「す、凄い……こんな大浴場を見るのは生まれて初めてです」
エミリア・クランリーこと私は、立ち上る湯気で部屋全体が曇っている光景を見て感嘆の声を漏らした。
「確かに……このような立派な湯屋はヤマトタウンでもお目にかかれません」
キキョウさんも同意見だったらしく、私と同じ周囲を見渡しながら驚きの声を上げていた。
「うちは似たような場所を知っているさかいそんなに驚かんが、それでもやっぱり生物収納系のスキルの凄さは偉大やで。こうして安全に汗を流せる場所を好きなときに使えるのは堪らんわ」
リゼッタさんも腰に手を当てて嬉しそうにしている。
無理もなかった。
現在、私たちの目の前には畳敷きの道場とは別な光景が広がっている。
それは巨大な浴場だった。
リザイアル王国の街中にも天然の温泉を利用した巨大な大衆浴場があるが、その大衆浴場よりも広い浴場が目の前に存在しているのだ。
ヤマト国特有の内装なのだろうか。
上等な木材を使用したいくつもの浴槽には龍の形をした装飾品が施され、その龍の口から大量のお湯が浴槽の中へと注がれていた。
他にもこの浴場には2階部分もあるらしく、道場部分と同じく成人した大人が100人は入れるほどの浴場の中央には2階へと続く階段が設けられている。
けれども、ここは【神の武道場】の外ではない。
ケンシン師匠曰く、ここは【神の武道場】の中に存在している数多ある特別な場所の1つなのだという。
そしてこの場所こそ弟子の自分たちが単独で来れる道場以外の場所の1つであり、この大浴場に来れば汗も流せるし空手着を脱いでも大丈夫らしい。
ちなみにここでは自動的(?)に空手着が洗濯されるので、必ず1日に1回は衛生面と健康面も踏まえた上で活用するようにケンシン師匠に言われた。
「おい、お前たち。いつまでも喋っていないでちゃんと湯船に浸かって身体を温めておけよ。もっとも風邪を引きやすいのは、運動したあとに汗を拭わず体温を冷やしたときなんだからな」
私たち3人が入り口で騒いでいると、あとからやってきたケンシン師匠に真後ろから声をかけられた。
「申し訳ありません、ケンシン師匠。すぐに使わせて――」
いただきます、と私が身体ごと振り向いたときだ。
「……きゃあッ!」
私はケンシン師匠を見るなり悲鳴を上げてしまった。
すぐにキキョウさんとリゼッタさんも振り向くと、キキョウさんは「むむ……」と唸り、リゼッタさんは「ケンシンさま、そら眼福やで」と狂喜する。
私たちの目の前には、裸同然のケンシン師匠が立っていた。
細身だが均整の取れた筋肉質な肉体。
どれだけ修練と実戦を積み重ねてきたのだろう。
ほとんど贅肉のない肉体には、上半身を中心に大小無数の傷があった。
そして股間の大事な部分はヤマト国の下着(あとでキキョウさんから褌という下着だと教えて貰った)で隠していたが、それ以外はすべて脱いで裸だったのだ。
「どうした? エミリア。何をそんなに驚いているんだ?」
一方のケンシン師匠は私が悲鳴を上げた意味が分からなかったらしい。
1人だけわなわなと身体を震わせている私を見て小首を傾げた。
「驚くに決まっています! ど、どうしてケンシン師匠は裸同然のままそこにいるんですか!」
「変な奴だな。お前は風呂に入るときも服を着て入るのか?」
「あっ、それもそうですね……って、違います! 私が言いたいのはどうしてケンシン師匠が私たちと同じ浴場にいるのかと言うことです!」
私の指摘にケンシン師匠は得心がいったような顔を浮かべた。
「そうか……この国では男女とも浴場に入るときは別々だったな。すまん、いつも俺は1人でこの【神の武道場】の中で汗を流していたからすっかり忘れていた」
ケンシン師匠が私に謝ると、隣にいたキキョウさんが「ケンシン殿に落ち度はござらん」と言った。
「我らヤマト人にとって湯屋は男女混浴が当たり前だ。むしろ、この国のように男女が別々で入るほうがおかしい」
え? そうなのですか?
私はキキョウさんからリゼッタさんに視線を移した。
「さすがに素っ裸はアカンけど、アルビオン公国も基本的に大衆浴場に入るときは大人も子供も関係なく男女混浴やで。まあ、そんなことはともかく……ここにはうちらしかおらへんのや。恥ずかしがっとってもしゃーないやろ」
するとリゼッタさんは、帯を解いて空手着を脱ぎ出した。
「うむ、そうだな。それに師匠を前に弟子が恥ずかしがることなどない」
続いてキキョウさんも平然とした顔で帯を解いていく。
「え? あ、あの……」
1人だけ取り乱している私を見て、ケンシン師匠は「落ち着け、エミリア」と優しく声をかけてくれた。
「俺は向こうのほうの湯船に浸かっているから、お前は俺のことなど気にせず好きな場所で汗を流していればいい……じゃあな」
そう言ってケンシン師匠は、落ち着いた足取りで別の場所へ歩いていく。
「け、ケンシン殿! せ、拙者はヤマト人ゆえ男女の混浴など気にしませぬ……ですから、その……一緒に湯に浸かっていただけたら」
「それならうちも気にしまへん。ケンシンさま、うちと一緒に仲良く隣同士で湯に浸かりましょう。何だったらお背中も流しますよって。ケンシンさまが望むのなら、それこそ別な場所も……」
ケンシン師匠は立ち止まると、顔だけを振り向かせる。
「冗談はそれぐらいにして、お前たちだけでゆっくり湯に浸かってみろ。せっかく同門になったんだ。弟子同士、裸の付き合いも悪くないと思うぞ」
またあとでな、と言い残してケンシン師匠は去って行った。
「もう、ケンシンさまは相変わらずクールやな……まあ、ええわ。ようやっとケンシンさまの正式な弟子になれたんや。これからいつでも好機はあるわ。くくくっ、楽しみやで」
何が楽しみなのかは分からなかったが、奇妙な笑い声を上げながらリゼッタさんは恥ずかしげもなく空手着を脱いだ。
「まったく、会話の内容だけ聞いているとクレスト教の聖女殿とは思えないな」
キキョウさんは大きなため息を吐くと、空手着を脱いで周囲を見回す。
「はて? この空手着はどこへ置いておけばいいのだ?」
「そこでええんちゃう」
リゼッタさんが指し示したほうには、ちょうど良いサイズの籠が置かれていた。
「おお、まさしく湯屋にある籠だ」
キキョウさんは脱いだ空手着を綺麗に折り畳んで籠の中に入れた。
リゼッタさんも同じく、脱いだ空手着を綺麗に折り畳んで籠の中に入れる。
「おい、エミリア。お前も早く脱げや。ケンシンさまが言うように、そのままやと風邪を引いてまうぞ」
「あ……は、はい」
私はリゼッタさんに言われるまま空手着を脱いだ。
キキョウさんやリゼッタさんに倣い、空手着を綺麗に折り畳んで帯とともに籠の中に入れる。
そうして私たちは近くの浴槽に向かうと、浴槽の横に用意されていた丸桶に湯を入れ、自分たちの身体にかけて汗を流し落とす。
これだけでも気持ちよかったが、そのあと浴槽に身体を浸けたときの快感は想像以上だった。
き、気持ちいい。
全身どころか脳がとろけるほどの高揚感が身体中を駆け巡っていく。
うっかり気を抜くと寝落ちしてしまいそうだ。
「これはいかん……気持ちが良すぎて馬鹿になってしまう」
「ホンマやな。何や世俗の垢も根こそぎ落ちていきそうや」
このあと私たちは、湯船に浸かりながら他愛もない話で盛り上がった。
一方、その頃――。
「随分と盛り上がっているな……うん、良いことだ」
俺は1人で湯船に浸かりながら呟いた。
3人のいる浴槽から離れた場所にいるものの、声だけは反響のせいもありしっかりと聞こえている。
なので会話している3人の声を聞きながら、俺の顔も自然とほころんだ。
たとえ最初の出会いや途中でいがみ合った仲とはいえ、もうあの3人はれっきとした闘神流空手・拳心館の門下に入ったのだ。
これから腕を磨き合う中で互いの仲も深めていければと思う。
いや、是非ともそうなって欲しい。
なぜなら、俺の正式な弟子になったということは家族になったも同然だからだ。
決して互いを憎まず、恨まず、僻まず、切磋琢磨しながら空手の技を磨いていって欲しい。
そうすれば、あの3人はどこまでも強くなれる。
すでに3人ともその素養は十分に見て取れるのだ。
何年後になるかは分からないが、真面目に修練と実戦を積み重ねていけばきっと3人の名は広く世間に知られていくだろう。
もしかすると俺の空手家としての最終目標である、〝戦魔大陸の制覇〟にも協力してくれるほど強くなるかもしれない。
戦魔大陸の制覇。
かつての祖父も実現できなかった偉大な冒険だが、これは俺1人でどうにかなるものじゃなかった。
少なくともあと3人の仲間はいる。
それこそ俺と心技体が通じ合った強力な仲間たちが。
今のところその3人はエミリア、キキョウ、リゼッタなのだが……
そのとき、俺はふと自分をパーティーから追放した別の3人の顔を思い出した。
勇者こと、キース・マクマホン。
サムライこと、カチョウ・フウゲツ。
魔法使いこと、アリーゼ・クイン。
追放されてまだ数日だが、もうあれから何か月も経っているような感覚がする。
そして、もしかしたら俺の戦魔大陸の制覇に協力してくれたのはあの3人だったかもしれない。
「……あいつら、今頃は何をしているのかな」
俺の代わりのサポーターを雇ってダンジョン攻略をしているのだろうか。
あいつらの真の実力だとBランクのダンジョンでも相当に戦術と戦略を立てないと攻略は難しいだろうが、国から賜った神剣を上手く使えばその問題もやがては解決するだろう。
ただ心配なのは、自分たちが強くて偉いと錯覚している3人の思い込みだ。
あの思い込みを消せなければ、おそらく今まで味わったことのないほど痛い目に遭うだろう。
そうならないよう祈っていたものの、俺の予想が的中したことを知ったのはかなり後になってからだった。
それもリザイアル王国全土を巻き込むほどの最悪な形で――。
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