「なんですか、これ? すっごく甘いんですけど」
一度口を塞がれた経験から、結衣ちゃんは囁き声で私に確認を取って来る。
私は同じく、囁く程度の声量で返答する。
「これ、回復ポーションだよ」
「本当に? だって、ゆうにいが勉強だって言って飲ませてくれたポーションは、めちゃくちゃ苦くてまずかったんですよ?」
結衣ちゃんは訝し気な表情を浮かべながら、液体を飲み干して空になった瓶の中を見る。
きっと彼女の鼻には、ほのかにモモの香りが漂っていることだろう。
彼女は、は、と思い至ったように手を合わせる。
「もしかして、これ上級ポーションとか? ランクが上がっているから、こんなに飲みやすいんですね?」
彼女の思いつきに、私は首を振って否定する。
「これ、効果は低級回復の分しかないよ」
「これ、低級回復ポーションなんですか……?!」
信じられない。
そんな顔で、彼女は目を見開きながら、空っぽの瓶を二度見どころか四度見していた。
「それよりも、効果のほどはどう? 足の痛みがよくなっているといいんだけど……」
彼女はその場にぴょん、と立ち上がる。
三回ほど、足首を回す運動をしてみた彼女は、ぱっと喜色満面の笑みを浮かべる。
「痛くないです!」
「それはよかった」
嬉しそうにぴょこぴょこ跳ねている彼女に、落ち着くように言い宥めると、彼女はその場に腰を下ろした。
「これ、恵美さんが作ったんですか?」
「ううん。だって私、盗賊だよ?」
「ですよねー……。……これ売れますよ?」
言外に彼女は、売りに出す気はないのか? と問いかけてくる。
私はそれに首を振る。
「売れるだろうけど、そればっかり作るのは嫌だって」
納得したのか、していないのか。
彼女は口をへの字に曲げ、微妙な顔をしながら呟く。
「もったいない……」
「多分落ち付いたら作ると思うけど……」
「本当ですか?!」
おっと失言。
私は胸の前で大慌てで手を振り、あやふやにするため否定する。
「多分、多分だから! 絶対じゃないから!」
「多分でもいいです! 不味いポーションからオサラバできるんなら、高くっても買います! あたし!」
興奮したように捲し立てる彼女の口を、もう一度手で塞ぐ。
むぐむぐ言っている彼女は、やがて落ち着いた。
「ごめんなさい」
「他に誰に聞かれているか分からないんだから……」
「それ言っちゃうと、あたしに今後の予定をうっかり漏らした恵美さんも悪いと思います」
「それはもう、無かったことにしてとしか……」
互いに顔を見合わせ、噴き出す。
なんだかおかしくなって、しばらく笑い転げてみた。
「はー、おかしいですね。そうだ、恵美さん、これと一緒にツーショット撮りませんか!」
「ええ? それ、SNSに上げるの?」
「上げるとしても鍵垢ですよー。知っているのは家族と友達くらいしかいません!」
「え? え? 鍵垢って、なに?」
私は結衣ちゃんから鍵垢の説明を受ける。
なるほど。そのSNSの形式で投稿したものは、自分が許可した人にしか見れない形式と言うことか。
言ってしまえば、個人グループチャットSNSバージョン。
「あと恵美さんの顔もちゃんと潰しますし! お願いしますよー」
拝み倒すようにぺこぺこ頭を下げる彼女。
ダンジョンの中で勝手をしようとしたという負い目もあって、しっかり塗りつぶすなら、という条件付きで許可を出した。
「やったー! ありがとうございます! それじゃあカメラを見てー、サン、ニ、イチ!」
ピロン。
携帯から軽快な合図が鳴り響く。
「ありがとうございます! 加工するので待っててください!」
「いや、私別にSNSやってないから……」
彼女が携帯を弄っている姿を、半ば呆れ気味に見ていると。
にわかに、空気がざわつくのを感じた。
「……なに……?」
「恵美さん?」
不思議そうな顔で見上げてくる結衣ちゃんに、ここで待っていてとお願いをする。
その足で既に立ち上がっているネアのもとへと向かう。
「ネア、なんか……」
「ああ、少し騒がしい。入口の方からだ」
ダンジョン入口の方へ顔を向ける。
受付の入っている建物がちょうど影になっていて見えない。
私は入口の方で、何が起こっているか必死に意識を向ける。
身体から、何かの力が抜けていくのを感じる。
それと同時に。
「ネア、人がいる。しっかり動けているのが五人と……倒れているのがひとり」
脳の中に、イメージが流れ込んでくる。
それはうすぼんやりとした白色の影。
ダンジョンの入口を雲で表現したかのような、もやもやとした大きな影。
それが大きく口を開いているところに、六人分の白い人影が、これまたもやもやと輪郭を保てていない形状で佇んでいる。
ネアもまた、目を閉じて意識をそちらに向けているようだった。
後ろから不審に思った結衣ちゃんが到着するとほぼ同時、彼は閉じた目蓋を開く。
「……魔物の気配はないようだな。様子を見に行く」
「待って、私も行く」
ネアは少しだけこちらを振り返る。
そして、そのまま顔を前に向けた。
私はそれを、着いて行っていいと勝手に解釈する。
「何が起こっているんですか?」
「私も分からないよ。だから、確認しに行こうかと」
「分かりました、着いて行っても?」
「……ネアが、何も言わないからいいんじゃないかな」
私は着々と離れていっているネアの後ろ姿に目を遣り、置いて行かれないように後を着いて行く。
結衣ちゃんはその少し後ろを、小走りで着いてきている。
ダンジョンの入口。
先ほど、出てきたそこが姿を現すと、ざわついた空気が怒号となって響き渡っていた。
「救急はまだか?!」
「あと十分ほどだと!」
慌てたように行き来を繰り返すのは、ここのダンジョンを管理している職員さんたち。
電話を片手に、必死に声掛けを繰り返しながら、意志の疎通を取っている。
「ちょっとぉ、聞こえてるぅ? もう少しだってぇ! だから、もう少し頑張ってよぉ……!」
頭から腕から、身体の至る所から血を流しながらも、必死に倒れている人の手を握っているのは瀬名さん。
少し前に別れた彼女は、私たちが待っている間に、ずいぶんとボロボロになってしまったようだ。
「欠損部位は繋ぎ合わせた! だけど、酸が身体を壊している!」
倒れている人の胸に手を当てながら、汗を流して必死に光らせているのは由人さん。
現状を、職員さんたちに伝えている必死の彼を見て思うことは、回復魔法は光るんだな。
そんな場違いな感想を、やや現実逃避気味に胸に抱く。
……回復魔法を一身に受けている。
その倒れている人は。
「……うそつき」
「ゆうにい!!」
私がぽつりとつぶやいた言葉は、結衣ちゃんの叫びに紛れて消えた。
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