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宇波
宇波

辰砂ジンジャー辛苦味 10

公開日時: 2022年5月27日(金) 18:00
文字数:2,009

「疲労が溜まっているのでしょう」

「疲労……ですか?」


 幼いころから世話になっている、家の近所の個人病院。

個人経営でやっているそこは、確か今年で四十周年を迎えるらしい。

随分と長く続いている病院の院長は、ロマンスグレーの髪を整えた紳士。

老若男女、分け隔てなく優しく接してくれるから、町内でも人気の先生だ。


「恐らく、疲労による頭痛、それに伴う白昼夢のようなものを見たのでしょうね」

「でも先生、白昼夢ってはっきりと見えるものなんですか?」


 果たしてあんなにはっきりと、知らない情景が映るものなのだろうか。

問いかけに微笑む先生は、「そういうこともあるでしょう」と肯定とも否定とも取れない、曖昧な返答を返す。


「とにかく、今日はゆっくり休んでください。ちゃんと食事をして睡眠をとること。明日、体調が優れない場合は、学校をお休みすることも視野に入れた方がいいかもしれませんね。頭痛が再発した時用に、頭痛薬お出ししておきます」


 それではお大事に。

そう、診察室を出された私は、釈然としない思いを抱えたまま受付前のロビーへと向かう。


「おつ。どだった?」

「なんかね、疲労だって」

「疲労かぁ。……ま、メグ夏休み中ずっと頑張ってたみたいだし。体調良くなるまで休めばいいさー」

「うーん、なんかすっごく腑に落ちないけど……。そうするよ」


 支払いを終え、病院を出る。

家路につく足並みは揃い、西側に傾き始めた夕焼けが私たちを照らす。

やけに赤いその光に目を細めると、いつの間にか頭痛が収まっていることに気が付く。


「なんか、頭痛治まった」

「お、よかったじゃん。でもちゃんと休めー? また頭痛くなるかもしれんしさ」

「うん。今日は帰ったらすぐ休むよ」


 陽夏の忠告に、素直に頷く。

いつの間にか家に辿り着いていた。


「ちょっとカナタさんに状況説明だけしとくわ。メグは着替えてきなー」

「ありがとうね、陽夏」

「どってこと。あ、ただ病院の診察はメグから説明しなね? ウチ、診察室までは同行してないし」

「もちろん」


 裏口の扉を開けてすぐ、見慣れたキッチンが目に入る。

姉は見当たらない。店の方か、それとも部屋か。


「お帰り、ふたりとも、早かったのね」

「ただいま、おねえちゃん。ちょっと頭痛くなっちゃって」

「あら、大丈夫?」


 心配そうに近付いてくる姉は、部屋の方から出てきた。

私は靴を揃えて上がり、陽夏に向き直る。


「お願いします」

「ん、任せとけ」


 陽夏が姉に説明を始める。

その声を背中に聞きながら、私は自分の部屋へと入り、扉を閉める。


(……落ち着く)


 慣れた自身の匂いに包まれ、人心地つく。

そうして私は、白昼夢だと断じられたあの映像を思い返す。


(……顔は見えなかったけど、知らない人だった。女の子の声も、聞いたことがない)


 それなら、あれは誰だったのだろう。

何故私は、知らない人たちの風景を見たのだろう。

何故私は、その映像を見て頭痛を起こしてしまったのだろう。


 考えれば考えるほどわからなくなってくる。

頭痛は治まったが、今度は知恵熱が出てきそうだ。


(……新月。ネア・セリニ……?)


 ああ、そういえば同じ読みの同じイントネーションを持った名前の人が、ひとりいた。

私は前髪に隠れたあの目を思い出す。

茶色みも青みもかかっていない純粋な黒。

あれも、きっと新月に似ている。


(ネアは新月……? まさかね。新月って名前の人、見たことないもん)


 そもそも、あの男の人はきっとネアじゃない。

雰囲気は似ているような、似ていないような。

ただ、顔も表情も見えない人。きっとネアじゃなかった。


(もしかして、ネアが好きだって感情が、似た人物像を白昼夢として見せた? ……どうしよう、ありえるだけに何にも言えない……)


 顔に集まった熱を冷ましながら、部屋から出る。

静かなキッチンには、姉だけがいた。


「陽夏、帰ったの?」

「ええ。メグの体調を心配してくれてね」

「そっか。また学校行ったらお礼言わなきゃ」

「そうしなさい。……それで、お医者さんはなんて?」


 姉に促されて座った席。

正面には、心配そうな姉の顔。


「疲労だって。記憶にない映像も、白昼夢のようなものだって言われたよ」

「そう……。大事ないならよかった」


 心底安堵した風に、姉は深いため息を吐く。


「頭痛ももう治まっているし、問題ないと思うけど、今日は早めに休むね」

「ええ、そうした方がいいわ」


 夕飯は姉が作ってくれると言ってくれたため、それに甘えることにした。

部屋に入る直前、ふと思い出し、私は姉を振り返って見る。


「そういえば、ネアの本名って新月?」


 不意を突かれたと言いたげに、姉は一瞬固まり私を見る。

しかし、その首は緩慢な動作で横に振られた。


「いいえ、違うわよ」

「そっかぁ。だよね、新月って名前の人、見たことないし……」


 いたとすれば、ずいぶん珍しい名前だな、なんて思って記憶に残る自信がある。

姉に、「どうして?」と尋ねられたから、「なんでもない」と誤魔化して部屋に入る。

閉じられた扉が、やけに重く感じた。

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