すべてを話し終えたとき、俺は眉間に深くしわを寄せた。
「……どうして君が泣くんだ?」
気がつけばエミリアの頬に一筋の涙が流れている。
「すみません……私も似たような過去があったので、つい今のケンシン師匠と昔の自分を重ねてしまいました……本当に……すみません」
それ以上の涙を必死に堪えていたエミリアを見て、俺は他の冒険者たちから聞いたリザイアル王家について思い出した。
大陸の中でも有数の国土を誇るリザイアル王国は、一部を除いて平民から王家まで魔力の素質を持った人間が多く生まれてくる。
もちろん、魔力の素質を持った人間が全員とも魔法を使えるわけではない。
魔法も武術と同じく技術の一つなのだ。
当然ながら優れた使い手に師事しなければ小さな魔法一つ使えない。
その中において王家の人間たちは、幼少から徹底的な魔法の英才教育を受けるという。
理由は簡単だった。
それはこのリザイアル王国が〈世界魔法政府〉の直轄国家だからに他ならない。
すなわち大きな魔力残量を持っていて、かつ常人には足元にも及ばない高度な魔法が使える。
その優位性を持ってリザイアル王家は神の如く存在しているのだ。
だからこそ、王家の生まれで魔力がなかった者がどんな扱いを受けるかは想像に難くない。
おそらく、エミリア(本名はクラリアと言うのだろうが)は王家から蔑ろにされている。
リザイアル王国の第二王女でありながら、自由に城下を動き回れているのがその証拠だった。
むしろ地下牢に幽閉されていたり、秘密裏に暗殺されていないだけマシだ。
いや、王家の人間から見てエミリアは幽閉したり暗殺する価値もないのだろう。
それゆえにエミリアは選んだのかもしれない。
飼い殺しにされる王妃の立場よりも、自分の腕前一つで生きる冒険者として生きていくことを。
同時に強く思ったはずだ。
そのためには武術で強くなるしかない、と。
ステータスのスキルや特技の項目に拳術や徒手格闘術と記されていたのは、人知れず修練を積み重ねた末に何とか会得したのだろう。
それも武器ではなく、素手の格闘術というところが俺的にはグッときた。
王宮の中で女が武器の類を手に入れるのは難しいはずだ。
けれども、素手の格闘術ならば人目を盗んで稽古ができる。
そんな考えに至ったのだろうエミリアは、王宮の中だったのかは分からないが、それなりの熟練者に師事して武術の修練に励んできたのだろう。
おそらく何年間も地道にひたすらに――。
「エミリア……君は今よりも強くなりたいか?」
俺が真剣な表情で尋ねると、エミリアは力強く「はい」と答えた。
「私は強くなりたいです。これまでの生き方を堂々と自分で否定できるほど強くなりたい……ですから」
エミリアはヤマト国の正座になって居住まいを正すと、畳に額が触れるほど深々と頭を下げた。
「どうかお願いします、ケンシン師匠! 私を弟子にしてください!」
一拍の間を置いたあと、俺は再びエミリアに質問する。
「それは自分を蔑ろにした王家の人間たちに復讐するためか?」
「違います!」
エミリアは顔を上げると、曇りのない目ではっきりと口にする。
「そんな風に思っている部分がある自分を変えたいからです! 私はもう誰も憎んだり恨みたくない! こんな境遇に陥った自分の過去ですら、笑って吹き飛ばせるほどの強さが欲しいのです!」
この瞬間、俺の全身に言い知れぬ衝撃が走った。
エミリアは王家から追放同然の扱いを受けながらも、肉親である王家の人間たちを恨むことなく自分の運命を切り開こうとしている。
本来、王家というのはエミリアのような人間を言うのかもな。
俺はふと数日前の出来事を思い出した。
キースを筆頭に他のメンバーたちの実力と名前も知れ渡り、王宮へと呼ばれたときのことだ。
そこでキースは国王から直々に《神剣・デュランダル》を与えられ、名実ともにキースは国が認める正式な勇者の一人に選ばれた。
同時に他のパーティーメンバーの活躍も認められ、晴れて【神竜ノ翼】は勇者パーティーへと昇格したことは今でも鮮明に覚えている。
しかし、そのときの俺に対する王家の人間たちの目つきもよく覚えていた。
何か得体の知れないモノを見るような微妙な目つき。
俺が素手素足で空手着を着ていたことも理由の一つだっただろうが、やはり一番の理由は俺が魔力0の魔抜けだとキースから紹介されたからだろう。
そして《神剣・デュランダル》の授与式のあとに開かれたパーティーに俺だけ参加を許されなかったのは、王家が俺のことを勇者パーティーの一人だと暗に認めないことを表していたからだ。
結果、そのことも踏まえて俺は勇者パーティーから追放されてしまった。
悔しさがないかと言われれば嘘になる。
だが、それでキースたちに復讐してやろうだなんて思っていない。
それはすでに他界した、尊敬する祖父の遺言を守りたかったからだ。
俺はエミリアから視線を外し、室内を煌々と照らす照明器具が設置されていた天井を見上げる。
――ええか、ケンシン。人から何か嫌なことをされても、それで相手に何かしてやろうなんて簡単に思ったらアカンで
物心をついた頃から空手を教えてくれた師匠であり、【神の武道場】の先代道場長であった祖父の姿が脳裏に蘇ってくる。
――嫌なことや辛いときがあったら空手の稽古をせえ。それが何百年も前に本物の神さんから闘神流空手と【神の武道場】を受け継いだオオガミ家の本懐や
脳裏に浮かんでいた空手着姿の祖父の言葉は続く。
――それでも心のわだかまりが消えんのやったら、そのときは弟子を取れ。お前とお前の空手を認めてくれる弟子を取って、その弟子に技を教えながら自分も稽古するんや
俺は天井からエミリアへと視線を戻した。
エミリアから向けられている、力強い眼差しを一心に受け止める。
――ええな、ケンシン。闘神流空手と【神の武道場】はお前一人だけが強くなるためにあるんやない。この二つは人のために使ってこそ、本来の効果を発揮することを忘れたらアカンで。武術の極意は他人を尊敬し、自分を信じる〝他尊自信〟にこそアリや。それさえ忘れなければ、お前はどこまでも強くなれるわ
「他尊自信……か」
よく空手の稽古の合間に祖父が口にしていた、闘神流空手の理念を表していた言葉だ。
もちろん、俺はずっとこの言葉を念頭に生きていたつもりだった。
けれども、今になって思い返してみれば俺は勘違いをしていたのかもしれない。
キースたちのことにしてもそうだ。
あの戦いのせいで精神が落ち込み、行き場すら失っていた当時の俺をパーティーに誘ってくれたキースたちの恩に報いるため、俺はキースたちを成り上がらせようと必死に裏からサポートした。
それがキースたちのためにもなり、自分の人生の幸福に繋がると信じたからだ。
しかし、結果的に俺はキースたちから疎まれてパーティーを追放された。
「余計なお節介だったんだな」
もしかすると最初から裏方のサポーターとしてではなく、キースたちを堂々と守る空手家として接していたら状況は大きく変わっていたのかもしれない。
「まあ、どちらにせよもう遅いか」
一度コップからこぼれた水はもう元には戻らない。
だが、空になったコップに新しい水をそそぐくことは出来る。
「分かった。君を俺の弟子にしよう」
と、俺がエミリアにはっきりと告げた直後だった。
ビイイイイイイイイイイイイイイイイイイ――――ッ!
突如、耳朶を激しく打つ警報音が鳴り響いた。
「な、何ですかこの異様な音は!」
エミリアは魔物か何かの叫び声と勘違いしたのだろう。
見るからにあちこちを見回して動揺し始めた。
「落ち着け。これはタイムリミットが近づいているという警報音だ」
などと説明したところでエミリアが理解できないこと分かっていた。
だが、警報音が鳴った今となっては詳しく説明している暇はない。
このままだとエミリアは道場破りと認定され、強制排除の対象になってしまう。
「エミリア、一旦外へ出るぞ。そして、改めてもう一度ここに来たときに弟子の契りを交わそう」
そう言って俺は再び三戦の構えを取り、全身に気力を充実させた。
そして――。
「スキル解除――【神の武道場】」
直後、俺とエミリアの足元が眩く光り始めた。
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