洒落た白い壁に張られた窓の、穏やかな日差しが、夏の暑さに照り返されて眩しく感じる。
新品と言われても納得してしまうほどに磨き上げられたシンク。
一度も使われていないように見える、剥げたところのない黒塗りのガスコンロ。
白身がかった灰色のマーブル模様を描く台は、大理石の作業台。
今回講習会場に選ばれたのは、オシャレな都会風のキッチンスタジオ。
……いや、たしかに講習会の内容がシロップ作りだから、会場の選択には納得しかないけれど。
もうちょっと、なんかこう……。
「調合師の講習とは思えない」
私が感じていた、言語化できない複雑な気持ちを代弁する声。
「だろ?」
「ネア、もう来てたんだ」
ネアは私では到底持ち上げられないであろう大きな木箱を三箱、講師用の正面キッチンの裏へ置く。
「カナタは?」
「今協会の人と打ち合わせしてる。多分そろそろ戻ってくると思うけど……」
入口を窺うと、タイミングよくドアが開く。
「お待たせー。あら、ネア。早かったわね?」
今日は講師の補助をしてもらうだけの予定だったのに。
付け足した姉に、ネアは乾いた笑いを漏らす。
「ふたりであの量を持ってこれると?」
指さした木箱。
あれが、他にもまだあるとネアは言う。
「そんなの、協会の人間を使うに決まっているじゃない。元々向こうの都合なんだし」
通常運転の姉に、ネアは肩をすくめる。
「なんにせよ、早めに来てよかったよ」
ネアはそう言いながら、材料を取りに戻っていく。
そんな彼の後ろ姿を見送り、私は姉に問いかける。
「何時から?」
「あと一時間もないわ。既に待ってる人もいたの」
「えっ、早」
「とはいえ、わたしたちができることは材料を用意してお鍋を出して……。あ、包丁も確認しておかないと」
姉に言われるままに、私は備品が揃っているかの確認に、各テーブルを回る。
うん、ちゃんとある。
「……あ」
「どうしたの?」
「おねえちゃん、三角コーナーの網がないよ」
「あら、大変。注文し忘れたかしら」
にわかに慌て始める姉、つられて焦りを感じる私。
「それなら、こっちゃどうやけ?」
……二人しかいなかったはずの室内に、突如響く方言。
「?!」
単に気を抜いていたからかもしれないけれど、気配を感じられなかった。
急な乱入者に、私は思わず構えを取る。
「かんに! おどかすつもりはなかったが!」
振り向いた先には、そばかすが印象的な女の子。
女の子と言うには、姉と同年代な気もする背の高めの彼女は、手を挙げろ! のポーズで固まっている。
「今日の受講者さんですか? すいません、まだ準備が終わっていないんですよ」
姉がやんわりと外へ出そうとする。
彼女は慌てたように、「ちょっこし待って!」と叫ぶ。
(ちょっこし……?)
「入る気はなかったがやちゃ。ただ、気になってちょっこし覗いたら、困っとったみたいやさかい。三角コーナーの網が無いんやって?」
自身の肩から下がる鞄の中を漁る彼女。
私は姉の近くで、内緒話をする。
「……なんて言ってたか分かった?」
「なんとなくね。意味が分からない単語も多かったけど」
そんなことを言い合っていると、お目当てのものを見付けたようで、彼女は某未来型ロボットのように高々とそれを掲げる。
「じゃーん。ボクが開発した、植物由来の濾過袋やちゃー」
枯草色と言うのだろうか。
パラフィンシートくらいの薄さの茶色の袋を取り出し、彼女は三角コーナーに設置する。
「こっちゃ吸水性が高いんや。おむつと同じくらいの吸水性。生ごみの水分を吸うてくれて、そのまま固まるが。植物由来やさかい、燃えるゴミで出せるっていうスグレモノやちゃ!」
あと、臭いが漏れない!
そう熱弁した彼女は、私たちの訝し気な表情に気が付いたのだろう。
「ほんとやち!」
必死にアピールしていた。
「……まあ、商品アピールはどうあれ、無いものはしょうがないし……。おねえちゃん、使ってみる?」
「……ええ、そうね。すいませんがそれ、いくらになりますか?」
「試供品でいいちゃ。譲るちゃ。その代わり、あとで使用感とか聞かせてほしいちゃ。今後の参考にするさかい」
そう言ってごそっと鷲掴みして、その袋を目の前に差し出してくる。
「ああ、ええっと……。ありがとう?」
「どういたしまして」
「名前を聞いてもいいかしら?」
「ボクちゃ薬師戸 悦子って名前や。富山の薬師一門の娘やちゃ。よろしゅうに」
丁寧に頭を下げる彼女に、ふと、富山の薬師で、最近出会った人がいたなぁ。なんて思い出す。
「薬師戸……。歌麿さん?」
「歌麿のこと知っとるが? ボクの弟やちゃ!」
身内の話題が出たからなのか、嬉しそうな表情を浮かべる彼女に、私は首を傾げる。
(あれ? でも彼、破門されたって……)
「だちかん、時間取らせたね。それじゃあ、外で待っとるちゃ。よければ、講習の後にでも弟のこと教えてちゃー」
ひらひらと手を振りながら外へ出て行く彼女は中々のフリーダム。
もしかすると、歌麿さんと負けず劣らずの奔放さかもしれない。
「ううん、嵐みたいな人だったわね」
「そうだね。……あ、私、この袋三角コーナーに張ってくる!」
「お願いね。わたしのほうも準備しておくわ」
木箱へと向かう姉を見送り、私はごっそりと置いて行かれた濾過袋とやらを、三角コーナーに張っていったのだった。
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