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宇波
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辰砂ジンジャー辛苦味 18

公開日時: 2022年5月29日(日) 12:00
文字数:1,691

 腹が痛い。

肩が痛い、足が痛い、腕が痛い、とにかく全身が痛い。

その中でも特に痛むのは、胸の奥底に沈んでいる心とかいう厄介な器官。


「陽夏、大丈夫、大丈夫だよ。怖いものなんて、何にもないよ」


 何かに怯えて叫んで、ぼろぼろ泣きだした友達を、これ以上怯えさせないように優しく語り掛ける。

背中に手を回して、一定のリズムで優しく叩く。


 ああ、胸が痛い。

彼女が何かに悩んでいたことに、気が付こうともしなかった。


 彼女が突き放すように放った水球は、硬式野球ボールもかくやと言わんばかりに固く、そして痛かった。

あれに殴られ続けるのであれば、たしかにいずれ魔物は倒されるだろう。


 ぶつけられた体のどの部位よりも痛むのは、私の心。

ふがいなくて情けなくて、悔しかった。


「陽夏、頑張ったんだね。私、ちゃんと話聞くから。だから、だから……」


 いつもの笑顔を見せてほしい。

そんな願望を口にするよりも先に、歌麿さんの勝鬨が上がる。


「ナイトメア・ミラー! 討伐完了ですぞ!」


 その瞬間、ガチャリ、とどこからか鍵の開く音がする。

音を辿れば、入ってきた方向とは真逆の、正面。

次のフロアへ続く扉の、鍵が開いた音だった。


「陽夏」


 全身から力が抜け、だらりと地面に蹲る陽夏の身体。

支えきれずに、諸共膝をついてしまう。


「陽夏、私。分かる? ねえ、陽夏」


 魂の抜けたように腑抜けた表情の陽夏。

その目に光は灯っていない。

が、真っ赤に染まった瞳は鳴りを潜め、元の陽夏の瞳へと戻っている。


「……でよ」


 陽夏が何かを口にする。

耳を澄ませる準備をする前に、陽夏の口がけたたましく鳴り響く。


「ふざけないでよ! アンタはいつもいつもお気楽で! 悩んで我慢ばっかりしている、わたしがおかしいみたいじゃない!」

「……陽夏?」


 いつものふざけた調子じゃない。

一人称がウチじゃない。

そんなことを考えるよりも先に、陽夏の剣幕に押し潰されそうになる。


「わたしは嘘ばっかついて生きているのよ! 周りにも、アンタにも、自分にだって嘘をついている! 嘘つきの娘だから!」


 そう叫ぶ陽夏の肌。

最近日焼けが薄くなったな、と思い始めてきた小麦色の肌の下から、日焼け知らずと称していいほどに真っ白な肌色が見えている。

思いつくのは、先ほど陽夏の顔にかかっていた水球の水。

勢いよくはじけ飛んだ水の破片が、抉るように肌をすり抜けていったのだろう。


「アンタはのうのうと生きていていいよね。辛いことも苦しいことも、全部忘れて生きられていいよね!」


 呆然としている私に、追撃の言葉。

陽夏は肩を上下させて荒い息を吐いている。


「……っ! いい加減! 思い出してよ、馬鹿野郎!!」


 ネアが可哀想だ。

そう言い捨てて彼女は走っていく。

ボス部屋に入って来た、入口の扉へ。


「ひ、陽夏ッ!」

「ワタクシが追いかけますぞ! おふたりはゐろは殿の依頼を遂行してくだされ!」


 固く閉ざされていると思った扉は、陽夏の細腕でも簡単に開けられる。

カギなど掛かっていなかったようだ。

その向こう、岩壁の続くダンジョンの上階層を目指して、陽夏は走り去っていく。


「陽夏嬢! お待ちくだされ!」


 慌ただしく駆け抜けていく歌麿さんが、張り上げた声を残して彼女の後姿を追っていく。

残された私たちには、沈黙が残った。


「……ネア」

「ああ。何が聞きたい」

「私、私ね、陽夏に我慢させてたのかな」

「させていたのかもしれないな」


 肯定がこれほどつらい日が来るとは思わなかった。

うっすらと、視界が歪んで熱くなる。


「ねえ、ネア」

「どうした」

「ネアが可哀想ってどういうこと?」

「……」


 ネアは黙り込む。

どういう理由で黙り込んでいるのか、私には分からなかった。


「私、何を思い出せばいいの……?」

「メグ」

「思い出せって言われてもっ! 何を思い出したらいいのか分からない! 私、何を忘れているの?! ねえ、教えてよ!」

「メグ」


 二度目の声掛け。

それと同時に、私はネアの腕の中にいた。


「いい。いいんだ。思い出さなくてもいい。思い出さなくていいから、このまま……」


 擦れた言葉尻に何かを吐き出したような気がしたが、なんと言葉にしたのか聞き取れない。

ただ、私は、必死にネアに縋りながら、嗚咽を嚙み殺すことしかできなかった。

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