「……はっ……」
朝、目が覚めるのと同じ要領で意識が覚醒した。
「……知らない天井だ」
目に映るのは真っ白な天井。
身体が妙にだるい。だけど頭はすっきりと冴えている。
激しい運動をした後のような重怠さを抱えながら身体を起こそうと奮闘する。
少しばかり苦労はしたけれど、何とか身体を起こすことに成功した。
しかし、それだけで随分と疲れてしまう。
私は枕側の壁に背を凭れかける。
「えーっと……」
部屋をぐるりと見渡す。
白い壁、白い天井、鼻に突くアルコールの匂い。
どうやらここは病院らしい。
「なんで、病院に……?」
確か私は、ダンジョンへと調査に向かった姉の帰りを待っていて、それで……。
靄がかかったように思い出せない記憶を辿っていく作業は、ガシャンとガラスの割れる大きな音が響いたことで中断する。
そこには、白い病室に映える青いガラス花瓶を落として、まるで亡霊を見たかのように目を見開く姉の姿があった。
「恵美……! 恵美!」
「おねえちゃん? どうしてここに?」
「どうしてって……! 恵美、あなた」
姉が何かを言おうと口を開閉させている。
しかし、ボロボロと零れる涙と嗚咽に混じって、その先が聞き取れない。
病室の入口で立ち止まりながら顔を拭う姉の姿に、私はふと、違和感を覚える。
「おねえちゃん、車椅子……? それに、その、脚」
不意に、頭が猛烈に痛む。
思わず呻き声を上げてしまった私に、姉が必死に車椅子の車輪を回しながら近付いてくる。
頭の中に、映像が流れ込む。
ああ、思い出した。
『あの日、いつも通りに姉の帰りを待っていたら、ダンジョンの中から現れたのはひとりも欠けることの無かった調査隊の面々。
その内のひとりである雄大兄ちゃんは、蒼白な顔をしたまま血だらけの姉を抱えていた。
膝の上から太ももに及ぶまで、ざっくりと切り取られた脚の断面を晒して。
姉は両脚が切り取られた状態で戻ってきた。
雄大兄ちゃんは蒼白な顔のまま、私に言ったんだ。
「カナタを、守ってやることができなかった」
私はショックを受けて、気を失ったらしい』
頭痛が収まる。
心配そうな姉の声に釣られて、私は顔を上げる。
視界に映るのは姉の顔。
それと、たった今、来たばかりであろう雄大兄ちゃんの姿……。
私は彼を、思い切り睨みつける。
「嘘つき。守るって言ったのに! 雄大兄ちゃんなんて、大嫌い!」
私は、どうして二人が驚いた表情を浮かべているのかが分からなかった。
▽
「……なるほどね、ありがとうございました。少し君のお姉さんと話をさせてもらってもいいかな?」
「はい。分かりました。……私、どうすればいいですか?」
「別室に行くから、君はこの部屋にいてください」
「はーい」
病室に診察に来たお医者さんに、色々な質問をされてしばらく。
何かしらを理解したように、お医者さんはうんうんと頷いていた。
彼は姉に何事かを伝えたいようで、私には大人しくしているように、と釘を刺して出て行った。
(……変な質問ばっかだったな)
私は枕元の壁に凭れて目を閉じる。
思い出すのは、さっき答えた質問の数々。
(私の名前は恵美だし、年齢は十四歳。そろそろ中学の三年生になるところだし、どうして意識を失ったのって、おねえちゃんが脚無くして帰ってきて、ショック受けたからだし……)
あ、でも西暦何年って聞かれても答えられなかったな。
私、今が西暦和暦の何年なのか気にしてなかったし、覚えてもなかったから答えようがない。
(当たり前のことを質問するのが検査って、変な検査。お医者さんも大変だねぇ)
ころん、とベッドに横になる。
身体のだるさも、簡単なストレッチを看護師さんと一緒にやったことで、だいぶ緩和されている。
私を刺激しないようにと、看護師さんにそれとなく退出させられた雄大兄ちゃん。
彼の出て行った出入り口を見遣る。
(大嫌いは、言いすぎたかもしれない)
でも、約束したのに守らなかった。
守ってくれなかった。
だから、私は、嘘つきな雄大兄ちゃんは嫌いなんだと思う。
(……嫌い、嫌い。大っ嫌い。あの人におねえちゃんを任せるなんて、冗談じゃない!)
行き場のない感情を胸に、もだもだと寝返りを打っていると、突然開く病室の扉。
姉が帰ってきたのだろうか。
「おかえりおねえちゃ……ん?」
そこに立っていたのは、見知らぬ男の人。
年の頃は姉と同じか、少し上くらいの彼は、必死に走って来たのか、緩いウェーブを描いた黒髪を乱し、肩で息をしながら入ってきた。
「ああ……メグ、よかった……っ!」
感極まったように震えた声で私の愛称を呼ぶ彼に、私は首を傾げて答える。
「えっと、だれ、ですか?」
その質問に、彼はぴたり、とその場で立ち止まる。
「俺、は……」
「あ、もしかしておねえちゃんのお友達? 初めまして! 恵美です。いつもおねえちゃんがお世話になっています!」
もしかしたら、姉経由で私が倒れたことを聞きつけて、心配してきてくれた人だったのかもしれない。
多分、いい人。
そう思って自己紹介をしたはいいのだが、その人は言葉が出ないようだった。
「恵美、お待たせ。……ネア、来てたのね」
「カナタ、これはどういう」
「説明するから、外へ出て。恵美、もう少し待っててね。ちょっと友達とお話があるの」
「やっぱり友達だったんだ! うん、行ってらっしゃい!」
パタリ、と扉が閉まる。
病室から足音が離れていく。
あれからしばらく待ってはみたが、姉の友人だと言った黒髪の彼が病室に戻ってくることは無かった。
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