「……そんなわけで、あとは二人も知っての通りよ」
「おねえちゃんって案外お口悪かったんだね」
「げ、幻滅しちゃった……?」
「ううん、ちょっと悪いおねえちゃんもかっこいい」
「恵美ッ……!」
感極まった姉はその目にうっすらと涙の膜を張りながら、私を抱きしめてくる。
そんな私たちを苦笑しながら眺めるネアが、姉に口を出す。
「それで、どうするんだ」
「どうするもこうするもないわよ……。こうなった以上、やるしかないもの」
「会長の奔放さには困ったものだな」
「本当。こんな時じゃなかったら、ストを起こしているレベルの横暴さだわ」
深いため息。
姉はハッと、床に座り込んでいる現状を直視した。
「ごめんね、車椅子持ってきてもらえる?」
私は姉の抱擁を解き、遠く離れた場所へぽつりと佇んでいる車椅子を押していく。
姉のすぐ近くへと運んだそれにロックをかけると、ネアが姉を抱きかかえて座らせる。
「助かるわ、ありがとう」
姉が微笑んでお礼を言うと、ネアは「やっぱり慣れないな……」と呟く。
たしかに、あのヤンキーおねえちゃんを見慣れてしまうと、正反対のキャラチェンジに戸惑ってしまうのも無理はない。
「もう、ネアってば。慣れて頂戴ね? 特に恵美の前では」
「あ、ああ。分かっている」
笑顔の圧というものか。
姉は笑みを浮かべているはずなのに、ネアの表情は強張った。
「……おねえちゃんもネアって呼んでいるんだよね。ネアは仇名だって言ってたけど、ネアって、ネアが本名なの?」
ふと。
そんなじゃれ合いをしている姉とネアを見ていたら、そんな疑問が湧いてきた。
私の問いかけに二人は顔を見合わせる。
「ネア、言わなかったのね」
「ああ……。必要はないと思ってな」
必要はない。
こんな些細な一言にも、私の心は傷ついてしまうらしい。
まったく、繊細にもほどがある。
「恵美、ネアって名前は、本人が言うとおりに仇名よ。ニックネーム」
「ニックネームでずっと呼んでいるの?」
「あら。恵美だって、陽夏ちゃんにメグってずっと呼ばれ続けているじゃない。それと同じよ」
「あ、そう言われれば……。そうかも」
しかし、その答えでは、漫然とした違和感に近い疑問は解消されない。
なぜだろう、と考えてみると、違和感の正体は案外近くにあった。
「私はメグとも呼ばれるけど、おねえちゃんとか、結衣ちゃんは恵美って呼ぶから。ネアはずっとネアとしか呼ばれていないから、不思議に思ったんだ」
「なるほどね。……恵美、いいこと教えてあげる」
にんまり。
何かをたくらむように笑んだ姉。
イヤな予感を感じ取ったのか、口を挟もうとするネア。
姉はそんな彼を意に介さず、私に話し始めた。
「ネアはね、初恋の女の子にもらったニックネームを浸透させるために、本名を言われるたびに、自分はネアと呼べって訂正するから、みんなネアとしか呼ばなくなったのよ」
一途よねぇ。
ニマニマとする姉に見上げられて、ネアは頬を薄らと染める。
照れている、のだろうか? ネアは顔をふいと背けた。
「それじゃあ、恵美に問題です! ネアの本名は何でしょう!」
「えぇ?!」
「おい、カナタ……!」
「思い出せたら、そうねぇ。いいことを恵美に教えてあげるわ」
悪戯気に笑う姉。
頭痛を堪えるように頭を抑えるネアは、勝手なことを。と呟いている。
「えぇ、そんなの分かんないよ……」
「恵美」
ネアの本名なんて、ネアっていうニックネーム以外にヒントも何もなさ過ぎて、当たりを付けようがない。
どうしようか。眉を顰めた私の名前を姉は呼んだ。
「ゆっくりでいいのよ。分かったら、わたしのところへ教えて頂戴? 答え合わせをしましょう」
すぐに答えを出さなくていいことにほっとすると同時、姉から出されたこの、長期的な宿題を忘れないよう、頭の隅に刻み込んだ。
「まあ、直近で何とか片付けなきゃいけない宿題は、魔力ポーション作り……。だったはずなのだけどねぇ……」
姉は遠い目をしながら机回りの惨状を見る。
あれを片付けるのは確定として、姉の中で優先順位が変わったのは確かだ。
「明後日の講習会、準備しないといけないわ……」
「私も手伝うよ、おねえちゃん」
「ありがとう。やることをリストアップしないといけないわね。……ネアにもお手伝いしてもらいたいんだけど、いい?」
「ああ。なにをすればいい?」
「気が逸りすぎよ。リストができたら作戦会議をするから、少し待っていて頂戴」
苦笑する姉は気が急いているネアにストップをかける。
ネアははた、と止まり、気まずそうな顔をした。
「まずは、ここを片付けないとね」
「こっちでやっておくよ。おねえちゃんはリストを作って」
「助かるわ。お願いね」
言うが早いか、私は机の上に散らばった洗い物を全てシンクへぶち込む。
机の上に零れているポーションの残骸や、へばりついている果物だったものは、ネアが処分してくれている。
紙にペンを走らせている姉を横目に、私たちはこの惨状を片付けていくのだった。
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