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宇波
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辰砂ジンジャー辛苦味 9

公開日時: 2022年5月27日(金) 15:00
文字数:2,668

 机の上に置かれた分厚い冊子を一枚ずつ捲っていく。

目録に書かれていた辰砂ジンジャーの項目を見付けるまで、それほど時間はかからなかった。


「これかー。まんまショウガじゃん」

「これが宝石なんだってさ」

「ええ? これがぁ?」


 陽夏はそのページに載っている辰砂ジンジャーの写真をまじまじと見る。

口紅のように真っ赤なショウガ。

感想としては、そのくらいしか思いつかない。


「『辰砂を外皮にしたショウガです』だってよ。ショウガじゃん」

「ということは、皮が宝石? 中身は食べられるもの?」

「どーだろ。……ダンジョン素材のレシピブックなかった?」

「あった気がする。あれ? ダンジョンキャンプ飯だったかな?」

「あー、覚えてねー。中身食べられるなら書いてそうなもんだけどさ」


 陽夏はちら、とダンジョン関連の棚を見る。

私もつられてそれを見た。


「……ちょっと見てきていい?」

「うん、私も辰砂が何なのか気になるから調べるよ」


 そもそも、辰砂という宝石がどういうものなのかを知らない。

陽夏はダンジョン関連の棚へ、私はそれとは正反対に位置する、鉱物、地学関連の本が置いてある棚へと向かった。


「えっと……。辰砂、辰砂……」


 手に取った鉱物図鑑は、目次で辰砂という文字を探しても出てこない。

そもそもが横文字ばかり書かれているこの図鑑は、目次に和名など載せないのだろう。


(目録に関連用語として載っていればいいけど……)


 目録を開くために、前のページをごっそりと開く。

重い。陽夏が表紙から目録を開くのを嫌がった理由が分かる。


「あ、あった」


 ぽつ、と呟いた言葉は、静かな室内にはよく響くように聞こえ、は、と口を手で塞ぐ。

幸いにも、苦情等が出てくることもなく、ほっと胸を撫で下ろした。


(さっきの机で見よう)


 重い図鑑を持って、先ほど立ったばかりの机へ戻る。

陽夏はまだ本を探している最中らしい。

ちらちら視界に移る陽夏を横目に、辰砂のページを開く。


(へぇ、辰砂はシンナバーっていう鉱石なんだ。知らなかった)


 シンナバー、和名辰砂は、赤色を含む鉱石。

昔は絵具として使われていたらしい。


(それで、熱すると水銀と硫化水素になると。……硫化水素って、毒だよね?)


 たしか、水銀も。

理科の授業をほんのりと思い出す。

水銀を授業で扱ったことは無いけれど、先生は体温計にも使われているが有毒物質だ。と注意をしていた。


(え?! ということは、辰砂ジンジャーって、毒?!)


 思わず立ち上がりそうになる身体を、理性で押し留める。

ほんの少しだけ浮き上がったお尻を、もう一度ゆっくり降ろす。


(ミコトさんが採りに行きたくなかったのって、本当は毒だから?)


 しかし、ネアはこの依頼について苦言もなく了承していた。

本当に手に触れるだけで危険な毒だったら、一言アドバイスがあってもいいはず。


(……いや、ダメダメ! ネアに頼ることを前提にしちゃダメ! いつまでもは頼れないよ、私!)


 もしかしたら、試されているのかもしれない。

単純に、ネアがこのことを知らなかっただけなのかもしれないが。


(あ、でも、熱すると分離するなら……。……やっぱり、熱さなければ危険はないって書いてる)


 よかったと息を吐くと同時に、こういった調べなければ危険に陥るかもしれない落とし穴を見付けて、下調べの重要性を胸に刻む。


(あ、続きに何か書いてる。……ギリシャ語の『kinnabaris』に由来……。読めない)


 辰砂のページをそのままに、私は外国語辞典の棚へ、ギリシャ語の辞典を探しに向かう。

とはいえ、オーソドックスに英語や中国語、フランス語とイタリア語の辞書が並んでいる棚に、ギリシャ語の辞典が交ざり込んでいる可能性は低い。

そもそも、ギリシャ語の辞典を生まれてこの方見たことがないのだから、その存在すら私の中では危うかった。

はずなのだが。


(見つかっちゃったよ)


 あっさりと。

実にあっさりと見付かったそのギリシャ語辞典は、一冊だけ、英語辞典とドイツ語辞典の間に入り込んでいた。


 自分の目線と同じ位置に置かれていたその辞典を抜き取る。

しばらく使われていないのか、うっすらと埃が積もっていた。


(うん? ここだけやけに跡がついてる……)


 何度も何度も同じページを捲ったのだろう。

そのギリシャ語辞典の中で、そのページだけにハッキリと跡が付き、すぐに捲りやすいような癖がついていた。


(何を調べたんだろう)


 興味本位だった。

私は机に置けば自然とそのページが開くほどにくっきりと付いた跡を捲り、机に広げる。


(うわぁ、読めない)


 英語辞典でよくある、カタカナ語でルビが振られているということは無く。

まるで呪文のような文字列と、日本語訳が並んだページに目を通す。


(あれ? この文字……)


 『νέα σελήνη』。

日本語訳は『新月』。

どうしてか、その単語がやけに気になってしょうがない。

見たことの無い単語のはずなのに、なんだか懐かしさを覚えてしまう。

私はそのギリシャ文字をなぞるように指を置く。

その瞬間。


「んっ?!」


 頭に響くのは耳鳴り。

キーンと甲高い、モスキート音のような耳鳴り。

響く頭痛。耐え切れず目を閉じると、閉じた瞼の裏側。暗闇に浮かび上がる場景。


 机と、椅子。背の高い本棚がたくさん。もしかすると、そこは図書館なのかもしれない。

椅子に座る背の高い黒髪の男性。顔が見えない。どんな表情を浮かべているのかさえも。

彼は大人しく、何かの本を捲っている。ノートの様なものが見えるから、勉強でもしているのだろうか。

ペンを走らせる黒髪の男性に、女の子の声が、きゃっきゃと楽し気に話しかけている。


『新月ってネア・セリニって言うんだって!』


「うっ、あ、あぁっ!」


 頭が痛い。割れるように痛い。

両手で頭を抱える。机に伏せながら思わず上げてしまった声を聞きつけたのか、複数の足音が聞こえてくる。


「メグ、メグ! どした、大丈夫?」

「ひ、なつ……」


 顔を上げれば、心配そうな陽夏の顔。


「メグ、どした? しんどい? 顔色悪くなってんだけど」

「うん……。頭が、急に痛くなって……」


 そう伝えると、陽夏は机の上の本を見る。

それを見た彼女は、私の肩に手を置いて、優しい提案をしてくれる。


「今日はもうやめにしよ。な!」


 私は頷く。

未だに頭はがんがんと痛むが、ほんの少しだけましになってきた。


「片付けはこちらでやっておきますので、どうぞお大事に」

「助かる、ありがと」


 司書さんに対して敬語を使わない陽夏に、陽夏らしい、と頭の隅で思った。


「んじゃ、帰るか。の前に病院寄ってくな」

「うん……」


 片付けを司書さんに任せ、私たちは帰路に就く。

途中、いつも世話になっている病院に寄りながら。

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