家に帰ると、姉が何かを煮詰めていた。
ふんわり漂うスパイシーな香り。
ショウガと砂糖の混ざった香り。
「冷えたでしょ。今日、昨日よりも少し寒かったもんね」
私が何かを言うより先に、姉が口を開く。
私は曖昧に頷く。
「うん。……でも、あったかい缶コーヒーはきっと熱すぎたと思う」
「ぬるいくらいがちょうどいい気温だったのね」
姉がコンロの火を止める。
鍋の中に溜まったシロップが湯気を立てている。
「今年出すジンジャーシロップの試作品なの。去年のものと、スパイスなんかの比率を変えてみようと思って」
姉はマグカップの中にシロップを注ぎ入れ、やかんのお湯を注ぐ。
マドラーでかき混ぜれば、ショウガの香りがさらに広がって来る。
「はい、恵美の」
「あ、ありがとう」
湯気の立つカップを両手に持ち、ふうふう息をかける。
ほんの少し舌を浸して温度を確認する。まだ熱い。
「まだ熱かったかしら」
「うん」
「少し冷ますといいわよ」
「そうする」
しばらく無言の時間が続く。
やがて、カップから立ち昇る湯気の勢いが、ほんの少し収まって来る。
(……ちょうどよくなった)
一気飲みはできないけれど、舌の火傷を心配することなく飲める温度になったショウガ湯を一口飲む。
こくり、と喉が鳴るたびに、その喉がかーっと熱くなる。
それと同時に、体の芯から温まるような、そんな安心感を得られるそれは、辛くて苦い、そんな味をしている。
「おねえちゃん。私、喧嘩をした時ってどうしてたかな」
同じようにショウガ湯に舌鼓を打っている姉は、そのマグカップを机に降ろす。
そして少しの間瞼を閉じて、そして開く。
「恵美は今まで、喧嘩って言う喧嘩をしてきたって、聞いたことがないからね」
「そっか……」
「陽夏ちゃんと喧嘩した?」
「……うん」
姉の視線は、あくまでも見守る姿勢に徹している。
穏やかな視線は、見守るけれど手を出す気はない、そう告げているように感じた。
「そうね。わたしも場合は、やっぱり何が悪かったのか反省をしたわ。それから、ごめんなさいって謝っていたわね」
「反省……」
「そう。例えば恵美の方が悪かったのなら、陽夏ちゃんが何に対して怒っているのかを分からないと。分からないまま、とりあえずごめんなさいだけされたら、恵美だっていやでしょう?」
「……うん。ムカつく」
「だから、何が悪かったのか振り返るの。反対に、陽夏ちゃんの方が悪かった場合でも、売り言葉に買い言葉で喧嘩に発展させちゃったのなら、そこを反省しないといけないわ」
「私が、悪かったこと……」
陽夏が去っていく間際に言っていたことを思い出す。
彼女は思い出せと言っていた。
……何を?
「ねえ、おねえちゃん、私……」
問いかけようと口を開いた時、タイミング悪く電話が鳴る。
コール音は、姉の携帯電話から。
「あ、ちょっと待ってね、電話が……」
申し訳なさそうに電話を取る姉に、気にしないでと首を振る。
姉は何事かを喋っている。
聞き取れたのは、今日、病院。
「本当、ですか?!」
驚愕と歓喜をないまぜにしたような声色。
顔を上げた姉の顔は、喜色に溢れていた。
「雄大が、目を覚ましたって……!」
「雄大兄ちゃんが……?」
「ええ!」
心底嬉しそうな姉の顔を見て、言うタイミングを逃してしまった、と私が感じるのはすぐのこと。
そんな思考をする私が嫌になる。
「よかった」
そう呟いた私は、うまく笑えていただろうか。
「ごめんね。それで、恵美は何を言いかけていたの?」
改めて問いかけてくれる姉に優しさを感じる。
私は躊躇いながら、再び口を開く。
「私、私ね」
何を忘れているの?
そう、口にした言葉に被せるように、点けっぱなしにしていたテレビから、ニュースキャスターの声がする。
『現在、全国各地のダンジョンから魔物が溢れてくる現象が起こっています。スタンピードです。該当地域に住む方は、速やかに避難をしてください。繰り返します。スタンピードです。該当地域に住む方は―――』
『辰砂ジンジャー辛苦味』、完結となります。
ここまで読んでいただいて、ありがとうございます。
次章
???『堂々完結!』
???『まだ最終章じゃないってよ』
お楽しみに!
※次章更新は、6月1日(水)より行います。
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