腹が痛い。
肩が痛い、足が痛い、腕が痛い、とにかく全身が痛い。
その中でも特に痛むのは、胸の奥底に沈んでいる心とかいう厄介な器官。
「陽夏、大丈夫、大丈夫だよ。怖いものなんて、何にもないよ」
何かに怯えて叫んで、ぼろぼろ泣きだした友達を、これ以上怯えさせないように優しく語り掛ける。
背中に手を回して、一定のリズムで優しく叩く。
ああ、胸が痛い。
彼女が何かに悩んでいたことに、気が付こうともしなかった。
彼女が突き放すように放った水球は、硬式野球ボールもかくやと言わんばかりに固く、そして痛かった。
あれに殴られ続けるのであれば、たしかにいずれ魔物は倒されるだろう。
ぶつけられた体のどの部位よりも痛むのは、私の心。
ふがいなくて情けなくて、悔しかった。
「陽夏、頑張ったんだね。私、ちゃんと話聞くから。だから、だから……」
いつもの笑顔を見せてほしい。
そんな願望を口にするよりも先に、歌麿さんの勝鬨が上がる。
「ナイトメア・ミラー! 討伐完了ですぞ!」
その瞬間、ガチャリ、とどこからか鍵の開く音がする。
音を辿れば、入ってきた方向とは真逆の、正面。
次のフロアへ続く扉の、鍵が開いた音だった。
「陽夏」
全身から力が抜け、だらりと地面に蹲る陽夏の身体。
支えきれずに、諸共膝をついてしまう。
「陽夏、私。分かる? ねえ、陽夏」
魂の抜けたように腑抜けた表情の陽夏。
その目に光は灯っていない。
が、真っ赤に染まった瞳は鳴りを潜め、元の陽夏の瞳へと戻っている。
「……でよ」
陽夏が何かを口にする。
耳を澄ませる準備をする前に、陽夏の口がけたたましく鳴り響く。
「ふざけないでよ! アンタはいつもいつもお気楽で! 悩んで我慢ばっかりしている、わたしがおかしいみたいじゃない!」
「……陽夏?」
いつものふざけた調子じゃない。
一人称がウチじゃない。
そんなことを考えるよりも先に、陽夏の剣幕に押し潰されそうになる。
「わたしは嘘ばっかついて生きているのよ! 周りにも、アンタにも、自分にだって嘘をついている! 嘘つきの娘だから!」
そう叫ぶ陽夏の肌。
最近日焼けが薄くなったな、と思い始めてきた小麦色の肌の下から、日焼け知らずと称していいほどに真っ白な肌色が見えている。
思いつくのは、先ほど陽夏の顔にかかっていた水球の水。
勢いよくはじけ飛んだ水の破片が、抉るように肌をすり抜けていったのだろう。
「アンタはのうのうと生きていていいよね。辛いことも苦しいことも、全部忘れて生きられていいよね!」
呆然としている私に、追撃の言葉。
陽夏は肩を上下させて荒い息を吐いている。
「……っ! いい加減! 思い出してよ、馬鹿野郎!!」
ネアが可哀想だ。
そう言い捨てて彼女は走っていく。
ボス部屋に入って来た、入口の扉へ。
「ひ、陽夏ッ!」
「ワタクシが追いかけますぞ! おふたりはゐろは殿の依頼を遂行してくだされ!」
固く閉ざされていると思った扉は、陽夏の細腕でも簡単に開けられる。
カギなど掛かっていなかったようだ。
その向こう、岩壁の続くダンジョンの上階層を目指して、陽夏は走り去っていく。
「陽夏嬢! お待ちくだされ!」
慌ただしく駆け抜けていく歌麿さんが、張り上げた声を残して彼女の後姿を追っていく。
残された私たちには、沈黙が残った。
「……ネア」
「ああ。何が聞きたい」
「私、私ね、陽夏に我慢させてたのかな」
「させていたのかもしれないな」
肯定がこれほどつらい日が来るとは思わなかった。
うっすらと、視界が歪んで熱くなる。
「ねえ、ネア」
「どうした」
「ネアが可哀想ってどういうこと?」
「……」
ネアは黙り込む。
どういう理由で黙り込んでいるのか、私には分からなかった。
「私、何を思い出せばいいの……?」
「メグ」
「思い出せって言われてもっ! 何を思い出したらいいのか分からない! 私、何を忘れているの?! ねえ、教えてよ!」
「メグ」
二度目の声掛け。
それと同時に、私はネアの腕の中にいた。
「いい。いいんだ。思い出さなくてもいい。思い出さなくていいから、このまま……」
擦れた言葉尻に何かを吐き出したような気がしたが、なんと言葉にしたのか聞き取れない。
ただ、私は、必死にネアに縋りながら、嗚咽を嚙み殺すことしかできなかった。
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