ミンミンゼミが大合唱をかき鳴らす、夏の昼間。
目に眩しい青空と、ソフトクリームのような入道雲を視界の端に、街並みを抜けて走っていた。
弾む足音は自身の足元から。
弾む心臓は、きっと走っているからだけではない。
「おねえちゃん! はやくー!」
「もう、恵美ってば。そんなに急いでいると転ぶわよ」
「転ばないもん!」
齢は十四。地域の子供たちがほぼ揃って進学した中学生活も、既に一年が過ぎて、プラス半年に差し掛かっていた。
世界は眩い。私は満面の笑みを浮かべて、もう一歩を踏み出す。
「あっ!」
途端、足元の段差に躓き、傾く身体。
地面と衝突する衝撃に備えて目を閉じる。
しかし、いつまで経ってもその衝撃は身体に走らない。
「もう、だから言ったのに」
背後から姉の声。
恐る恐る目を開ければ、黒いTシャツを着た男性の胸板。
大好きな石鹸の匂い。
私はパッと顔を上げた。
「ネア、ありがとうね」
「ああ、問題ない。大丈夫だったか? メグ」
「ありがとう! 朔にい!」
荒月 朔。
姉の同級生で、高校時代からの友人だと聞いている。
どういった経緯で友人になったのかは分からないけれど、きっと些細なことがきっかけではあったのだと思う。
特別な経緯で友人関係に発展したという話は、あまり聞かないから。
「相変わらず恵美はおっちょこちょいだなぁ。中学に入ってから落ち着くかと思ったけど、変わらずにお転婆なことで」
「あら、雄大。恵美は今が成長期なのよ。大人びるのもこれからよね、恵美」
「そうだよ! 私、中学卒業するころにはもっと大人っぽくなってるんだから!」
「お、言ったな?」
挑発するような笑みを浮かべる雄大兄ちゃんに、私は背伸びをしてうんと胸を張る。
背伸びをした足がバンビのようになってきた。
「落ち着け、メグ。今のままでも十分年相応だ」
「それって子供っぽいってこと?」
そんな私の背伸びを止めた朔にいに、私はじっとりとした視線で見上げる。
五歳年上の姉と同い年の朔にい。
今年、十九歳になる彼に、私は憧れにも近い初恋を、未だに持ち続けている。
だから彼の隣に立てる女になるために、毎日牛乳を飲んではいるのだけれど、身長は大きくならないし、胸部もふくよかになってはくれない。
「中二なんてまだまだ子供だよ」
「雄大兄ちゃん、うるさい」
「あら、言われたわよ、雄大」
……姉が遊びに行くと言う時は、私は必ず着いて行っていた。
姉が遊ぶ相手と言うのは決まって、姉の友人以上恋人未満な煮え切らない関係の雄大兄ちゃんと、初恋を未だに燻らせ続けている、朔にいだけだったから。
「……あ」
「どうした、メグ」
彼らが談笑しながら歩いている最中、ふと目に留まった洞窟の様なもの。
つい先日には、無かったはずのそこは、最近話題の中心になっている、ひとつの現象。
「あれ、前は無かったよね?」
「……ああ、ダンジョンか。ここにもできたんだな」
「家から離れているけど、民家には近いわね。一応、通報しておくわね」
姉は携帯を手に、電話番号を入力している。
私は姉の通話をしている声を聞きながら、洞窟状のダンジョンを見つめる。
先が見えない暗闇は、まるで深淵のごとく。
今にも何かが零れ出てきそうな危うい魅力を持ったそれに、吸い寄せられるように一歩を踏み出して―――。
「メグ。あちらには何もない。行かなくていい」
突如、視界が暗くなる。
目元を覆う人肌の体温。
石鹸の香りがする、朔にいの手。
彼は残った片手で私の身体を持ち上げ、向きを反転させる。
ダンジョンに背を向ける方向へ。
「通報終わったわよ……。ネア、何しているの?」
「ああ、じゃれていた」
「あらあら、楽しそうね」
クスクスと笑う姉に同調するように、雄大兄ちゃんが揶揄うような笑みを浮かべている。
「ふたりはめちゃくちゃ仲いいな! まるで恋人みたいだな」
「恋、人……」
例え揶揄うための方便だとしても、そう言われることに悪い気はしなかった。
ちらりと見上げる朔にいと、私の視線がかち合う。
彼は困ったような笑みを浮かべ、肩を竦めていた。
「今日は何して遊ぼうか」
雄大兄ちゃんが私たちに聞く。
姉がすかさず手を挙げた。
「カラオケがいいわ」
「カラオケかー。ネアたちは?」
「俺はメグがいいなら」
「え?! 私?!」
いきなり選択肢を委ねられ、素っ頓狂な声を上げる。
朔にいは完全に任せる気だし、姉のきらきらした視線が痛い。
「……カラオケ、行きたい、デス」
「了解! それじゃあ、この辺だと今どこが開いているかな」
「こことかいいんじゃないかしら。空いているか聞いてみるわね」
再び電話を掛ける姉。
ミンミンゼミの大合唱に、浮かんできた汗が額を流れ落ちていく。
穏やかな夏日だった。
カラオケを楽しんで、ジャンクフードで小腹を満たして、至極平穏に終わる気配を漂わせている、平和で穏やかな日だった。
両親の訃報が届いたのは、そんな穏やかな日が終わりに差し掛かる頃だった。
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