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宇波
宇波

魔法使いのダークチェリー 16

公開日時: 2022年5月25日(水) 06:00
文字数:1,988

「……そんなわけで、あとは二人も知っての通りよ」

「おねえちゃんって案外お口悪かったんだね」

「げ、幻滅しちゃった……?」

「ううん、ちょっと悪いおねえちゃんもかっこいい」

「恵美ッ……!」


 感極まった姉はその目にうっすらと涙の膜を張りながら、私を抱きしめてくる。

そんな私たちを苦笑しながら眺めるネアが、姉に口を出す。


「それで、どうするんだ」

「どうするもこうするもないわよ……。こうなった以上、やるしかないもの」

「会長の奔放さには困ったものだな」

「本当。こんな時じゃなかったら、ストを起こしているレベルの横暴さだわ」


 深いため息。

姉はハッと、床に座り込んでいる現状を直視した。


「ごめんね、車椅子持ってきてもらえる?」


 私は姉の抱擁を解き、遠く離れた場所へぽつりと佇んでいる車椅子を押していく。

姉のすぐ近くへと運んだそれにロックをかけると、ネアが姉を抱きかかえて座らせる。


「助かるわ、ありがとう」


 姉が微笑んでお礼を言うと、ネアは「やっぱり慣れないな……」と呟く。

たしかに、あのヤンキーおねえちゃんを見慣れてしまうと、正反対のキャラチェンジに戸惑ってしまうのも無理はない。


「もう、ネアってば。慣れて頂戴ね? 特に恵美の前では」

「あ、ああ。分かっている」


 笑顔の圧というものか。

姉は笑みを浮かべているはずなのに、ネアの表情は強張った。


「……おねえちゃんもネアって呼んでいるんだよね。ネアは仇名だって言ってたけど、ネアって、ネアが本名なの?」


 ふと。

そんなじゃれ合いをしている姉とネアを見ていたら、そんな疑問が湧いてきた。

私の問いかけに二人は顔を見合わせる。


「ネア、言わなかったのね」

「ああ……。必要はないと思ってな」


 必要はない。

こんな些細な一言にも、私の心は傷ついてしまうらしい。

まったく、繊細にもほどがある。


「恵美、ネアって名前は、本人が言うとおりに仇名よ。ニックネーム」

「ニックネームでずっと呼んでいるの?」

「あら。恵美だって、陽夏ちゃんにメグってずっと呼ばれ続けているじゃない。それと同じよ」

「あ、そう言われれば……。そうかも」


 しかし、その答えでは、漫然とした違和感に近い疑問は解消されない。

なぜだろう、と考えてみると、違和感の正体は案外近くにあった。


「私はメグとも呼ばれるけど、おねえちゃんとか、結衣ちゃんは恵美って呼ぶから。ネアはずっとネアとしか呼ばれていないから、不思議に思ったんだ」

「なるほどね。……恵美、いいこと教えてあげる」


 にんまり。

何かをたくらむように笑んだ姉。

イヤな予感を感じ取ったのか、口を挟もうとするネア。

姉はそんな彼を意に介さず、私に話し始めた。


「ネアはね、初恋の女の子にもらったニックネームを浸透させるために、本名を言われるたびに、自分はネアと呼べって訂正するから、みんなネアとしか呼ばなくなったのよ」


 一途よねぇ。

ニマニマとする姉に見上げられて、ネアは頬を薄らと染める。

照れている、のだろうか? ネアは顔をふいと背けた。


「それじゃあ、恵美に問題です! ネアの本名は何でしょう!」

「えぇ?!」

「おい、カナタ……!」

「思い出せたら、そうねぇ。いいことを恵美に教えてあげるわ」


 悪戯気に笑う姉。

頭痛を堪えるように頭を抑えるネアは、勝手なことを。と呟いている。


「えぇ、そんなの分かんないよ……」

「恵美」


 ネアの本名なんて、ネアっていうニックネーム以外にヒントも何もなさ過ぎて、当たりを付けようがない。

どうしようか。眉を顰めた私の名前を姉は呼んだ。


「ゆっくりでいいのよ。分かったら、わたしのところへ教えて頂戴? 答え合わせをしましょう」


 すぐに答えを出さなくていいことにほっとすると同時、姉から出されたこの、長期的な宿題を忘れないよう、頭の隅に刻み込んだ。


「まあ、直近で何とか片付けなきゃいけない宿題は、魔力ポーション作り……。だったはずなのだけどねぇ……」


 姉は遠い目をしながら机回りの惨状を見る。

あれを片付けるのは確定として、姉の中で優先順位が変わったのは確かだ。


「明後日の講習会、準備しないといけないわ……」

「私も手伝うよ、おねえちゃん」

「ありがとう。やることをリストアップしないといけないわね。……ネアにもお手伝いしてもらいたいんだけど、いい?」

「ああ。なにをすればいい?」

「気が逸りすぎよ。リストができたら作戦会議をするから、少し待っていて頂戴」


 苦笑する姉は気が急いているネアにストップをかける。

ネアははた、と止まり、気まずそうな顔をした。


「まずは、ここを片付けないとね」

「こっちでやっておくよ。おねえちゃんはリストを作って」

「助かるわ。お願いね」


 言うが早いか、私は机の上に散らばった洗い物を全てシンクへぶち込む。

机の上に零れているポーションの残骸や、へばりついている果物だったものは、ネアが処分してくれている。

紙にペンを走らせている姉を横目に、私たちはこの惨状を片付けていくのだった。

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