「……昨日の件」
思い出せないまま、モヤモヤすると唸っている姉の行動を中断させる、ネアの言葉。
姉はピタリと動きを止め、ネアへと視線を向ける。
「どうするかは決めたのか?」
姉への指名依頼。
飲みやすい魔力ポーションを作れというもの。
姉はその依頼への返答を、保留としていた。
「……まだ、決めかねているの」
資料に書かれていた依頼人の情報。
ぼかされて書かれたそれを読み解けば、依頼人はどこかの大きな会社の社長。
なんでも、とても景色のきれいなダンジョンがあるらしく、彼のご令嬢がそこに物見遊山に行きたいとワガママを言っているらしい。
ならばと準備をする中で、行き当たった問題がポーションの味。
ご令嬢はとてもグルメな方のようで、従来のポーションでは口に入れるどころか、視界にも入れることはないのではないかと、そのように危惧をされているという。
「ダンジョンって、物見遊山で行くようなとこじゃないと思うんだけど……」
「ええ、わたしももちろん、そう思うわ」
姉は悩ましげにため息を吐く。
「例えば本当にわたししか作れないものだったとして、わたしが生涯、その業務だけに携われないとするのなら、やっぱり、仕事として真面目に向かっている人たちに使ってもらいたいのよ」
「だが、実際は金持ちの道楽に利用されそうになっている」
「そう。ネアの言うとおり。だから、まだ決めかねているの」
資料に書かれていた報酬等の条件に、姉のレシピを言い値で買い取るもの、姉の雇用を約束するもののふたつが明記されていたことも、姉の足踏みに拍車をかけているのだと思う。
「お給料の面では、きっと不自由はしないと思うわ。だけど、それはわたしの望んだ形じゃない」
「まあ、そうなれば十中八九、カナタは金持ちにしか流通されない高級道楽品を作り続けることになるだろうな」
「……困ったわ! せめて、そのふたつが無ければ少しは前向きに考えられたのに!」
「……おねえちゃん、それなら、報酬を辞退するのは?」
提案をしてみると、ふたりは揃って私を見る。
「えっとね、今回もらう報酬はポーションの代金分だけにしておいて、他の報酬は辞退するって言ったらだめなのかな? だって、品物の条件を守るのは義務のようなものだと思うけど、報酬は必ずもらわなきゃいけないものじゃないよね?」
依頼人の意図がどこにあれ、支払われるはずの報酬を、作成者の善意で受け取ってもらえないことで被る被害は、社会的にはないはずだ。
報酬の支払い渋りがあったり、裏の意図があったりする場合はこの限りではないだろうけど。
「……カナタ、案外ありかもしれない」
「そうね、わたし、協会に根回しをお願いしてみるわ」
「依頼人側はカナタを抱き込みたいだろうから渋ると思うが……」
「ふふ、知ったことではないわ。食い下がるようなら、この取引はなかったことにするの」
強気な姉。苦笑するネア。
果たしてこの提案の結果が、凶と出るか吉と出るか、まだ分からないままの私。
姉は早速協会に電話をかけている。
私はやり場のない視線を、何となくベッドの方へ向けた。
横たわっている雄大兄ちゃんは、穏やかな表情で眠っている。
まるで、ついこの間の大怪我が無かったかのように、穏やかに。
「……大丈夫だ。なんとかなる」
「なんとか、なるかな」
「なるだろう」
「どうして?」
「カナタだからな」
自信満々に言い放つネアに、私は笑みを浮かべる。
思わず上げた笑い声。彼も同じくらいの声量で笑う。
「ふたりとも、楽しそうね?」
「お疲れ、おねえちゃん」
「その顔を見るに、いい話が聞けそうだな?」
「ええ。わたし、魔力ポーションを作ることに決めたの」
飲みやすい魔力ポーションを。
続く呟きは、ベッドの上の彼に向けて。
姉はしばらく視線を落とし、やがてその視線を私達に向ける。
「手伝ってくれる?」
二つ返事で引き受ける、私達の声が重なった。
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