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宇波
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辰砂ジンジャー辛苦味 19

公開日時: 2022年5月29日(日) 15:00
文字数:2,367

 辰砂ジンジャーは、下調べをした通りに真っ赤な口紅色をしたショウガだった。

それはボスの部屋を抜けた先のフロア、その岩壁に、キノコのように生えていた。


「岩から無理に剥がすと傷めるから、根元ギリギリを切るんだ」

「……うん」

「それから、辰砂ジンジャーを利用する人の多くは、この周囲を包んでいる辰砂を目的としているから、そこは傷めないように細心の注意を……」

「……うん」

「……メグ」


 ネアの説明も、耳に入ってこない。

上の空で作業を続ける私の視界に入るように、ネアが身体を屈める。


「こういう時、なんと言って慰めればいいのか、俺は分からない。だけど、ここはダンジョンだ。一瞬の気のゆるみが命取りになると思え」

「……分かってる。分かっているの」


 だけど、頭の中を、陽夏のあの憎悪の眼差しが、聞いたことの無い罵倒が、フラッシュバックする。

その度に身が竦みそうなほど、苦しくて、悲しい思いで身体がいっぱいになってしまう。


 不甲斐ない私に呆れたのか、ネアはひとつ、大きなため息を吐く。


「ミコトから頼まれたのは、これくらいあればいいだろ」

「……え?」

「メグ。帰るぞ」


 ネアが私に背を向ける。

それだけのことなのに、ネアにまで拒絶されてしまうのかと、考えるだけで言葉が出なくなってしまう。


「ネア、待って、私……」

「辰砂ジンジャーは」


 動きが止まる。

唐突に始まったネアの講義に、私は固まる。

そんな私を意に介さず、ネアは続ける。


「通常の辰砂と同じく、絵の具や宝飾品として愛用するやつが多い」

「ネア……?」

「が、それと同時に、水銀を得るために利用するやつもいる」


 ネアは手に取った辰砂ジンジャーを頭上に掲げて眺めている。


「こいつは面倒くさい手順を踏まなくても、あっという間に水銀を得られるんだ。たしか、四百度だったか、六百度だったか。その熱に触れるだけで、冷却装置を使わなくても、水銀と硫化水素に分離される」


 ネアが何を言いたいのか、よく分からない。

だけど、ネアなりに何かを伝えたいことだけは、よく分かる。


「使い方を間違えれば、あっという間に兵器になる。そんな石なんだ、コイツは」


 なんとなく、言いたいことが見えてきた気がした。


「メグ。悩むのはいい。だが、時と場合による。それを間違えるだけで、コイツのように自分や、他人を危険にさらすことになる。それだけは覚えておいてくれ」


 随分と回りくどい説教だ。


「……なんか、ネアらしいお説教だね」

「む、くどかったか?」

「ううん。……ごめんなさい。私、悩むのはダンジョンを出てからにする」

「そうしてくれ。上に戻るぞ」


 私たちは岩壁を伝い、地上へと向かう。

悩むのは全て後回し。

だけど、何を思い出せていないのか、そればかりが私の思考に居座っていた。




「……うん、状態もええ。大きさもばっちり。おおきに、メグ。……なあ、メグはどうしたん?」

「ああ、ちょっと下で色々あってな」

「そか。まあ、ボスでやられたんやろう」


 ミコトさんの言葉に、ネアが反応する。


「何か知っているのか?」

「せやね。あのボスは、自分の現実で体験したことを悪夢として見せて、催眠状態にしてくるんや。催眠にかかったら最後、味方が敵に見えてしまうって話よ」


 それを聞いたネアは悔しそうに歯噛みする。


「ミコトに聞いてから向かえばよかったな」

「この情報は多少調べたところで出てこんよ。わしも少しばかり複雑なルートから仕入れている情報や」


 がっくり肩を落としているネアに、ミコトさんはケラケラ笑う。


「レーザーを避けるくらいなら、盗賊が二人いれば充分だと思てな」

「確信犯だろ……」


 私もミコトさんは確信犯だと思う。


「ほして、メグ」

「はい!」


 ミコトさんに呼ばれ、背筋を伸ばす。

彼は桐の箱に入れられた、水色の石を私に見せてくる。


「こっちが報酬の魔石や。水属性の中でも状態のええ物を選んできたんよ。どうや?」


 水色の魔石は、ガラスのように透明で、蛍光灯の光を受けてきらきらと輝いている。

だというのに。


「はい、綺麗だと、思います」


 喧嘩別れと言ってしまっていいのか。

あげたかった人は、私に怒って離れてしまった。

きっと、話すことも少なくなってしまうのだろう。

そう思うと、これだけ綺麗な魔石を前にしても、どうしても濁って見えてしまう。


「……ほなら、これで取引は成立やな! おおきに、メグ。次回もよろしくな」


 そんな私の気持ちは、多分ミコトさんにも伝わってしまった。

彼は、何も気にしていない風にその場を片付ける。


「はい。……次回も、また」


 私の手元には、思った以上に軽い水色の魔石が残された。


「ネアも、ありがとう」


 ミコトさんが出て行った部屋の中、私はぽつりとネアにお礼を言う。

ネアは首を振った。


「いや。……こっちこそ、すまない。事前にもう少し準備していれば、メグを傷付けることもなかった」

「ううん。助けられたよ。陽夏のことは……。まあ、なんとかしてみる」


 大丈夫。そう呟いた言葉はネアに向けてのものだっただろうか。

私はネアに、ダンジョンの中で行った問いかけを、言葉を変えて投げかける。


「思い出さなくてもいいって、どういうことなのか、教えて」


 不意を突かれたのか、ネアの言葉が詰まる。

何度か上下する胸の動き。

ネアの口からは、掠れた声で「俺は……」と繰り返されている。


「俺は、もうメグに忘れてもらいたくないだけなんだ……!」


 思わずといった調子で呟かれた言葉に、はっとしてネアを見る。

ネアもどこか呆然とした風に固まっている。

まるで、言うつもりのなかった言葉を言ってしまった時のように。


「……すまない、なんでもないんだ」

「ネア、あのね」

「知りたかったら!」


 私の言葉をネアが遮る。

その声は大きめに部屋の中へ響く。


「カナタに、聞け……。俺は、言える立場じゃない」


 続く言葉は震えていた。

私は言葉を飲み込む。

震える唇は、分かった、と一言、紡ぎ出していた。

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