魔法のシロップ屋さん

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宇波
宇波

思い出はティーシロップに溶かして 2

公開日時: 2022年6月1日(水) 09:00
文字数:1,965

 ミンミンゼミが大合唱をかき鳴らす、夏の昼間。

目に眩しい青空と、ソフトクリームのような入道雲を視界の端に、街並みを抜けて走っていた。


 弾む足音は自身の足元から。

弾む心臓は、きっと走っているからだけではない。


「おねえちゃん! はやくー!」

「もう、恵美ってば。そんなに急いでいると転ぶわよ」

「転ばないもん!」


 齢は十四。地域の子供たちがほぼ揃って進学した中学生活も、既に一年が過ぎて、プラス半年に差し掛かっていた。

世界は眩い。私は満面の笑みを浮かべて、もう一歩を踏み出す。


「あっ!」


 途端、足元の段差に躓き、傾く身体。

地面と衝突する衝撃に備えて目を閉じる。

しかし、いつまで経ってもその衝撃は身体に走らない。


「もう、だから言ったのに」


 背後から姉の声。

恐る恐る目を開ければ、黒いTシャツを着た男性の胸板。

大好きな石鹸の匂い。

私はパッと顔を上げた。


「ネア、ありがとうね」

「ああ、問題ない。大丈夫だったか? メグ」

「ありがとう! 朔にい!」


 荒月あらつき さく

姉の同級生で、高校時代からの友人だと聞いている。

どういった経緯で友人になったのかは分からないけれど、きっと些細なことがきっかけではあったのだと思う。

特別な経緯で友人関係に発展したという話は、あまり聞かないから。


「相変わらず恵美はおっちょこちょいだなぁ。中学に入ってから落ち着くかと思ったけど、変わらずにお転婆なことで」

「あら、雄大。恵美は今が成長期なのよ。大人びるのもこれからよね、恵美」

「そうだよ! 私、中学卒業するころにはもっと大人っぽくなってるんだから!」

「お、言ったな?」


 挑発するような笑みを浮かべる雄大兄ちゃんに、私は背伸びをしてうんと胸を張る。

背伸びをした足がバンビのようになってきた。


「落ち着け、メグ。今のままでも十分年相応だ」

「それって子供っぽいってこと?」


 そんな私の背伸びを止めた朔にいに、私はじっとりとした視線で見上げる。


 五歳年上の姉と同い年の朔にい。

今年、十九歳になる彼に、私は憧れにも近い初恋を、未だに持ち続けている。

だから彼の隣に立てる女になるために、毎日牛乳を飲んではいるのだけれど、身長は大きくならないし、胸部もふくよかになってはくれない。


「中二なんてまだまだ子供だよ」

「雄大兄ちゃん、うるさい」

「あら、言われたわよ、雄大」


 ……姉が遊びに行くと言う時は、私は必ず着いて行っていた。

姉が遊ぶ相手と言うのは決まって、姉の友人以上恋人未満な煮え切らない関係の雄大兄ちゃんと、初恋を未だに燻らせ続けている、朔にいだけだったから。


「……あ」

「どうした、メグ」


 彼らが談笑しながら歩いている最中、ふと目に留まった洞窟の様なもの。

つい先日には、無かったはずのそこは、最近話題の中心になっている、ひとつの現象。


「あれ、前は無かったよね?」

「……ああ、ダンジョンか。ここにもできたんだな」

「家から離れているけど、民家には近いわね。一応、通報しておくわね」


 姉は携帯を手に、電話番号を入力している。

私は姉の通話をしている声を聞きながら、洞窟状のダンジョンを見つめる。

先が見えない暗闇は、まるで深淵のごとく。

今にも何かが零れ出てきそうな危うい魅力を持ったそれに、吸い寄せられるように一歩を踏み出して―――。


「メグ。あちらには何もない。行かなくていい」


 突如、視界が暗くなる。

目元を覆う人肌の体温。

石鹸の香りがする、朔にいの手。


 彼は残った片手で私の身体を持ち上げ、向きを反転させる。

ダンジョンに背を向ける方向へ。


「通報終わったわよ……。ネア、何しているの?」

「ああ、じゃれていた」

「あらあら、楽しそうね」


 クスクスと笑う姉に同調するように、雄大兄ちゃんが揶揄うような笑みを浮かべている。


「ふたりはめちゃくちゃ仲いいな! まるで恋人みたいだな」

「恋、人……」


 例え揶揄うための方便だとしても、そう言われることに悪い気はしなかった。

ちらりと見上げる朔にいと、私の視線がかち合う。

彼は困ったような笑みを浮かべ、肩を竦めていた。


「今日は何して遊ぼうか」


 雄大兄ちゃんが私たちに聞く。

姉がすかさず手を挙げた。


「カラオケがいいわ」

「カラオケかー。ネアたちは?」

「俺はメグがいいなら」

「え?! 私?!」


 いきなり選択肢を委ねられ、素っ頓狂な声を上げる。

朔にいは完全に任せる気だし、姉のきらきらした視線が痛い。


「……カラオケ、行きたい、デス」

「了解! それじゃあ、この辺だと今どこが開いているかな」

「こことかいいんじゃないかしら。空いているか聞いてみるわね」


 再び電話を掛ける姉。

ミンミンゼミの大合唱に、浮かんできた汗が額を流れ落ちていく。

穏やかな夏日だった。


 カラオケを楽しんで、ジャンクフードで小腹を満たして、至極平穏に終わる気配を漂わせている、平和で穏やかな日だった。

両親の訃報が届いたのは、そんな穏やかな日が終わりに差し掛かる頃だった。

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