者と死合っていただきたい」
一瞬、俺は何を言われているのか理解できなかった。
「しあう? それはここで俺と立ち合いたいってことか?」
立ち合いとは、武術用語で互いに一対一で勝負するという意味だ。
キキョウは小さく首を左右に振った。
「ただの立ち合いではない。拙者はお主と死合いたいと申している」
「……一つ訊いておきたいんだが、お前が言うしあうというのは単純に技を競う試し合いのほうの試合か? それとも互いに命を懸けて勝負するほうの死合いか? どっちだ?」
「むろん、後者のほうだ」
ふむ、と俺は特に動じずに両腕を組んだ。
どうやらキキョウは本気で俺と命のやり取りをしたいらしい。
俺も物心ついた頃から生死を彷徨うほどの修行をしてきた身だ。
こと闘いにおいては、相手が嘘か本当かを言っているのかぐらい見抜ける。
ただ、どうしてキキョウが俺と死合いたいのかが分からない。
キキョウと出会ってから今までの記憶をざっと思い返してみても、死合いを申し込まれるほどの恨みを買った覚えは少なくとも俺にはなかった。
だとすると、直接的な恨みを買っているのは俺ではなく……。
ちらりと俺は隣にいたエミリアを見る。
もしかすると、食事をする前にエミリアから相談されたキキョウのあのことが関係しているのか?
もしそうならば、エミリアもここに連れて来た理由に納得がいく。
「なぜ、拙者がそなたに死合いを申し込んだのか分かるか?」
俺はエミリアからキキョウへと顔を向けた。
切羽詰まった表情のキキョウからは、見るからに焦りと緊張の色が窺い知れる。
「そうだな……正直なところ、俺には心当たりがない。だから理由を教えてくれないか?」
俺は自分が発した言葉の中で、俺にはという部分を特に強調させてみたことで探りを入れてみる。
当たっているのなら、何かしらの反応が返ってくるはずだ。
「なるほど……どうやらその口振りだと、そこの一番弟子から拙者のあのことについて聞いているようだな」
どうやら俺の予想は当たっていたらしい。
「お前が使っているかもしれない、非合法な魔薬のことか?」
ぴくり、とキキョウの目眉があからさまに動いた。
どうやら確実に使っているようだ。
「エミリアから聞いたときは少しだけ驚いた。まさか、俺に対して非合法の魔薬を使っていると罵りながら、実際はその発言した本人が使用していたとはな」
俺の言葉にキキョウは下唇を噛み締めた。
そして、ぼそりと呟く。
「……軽蔑しただろう?」
「軽蔑? 誰にだ?」
「とぼけるな!」
突如、キキョウは鬼気とした表情で声を荒げた。
「勇者パーティーに所属する偉大な兄を持ち、冒険者の中でも一目置かれていたAランクの拙者にだ!」
キキョウは左腰に差されていた大刀の柄に右手を添える。
「今のお主からすれば拙者など、何度殺しても殺し足りないぐらい憎い相手だろうな……ふっ、当然だ。あれだけ大勢の前で罵った拙者こそ、実は非合法な魔薬を常習していた人間だったのだからな」
直後、キキョウはすらりと大刀を抜き放った。
「そしてダンジョンの下層や裏闘技場だけならいざ知らず、平時においても日常的に非合法な魔薬を使っている冒険者など害悪に過ぎん。たとえどのような理由があろうとも、そんなことをした時点でその冒険者は終わりだ」
キキョウは両手で持った大刀を顔の横に立てるように構えた。
八相と呼ばれる、ヤマト国の剣術の構えだ。
それでも俺は構えず、平然とした態度でキキョウを見つめる。
「お前が日頃から非合法な魔薬を使っているのは分かった。だが、それでお前が俺に死合いを挑んでくる意味が分からん」
キッ、とキキョウは俺を鋭く睨んでくる。
「隠さなくてもよい。どうせお主は拙者に罵られた腹いせに、もう他の冒険者たちに言い触らしているのだろう? ケンシン・オオガミに偉そうなことを言っていたキキョウ・フウゲツこそ、日常的に非合法な魔薬を使っていた恥知らずであり、しかも〈魔の巣穴事件〉では何も力を発揮できなかった臆病者だと……」
俺はキキョウの目に薄っすらと涙が浮かんでいたことに気づいた。
「ならば、もう拙者は冒険者として終わりだ。その噂は立ちどころに広まり、やがて兄上の耳にも届くだろう。そうなれば兄上にも多大な迷惑がかかる。妹として責任は取らなくてはならん。この命を以てしてな」
そのとき、俺の武術家としての勘が最大限に働いた。
こいつ、まさか……。
俺が目眉を強く寄せた直後、キキョウは懐から小さな小瓶を取り出した。
親指一本で上蓋を開けて、一気に中身を飲み干す。
すると、キキョウの身体から凄まじいほどの魔力が沸き上がった。
その魔力は燃え盛る業火のようにキキョウの全身を覆い尽くしていく。
「だが、拙者にもサムライとして……武人としての矜持がある。どうせ死ぬなら英雄に挑んで死にたい。さあ、ケンシン・オオガミ殿。そなたを大衆の面前で罵った、この馬鹿な女の剣を受けてくれ」
そして――。
「神威一刀流、キキョウ・フウゲツ――死して参る!」
次の瞬間、キキョウは放たれた弓矢のように突進してきた。
「せやあああああああ――――ッ!」
キキョウは裂帛の気合とともに、疾風のような斬撃を繰り出してきた。
その斬撃は空中に銀色の閃光を迸らせながら、吸い込むように俺の急所へと立て続けに飛んでくる。
しかし、俺はキキョウの斬撃をことごとく回避した。
袈裟掛けの斬撃には、後方に跳ぶことで避け――。
真っ直ぐ飛んで来た突きには、身体を捻って躱し――。
横一文字の斬撃には、大きく身体を沈み込ませるなどして回避していく。
「な、なぜだ!」
どれぐらいキキョウの攻撃を避け続けただろう。
さすがのキキョウも俺から距離を取り、荒ぶる呼吸を必死に整え始めた。
「なぜ、反撃してこない! お主なら、いつでも拙者から後の先(カウンター)を取れるだろうに!」
まあな、と俺は毅然とした態度で答える。
「人間の身体の構造は例外を除いて皆同じだ。そして、そんな人間が手にした剣での太刀筋なんて9つしかない。上中下、真ん中、左右、斜めのな。それに俺はお前の踏み込みの位置や手首の動きを見て、ほぼ100パーセントの確率で斬撃の軌道を読める」
「だったら――」
なぜだ、とキキョウが言う前に俺は言葉を発した。
「もういい加減に刀を納めろ。今のお前に俺は斬れないし、俺は自暴自棄になっている奴の望むようなことは絶対にしないぞ」
キキョウもそこでようやく気づいたのだろう。
自分の狙いを俺がすでに見透かしていることに。
しかし、キキョウは諦めなかった。
キキョウは再び懐からもう一本の小瓶を取り出すと、蓋を開けて中身を飲み干したのだ。
この馬鹿野郎!
俺が心中で叫んだのも束の間、キキョウは胸を押さえて苦しみ出した。
非合法な魔薬の過剰摂取による副作用だ。
「ああああああああああああ――――ッ!」
断末魔の叫びを上げたキキョウは、そのまま前のめりに倒れ込む。
それだけではない。
キキョウは乳白色の吐瀉物を吐き出しながら、全身を小刻みに震わせ始めた。
そんなキキョウに俺とエミリアは一目散に駆けつける。
俺はすぐにキキョウの身体を仰向けにすると、上半身だけを抱き起した。
「この馬鹿野郎が。どうして自殺なんて選んだ」
俺が小さく叫ぶと、エミリアが驚いたように目を丸くさせる。
「え? ケンシン師匠、どういうことですか?」
「どうもこうもない。こいつは自分の悪評が兄のカチョウに行くのを恐れて、悩んだ末に自殺を選んだんだ。俺に命を懸けた死合いを申し込み、俺に殺されるなんていう馬鹿な自殺をな」
「そ、そんなことで簡単に死を……」
「ヤマト国のサムライの性質ってやつさ。良くも悪くも死生観が狂ってるんだ……何て言っている場合じゃないな」
さて、どうする。
このままだとキキョウの命はあまり長くない。
全身に強力な魔力が溢れているものの、自分自身で制御できていないためその強力な魔力が自らの肉体にダメージを与えてしまっている。
それは魔力の暴走とも言えた。
しかもその暴走の仕方が普通よりもおかしい。
まるで体内で疑似的な魔力を作り出しているような感じさえある。
おいおい、まさか。
最初に会ったときにも感じたが、キキョウは俺たちと同じかもしれない。
生まれつき魔法が使えない魔抜……。
そこまで考えたとき、キキョウは俺の腕の中で暴れ出した。
顔は真っ青になり、額からは大量の汗がにじみ出ている。
呼吸は荒くなる一方で、全身の震えもどんどん強さが増していく。
「こ……して……」
キキョウは朦朧としていた意識の中で、俺の空手着の襟元を掴んでくる。
「た……頼む……殺し……殺してくれ……」
このとき、俺の脳裏に半年前のあの戦い――戦魔大戦での記憶の一部がまざまざと蘇ってきた。
……お願い、ケンシンさん……わたしを……わたしを殺して……
嫌だ、と俺は強く頭を左右に振った。
あんな思いをするのはこりごりだ。
もう、俺の手の中で女を死なせたくない。
俺はキキョウに対して「ふざけるなよ」と一喝した。
「そんな気概があるのなら、自殺なんて選ばず死んだつもりになって生きてみろ! 恥も何もかもすべて受け入れ、生まれ変わったつもりで生きてみろ! それが本当の武人の生き様ってもんだろが! 安易な死を選んで勝手に責任を取ったつもりになるな!」
「け……ケン……シン殿……」
俺の名前を口にしたあと、キキョウは意識を失った。
死んだわけではない。
だが、明らかにその一歩手前まで来ている。
「ケンシン師匠、どうしましょう! このままじゃ、キキョウさんが……」
分かっている。
だが、ここでは対処できない。
「そうだ、ケンシン師匠。私のときのように、ケンシン師匠のスキルの中なら治療ができるのでは?」
「俺もそれは考えた。ただ、今の魔力が暴走している状態のキキョウでは【神の武道場】の中には入れない。万が一、上手く入れたとしてもすぐに強制排除になる」
だとするとやはり医者に診せるのが妥当だろうが、非合法な魔薬の副作用の処置ができる専門医を今から探す時間なんてあるだろうか。
くそッ、どうすれば。
そう思いながら俺が奥歯を軋ませたときだ。
「みーつけた」
空き地の入り口から凛然とした声が聞こえてきた。
俺は声が聞こえてきたほうへ顔を向ける。
「ようやく見つけたで。うちの勇者さま」
そこにはクレスト教の聖服を着た、見知らぬ銀髪の少女が立っていた。
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