(人が多い!)
人の流れに逆らって、走る、走る、走る。
しかし、思った以上の大混雑に、人の間を縫うという高等技で向かうことができない。
「おい! ぶつかって来るな!」
「ごめんなさい!」
見知らぬ男性に怒鳴られる。
しかし、そこで委縮しているわけにもいかない。
私は左右に建っている民家を見る。
二メートルくらいの、大きな脚立を立てかけている家を見付けた。
(ちょっと借ります!)
心の中で謝罪をし、その脚立によじ登る。
向かうのは、民家の屋根。
「うわっ、と。勾配きつい!」
三角屋根は気を抜けば転がり落ちっそうなほどに斜めで、私は一度、腰を落とす。
目を閉じて、街の中を見渡す。
澄んだ視界が、彼らの居場所を伝えてくれる。
「……あっち!」
勢いをつけて、屋根の上を走る。
家と家の隙間なんて、道路わきにある側溝と同じ感覚で跳び越えられる。
リズムよくタイミングを合わせて、軽やかに飛び移っていく私と、避難中の子供の目が合った気がした。
しかしそれも、一瞬のこと。
子供は人波に埋もれ、私は彼と距離を離していく。
一直線に向かいたいけれど、屋根がいつまでも続くとは限らない。
いつの間にか背の低い家屋の集まっている区画を抜け、大通りへと面していた。
大通り、向かって真正面には、背の高いビルが。
どれだけ急いでいたのだろう。
私が陽夏と一緒に買い物をしに来た、D&Mのビルまで来ていた。
背の低い二階建ての家屋の屋根から、高層ビルの屋根に飛び移る。
きっと、できないことはないのだろう。私にもっと、技量があれば。
(さすがに無理!)
ビルを迂回するか、一度地面に降り立ってから新しいルートを探すかの二択しかない。
屋根の上から地面を見る。
避難している人が僅かにいるが、それ以外は魔物と乱闘を繰り広げている人ばかりだった。
魔物と戦っている人々の中に、見知った顔を見付ける。
「歌麿さん!」
「むっ! お嬢さんではないですか! お久しぶりですな!」
その鍛え上げられた肉体には、今日も今日とてマイクロビキニ。
筋肉から湯気が出ている。明らかにあそこだけ画風が違う。
「お嬢さんは避難しなかったのですかな?!」
「届け物があるんです。ネアに。……歌麿さん、後ろ!」
「むんっ!」
彼の背後から襲い掛かって来る、子供体型の魔物。
醜悪な顔をしていた。あれが噂のゴブリンという魔物だったのだろう。
それも、歌麿さんのボディープレスによって、地面に叩きつけられめり込んでいたけれど。
「歌麿さんも避難しなかったんですね」
「ワタクシは筋肉の伝道師! なれば、この肉体を持って市民の安全を守り! 筋肉のすばらしさを教え説く所存です! むむっ、お嬢さん! どこからか気配が!」
「上から! それっ!」
上空から一直線に、私の頭蓋を狙ってきた烏のような魔物。
脚が三歩あるそれに向かってダガーを振り抜き、首元を掻き切った。
「ごめん、浅かった!」
「問題ありませんぞ! ぬぅんっ!」
首を掻き切ったはいいが、致命傷を負わせることのできなかった烏に、歌麿さん二度目のボディープレス。
哀れ三本足烏は、頭蓋を粉々に砕かれ地面に伏した。
「ありがとうございます!」
「なんのこれしき!」
歌麿さんは拳を、私はダガーを構えて周辺を警戒する。
どうやら周辺の探索者たちの尽力もあって、この大通りに魔物は数えられるくらいしかいなくなったようだ。
その残った魔物も、サーチアンドデストロイ。発見され次第狩られている。
私は警戒を少しだけ緩め、ダガーを腰に差し直す。
「……大丈夫そうですね」
「そうですな!」
「よかった」
ほっと胸を撫で下ろし、視線を落とす。
ポーチの位置がずれている。ベルト紐が緩かったのかもしれないと、調整しているとふと。
唐突に、この場に全く関係のない伝言を思い出し、歌麿さんに視線を向ける。
「そうだ、悦子さんから伝言頼まれていたんです」
「姉上からですかな?! ワタクシは勘当された身……! どんな文句でも受け止めますぞ!」
「えっと、今度縁側で、お菓子でも食べながら、や、やわやわ? 話をしようって言ってました!」
伝言を伝えると、彼は驚いたように唇をわななかせている。
「なんと、なんと……!」
「勘当されたって思ってるのも、悦子さんは思い込みだって言ってましたよ。私、ふたりは一度話したほうがいいと思います」
そう伝えれば、歌麿さんは深く、深く頷いていた。
「そうですな。一度、姉上と話をし……。ワタクシの胸の内も、話してきたいと思います」
どこかスッキリとした顔でそう言うものだから、私も釣られて微笑んだ。
さて、ネアの所へ向かおうと足に力を入れかけたところで、「そういえば」と歌麿さんの声がかかるから、私は思わず失速する。
「そういえば、陽夏嬢とは一緒ではなかったのですな?」
「陽夏とは……まあ、はい」
言葉にし辛く、どもる私に、彼は何かを察したようで、穏やかに目を細めた。
「何があったのかワタクシは分かりませぬが。きちんと話し合った方がすっきりするのではないですかな?」
そう言いながら、ひとつの方向を指さす歌麿さん。
ビルを挟んだ、もうひとつの大通り。
今も避難民で混雑している道だという。
「あちらに、陽夏嬢はいますぞ」
「……ありがとう。うん。行ってきます!」
「ご武運を祈っておりますぞ!」
普段なら通らないビルの裏路地を走る。
暗くて、ゴミの臭いで満たされている。
避難するときに倒してしまったのだろう。
生ごみが散らばったままだ。
生ごみを踏み越え、裏路地を抜ける。
視界が広くなると同時に、人混みと混乱。
怒号と泣き声。
そして誘導の声。
聞き慣れた音の、誘導の声。
「落ち着いて避難をしてください! この道を真っ直ぐ行って、係りの者の案内に従ってください! 焦らないで!」
腕章に『避難誘導係』を光らせる、白い肌のその人は。
「―――陽夏」
呟いた言葉が、二人の間で反響したように感じる。
彼女は、大きく、零れんばかりに目を見開いた。
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