相原陽夏は夢を見ていた。
白昼夢と称してもいいものか、あるいは本当に起きていながら夢の世界に紛れ込んでしまったのか。
妙に現実味のある苦い悪夢を。
相原陽夏は悪夢を見ていた。
(……ウチ、何してたんだっけ?)
ぼんやりとした虚ろな世界を見渡す。
視界に映るのはボスの部屋。
鏡を割りまくって、今やレーザー光線が出る余地のないほどに破壊しつくされた、壁面の鏡があった部屋。
(ええっと……。そうだ、ウチ、メグと一緒にダンジョンに来てて……。それから……)
陽夏はハッとして顔を上げる。
いつの間にいたのだろう。
陽夏の目の前には三体の魔物が相対していた。
それらは二足歩行する、人間と同じくらいの大きさのあるバク。
昔々に、動物園に連れて行ってもらった時の記憶を思い出すが、その時に四足歩行をしていた、奇蹄目バク科バク属に分類される、動物のバクの姿を連想させる。
(メグは……! 後ろに!)
彼女は咄嗟に後ろに振り向く。
そこにはたったひとり、友人である斎藤恵美が怯えたような表情を浮かべて立っていた。
(もしかして恐怖で動けない? ……なら、ウチが何とかするしか!)
声を上げる。
彼女自身を奮い立たせるための雄叫びを。
(まずは一体、確実に仕留める!)
彼女は小さな水球を杖の頭に作り出す。
それは三体の中でも小柄な一体のバクの顔を、隙間なく包み込む大きさ。
「『水球』!」
小柄なバクが、窒息の苦しみに胸を掻きむしる。
もう一体、三体の中では中くらいの大きさをしたバクが、小柄なバクへと駆け寄っていく。
仲間を助けようとしているのだろうか。
(させるか!)
陽夏は彼らの間に水の矢を放って、バク同士の幇助を防ぐ。
そうしている内に、見逃していたバクの中ではひと際大柄なバクが、背後で怯えて固まっている恵美の元へと到達してしまう。
「さ、わ、るなあぁぁぁあああ!!」
繰り出すは水のロープ。
それは大柄なバクの身体に巻き付き、波を打ってその躯体を持ち上げる。
「死ねっ!」
その躯体は岩壁に強かに叩きつけられる。
追撃を加えようと魔力を込めたところに、水のロープが霧散する。
「チッ!」
大柄のバクは空中で身を立て直し、それなりに大きな音を立てて地面へと着地する。
陽夏が忌々し気に視線を向けるのは、ロープを霧散させた中柄のバク。
それは小さなナイフを構え、こちらへ殺気を向けている。
どうやらそのナイフで、水のロープを叩き切ったようだ。まるでダーツのように。
(ウォーターボールもいつの間にか解除されてるし! くっそ、絶体絶命ってやつ?!)
中柄のバクが背後に庇うのは、窒息から解放されて苦しそうに咳き込む、小柄なバク。
それは忌々し気な視線を陽夏に向けているようにも見える。
大柄なバクが再度駆けだす。
未だ固まり続けている、恵美へと。
「メグを! 傷つけるなああぁぁぁあぁぁ!!」
渾身の力を込めて水球をぶつける。
それは大柄なバクの脚を止めることに繋がることは無く。
「メグ! 逃げて!」
思わず目を見開き、事の顛末を見届けてしまいそうになる陽夏の背後から、忌々しい声が聞こえてくる。
『お前は友達ひとりも守れないのか?』
それは男の声で。
彼女は思わず振り返る。
「……糞親父」
『オレはお前の親父じゃない。当然だろ?』
陽夏はぐっと下唇を噛みながら、声を絞り出す。
「……黙れ」
『だってオレは、お前の家族じゃないし』
陽夏の目には、魔法使い協会現会長、大原健斗が映っている。
「……黙って」
『そもそも、お前とオレは血が繋がってすらいないんだぞ?』
息が上がる。
陽夏の目には憎しみと、後悔と。
それからほんの僅かな情けなさが浮かんでいる。
「……黙ってよ」
『嘘つきの母親の娘。お前も嘘つきだ』
陽夏はなりふり構わず叫ぶ。
部屋の中に反響するほど大きな声で、必死に。
「お願い、黙って!!」
『大切なんだってな? そんな友人に、お前はいつまで嘘を吐き続ける?』
陽夏はその杖を握りしめ、ぶんぶん振り回す。
大原健斗は、慌てたようにそれを避けていく。
「うるさい、うるさい、うるさいっ! 勝手なこと言わないでよ! わたしが、わたしがどれだけ苦しんだかも知らないくせに!!」
大原健斗が近付いてくる。
距離を取るために、小さな水球を連続して彼にぶつける。
ぶつかった彼は苦しそうに蹲り歩みを止めるが、それも一瞬のこと。
すぐにまた歩き出すから、陽夏は再び水球をぶつけていく。
パシャン。
跳ねあがった水が、陽夏の顔を濡らす。
大原健斗は、すぐそこまで近付いてきていた。
『嘘つきの娘だ。 お前なんて、きっと誰も愛さない』
大原健斗は、そう言いながら陽夏を抱擁する。
「どうして……っ!」
苦しそうに呻く陽夏は、力なく杖を地面に落とす。
殺したいほどに憎んでいるのに。
吐き気がするほどに愛しているのに。
大原健斗の幻影が掻き消える。
延々と呪詛を吐き続けるその口の代わりを務めるのは、見慣れた恵美の姿。
嘘つきの娘、オレの家族じゃない、いつまで嘘を。
そんな言葉を繰り返しながら抱きしめられている体温が、泣き出したいほど温かいから。
(ああ、これは……)
悪夢だ。
陽夏の唇から、小さな言葉が零れた。
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