辰砂ジンジャーは、下調べをした通りに真っ赤な口紅色をしたショウガだった。
それはボスの部屋を抜けた先のフロア、その岩壁に、キノコのように生えていた。
「岩から無理に剥がすと傷めるから、根元ギリギリを切るんだ」
「……うん」
「それから、辰砂ジンジャーを利用する人の多くは、この周囲を包んでいる辰砂を目的としているから、そこは傷めないように細心の注意を……」
「……うん」
「……メグ」
ネアの説明も、耳に入ってこない。
上の空で作業を続ける私の視界に入るように、ネアが身体を屈める。
「こういう時、なんと言って慰めればいいのか、俺は分からない。だけど、ここはダンジョンだ。一瞬の気のゆるみが命取りになると思え」
「……分かってる。分かっているの」
だけど、頭の中を、陽夏のあの憎悪の眼差しが、聞いたことの無い罵倒が、フラッシュバックする。
その度に身が竦みそうなほど、苦しくて、悲しい思いで身体がいっぱいになってしまう。
不甲斐ない私に呆れたのか、ネアはひとつ、大きなため息を吐く。
「ミコトから頼まれたのは、これくらいあればいいだろ」
「……え?」
「メグ。帰るぞ」
ネアが私に背を向ける。
それだけのことなのに、ネアにまで拒絶されてしまうのかと、考えるだけで言葉が出なくなってしまう。
「ネア、待って、私……」
「辰砂ジンジャーは」
動きが止まる。
唐突に始まったネアの講義に、私は固まる。
そんな私を意に介さず、ネアは続ける。
「通常の辰砂と同じく、絵の具や宝飾品として愛用するやつが多い」
「ネア……?」
「が、それと同時に、水銀を得るために利用するやつもいる」
ネアは手に取った辰砂ジンジャーを頭上に掲げて眺めている。
「こいつは面倒くさい手順を踏まなくても、あっという間に水銀を得られるんだ。たしか、四百度だったか、六百度だったか。その熱に触れるだけで、冷却装置を使わなくても、水銀と硫化水素に分離される」
ネアが何を言いたいのか、よく分からない。
だけど、ネアなりに何かを伝えたいことだけは、よく分かる。
「使い方を間違えれば、あっという間に兵器になる。そんな石なんだ、コイツは」
なんとなく、言いたいことが見えてきた気がした。
「メグ。悩むのはいい。だが、時と場合による。それを間違えるだけで、コイツのように自分や、他人を危険にさらすことになる。それだけは覚えておいてくれ」
随分と回りくどい説教だ。
「……なんか、ネアらしいお説教だね」
「む、くどかったか?」
「ううん。……ごめんなさい。私、悩むのはダンジョンを出てからにする」
「そうしてくれ。上に戻るぞ」
私たちは岩壁を伝い、地上へと向かう。
悩むのは全て後回し。
だけど、何を思い出せていないのか、そればかりが私の思考に居座っていた。
▽
「……うん、状態もええ。大きさもばっちり。おおきに、メグ。……なあ、メグはどうしたん?」
「ああ、ちょっと下で色々あってな」
「そか。まあ、ボスでやられたんやろう」
ミコトさんの言葉に、ネアが反応する。
「何か知っているのか?」
「せやね。あのボスは、自分の現実で体験したことを悪夢として見せて、催眠状態にしてくるんや。催眠にかかったら最後、味方が敵に見えてしまうって話よ」
それを聞いたネアは悔しそうに歯噛みする。
「ミコトに聞いてから向かえばよかったな」
「この情報は多少調べたところで出てこんよ。わしも少しばかり複雑なルートから仕入れている情報や」
がっくり肩を落としているネアに、ミコトさんはケラケラ笑う。
「レーザーを避けるくらいなら、盗賊が二人いれば充分だと思てな」
「確信犯だろ……」
私もミコトさんは確信犯だと思う。
「ほして、メグ」
「はい!」
ミコトさんに呼ばれ、背筋を伸ばす。
彼は桐の箱に入れられた、水色の石を私に見せてくる。
「こっちが報酬の魔石や。水属性の中でも状態のええ物を選んできたんよ。どうや?」
水色の魔石は、ガラスのように透明で、蛍光灯の光を受けてきらきらと輝いている。
だというのに。
「はい、綺麗だと、思います」
喧嘩別れと言ってしまっていいのか。
あげたかった人は、私に怒って離れてしまった。
きっと、話すことも少なくなってしまうのだろう。
そう思うと、これだけ綺麗な魔石を前にしても、どうしても濁って見えてしまう。
「……ほなら、これで取引は成立やな! おおきに、メグ。次回もよろしくな」
そんな私の気持ちは、多分ミコトさんにも伝わってしまった。
彼は、何も気にしていない風にその場を片付ける。
「はい。……次回も、また」
私の手元には、思った以上に軽い水色の魔石が残された。
「ネアも、ありがとう」
ミコトさんが出て行った部屋の中、私はぽつりとネアにお礼を言う。
ネアは首を振った。
「いや。……こっちこそ、すまない。事前にもう少し準備していれば、メグを傷付けることもなかった」
「ううん。助けられたよ。陽夏のことは……。まあ、なんとかしてみる」
大丈夫。そう呟いた言葉はネアに向けてのものだっただろうか。
私はネアに、ダンジョンの中で行った問いかけを、言葉を変えて投げかける。
「思い出さなくてもいいって、どういうことなのか、教えて」
不意を突かれたのか、ネアの言葉が詰まる。
何度か上下する胸の動き。
ネアの口からは、掠れた声で「俺は……」と繰り返されている。
「俺は、もうメグに忘れてもらいたくないだけなんだ……!」
思わずといった調子で呟かれた言葉に、はっとしてネアを見る。
ネアもどこか呆然とした風に固まっている。
まるで、言うつもりのなかった言葉を言ってしまった時のように。
「……すまない、なんでもないんだ」
「ネア、あのね」
「知りたかったら!」
私の言葉をネアが遮る。
その声は大きめに部屋の中へ響く。
「カナタに、聞け……。俺は、言える立場じゃない」
続く言葉は震えていた。
私は言葉を飲み込む。
震える唇は、分かった、と一言、紡ぎ出していた。
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