魔法のシロップ屋さん

シロップ屋さんのポーションは飲みやすいと評判です
宇波
宇波

???

公開日時: 2022年4月17日(日) 23:59
文字数:1,397

 夜の繁華街。

そこは、煌びやかなネオンが目に眩しく映る大人の世界。


 愛情、劣情、欲望、嫉妬。

そのすべてが渦巻くそこは胡蝶の夢。


 夢に溺れて身を落とす者もいる。

夢を諦めきれず身をやつす者もいる。


 そんな世界とのうまい付き合い方はきっと、遠くから見下ろす傍観者。

夢に触れてしまえば、それに溺れてしまえば、抜け出すことのできない底なし沼。


 喧騒から離れた裏路地は、衆人環視の目が届かない場所。

そこはどんな悪事にも秘め事にも、口を出すのは一切のタブー。


 俗世から隠れるがごとく密やかに建つ隠れ家的バーは、そんな陰謀渦巻く裏路地にあった。


「いらっしゃいませ」


 多くを語らぬバーテンダー。

今宵初の客となる、二人組を招き入れる。


「一応案内はしたけどよ、本当にいいのか?」


 席に着くや否や、男はそんなことを言い出す。

対するは女。

彼女の美貌は、ネオンの光を受け、そのままの色を映してしまうほど純白な肌色から来ていた。


「いいわ。覚悟は決めて来たんだから」


 バーテンダーは何も言わない。

ここでは己に話しかけられない限り、プライベートな会話に口を出すことはタブーとなる。


「ご注文は?」


 定型句を口に出せば、男からは「ミリオンダラー」と名前が飛ぶ。


「ギムレット」


 女が口に出したその名前を聞いて、男が慌てて止めていた。


「ちょっと待てって。さすがのオレも未成年に酒は飲ませられないぞ」


 チッ。

女の口から勢いよく舌打ちがはじけ飛ぶ。


「……じゃあ、ギムレット風のノンアルコール」

「かしこまりました」


 心底安心したように胸を撫で下ろす男と、どこか不満そうな女の取り合わせ。

未成年、と先ほど言っただろうか。

そうは見えないほどに大人びている彼女のための、ギムレット風ドリンクをバーテンダーは手早く仕上げる。


「こちら、ノンアルコールギムレットです」

「ありがとう」


 彼女はグラスの中身を揺らす。

そして、グラスの縁に挟んでいる飾り切りにしたライムをその指で取った。


「ギムレット知ってたんだな」

「最近、カクテルを調べているの」


 男はミリオンダラーの入ったグラスを傾け、味わっているのかもわからない程、一気に飲み干す。

ピンク色とも、オレンジ色とも取れるカクテルは、見る見るうちに空になった。

男は飾ってあったパイナップルを咀嚼する。


「アンタに栄光って、似合わないわね」

「そう言うお前も、似合わないことしているじゃないか」

「こっちはいいのよ」

「まぁずいぶんと。そんなに女々しいカクテル飲んでおきながら、よく言うよ」


 女はその言葉に気を悪くすることもなく、くっと、ノンアルコールギムレットを傾ける。


「……甘くないわね」

「そりゃそうさ」

「アンタのは甘そうね」

「正直言ってオレ好み」


 女は飲み干したグラスの縁を指でなぞる。

男はもう一杯、ミリオンダラーをバーテンダーに頼む。


「長い別れでも予感しているのか」

「……」


 女は何も言わない。

ただ、そっと微笑むだけ。


 二杯目のミリオンダラーを飲み干した男は肩を竦め、立ち上がる。

当然のように、パイナップルを口に含んで。


「オレはもう行く」

「そう」

「しばらくしたら来るって話だ」

「ねえ」


 女は出て行こうとする男の背に、視線も向けないで平坦に言い放つ。


「ありがとうね」


 男は一度、女に視線を向ける。

一瞥すらしない女に、彼はもう一度肩を竦め、そのまま出て行った。


 空になったグラス。

それを指ではじいて、高い音を響かせる女。


「あれから五年、か」


 彼女はぽつりと呟いた。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート