喧騒から離れるように、奥へ奥へと、水晶の光を頼りに歩いていく。
水色の水晶は、時たま緑や黄色へとその色を変え、見ている者を飽きさせない。
「ここまで来ると、ずいぶん静かだね」
時折出て来る魔物のレベルが上がっている。
そう感じたのは、ピンク色の水晶が多く目立ってきた頃。
ヒスイアルマジロなる魔物の首を切り落とし、甲羅を剥いで鞄へと収める。
ヒスイが埋め込まれている甲羅は言わずもがな、宝飾品としての価値が高く、肉も意外と美味しいらしい。
さすが、食べ物ダンジョン。
「デートで来ている連中は、危ない橋をよく分かっているんだろうな」
ネアは背後から跳びかかって来るサクランボを頭から生やした、卵みたいな魔物を振り返りざまにぶん殴る。
それは卵の黄身のような中身をデロリと垂らし、やがて力尽きた。
「……ネアってさ」
「なんだ」
「今、好きな人とかいるの?」
言ってから羞恥が胸中を覆う。
魔物の頭に生えていたサクランボを回収しながら平静を装う。
けれど心臓は早鐘を打ち、私の顔色がどうなっているのかは鏡を見るまでもない。
ただ、ネアの顔だけが見れない。
「……それは」
「あんっ」
「?!」
突然の嬌声。
私はびっくりして、つい、辺りを見渡してしまう。
地面から生えている、身の丈ほどもある大きな水晶群。
その陰で、キスをしながらもつれ合う男女が。
「ね、ねねねね、ネア」
「落ち着け、メグ」
「あ、あの人たち」
「メグ、先を行こう。大丈夫、落ち着くんだ」
男女の色事。
保健体育でそういうことがあることは知っていたけれど、それも教科書の文字のみでしか知らない行為。
水晶越しの鮮明ではない情事とはいえ、初めてそれを目の当たりにした私はパニックを起こしかけていた。
ネアの先導で、ピンク色の水晶よりも更に奥。
赤色の水晶を超えて紫色の水晶が多く集まるエリアに身を寄せる。
「あの人たち、ちゅーしてた!」
未だパニックが収まらない私の第一声は、そんな子供のような発言。
ネアは、うん、そうだな。なんて生暖かい目で私の頭を撫でる。
やはり子供っぽかったのだ。
私の頬に、カッと一気に熱が集まるのが分かる。
「……世の中の恋人たちって、みんなああいうコトしてるんだね」
「あー、まあ、そうだな……」
「初めて見た。びっくりしたぁ」
熱が引かない頬をパタパタ手で仰ぐ。
こういうところが経験値不足でお子様なのだと、言われてしまえばそうなのかもしれない。
「……結構、奥まで来ちゃったね」
「……ああ」
紫色の水晶は、ピンクの水晶の所よりも強い魔物が出るのだろう。
所々に黒い水晶が点在していることから、この先は真っ暗な光で埋め尽くされているのかもしれない。
「戻った方が、いいよね」
さっきの情事は終わっているだろうか。
多少気まずくなりながら、ネアの様子を窺う。
彼は黒水晶の奥を見ていた。
「……さっきの話だが」
「さっきの?」
もしかして、今好きな人がいるのかとか、そんな話だろうか。
聞きたいような聞きたくないような。
私は好奇心に負け、その先を聞いてしまう。
「いる。現在進行形で」
目を見開く。
そう言った彼の顔があまりにも切なげに歪むから。
きっと叶わない恋なんだ。
そうやって想像できてしまうから。
あなたのことが好きなんです。
そんな子供染みた幼稚な一言でさえ、私は言うことができなかった。
▽
「あのね、おねえちゃん」
あのデートスポットからさらに二階層進んだ先にあった魔の実のヘタをむしりながら、私は何となしに姉へと話しかける。
「どうしたの? 恵美」
姉は在庫も僅かになったナオリ草を煎じている。
結局、ナオリ草は見つからず、協会の方に注文した。明日届くらしい。
「おねえちゃんって、好きになった人がいる時って、すぐに好きって言えた?」
ナオリ草を煎じる、火の音が弾ける。
「難しい質問ね。わたしのときは、わたしが言ったんじゃないもの」
「雄大兄ちゃんから?」
「そう。雄大から、毎日好き好き言われて、わたしが折れたのが始まりだったかしら」
それから好きだって言えるまでに、結構長い時間かかったわ。
姉は煎じた汁を濾しながら、懐かしそうに思い出す。
「もしかして、ネアのこと?」
「……」
言葉には出せなかった。
ただ、こくりと小さく頷くのみ。
「私ね、言えなかった」
「あら」
「だって、好きな人がいるって言うの。すっごく切なそうに」
脈がないって思ってしまった。
だから、躊躇ってしまった。
「あらまぁ、それは」
姉はしばらく考えるように口元に手を当てる。
もしかすると、ネアの好きな人の心当たりがあるのかもしれない。
「なんか、すごくもやもやするの」
「ネアに好きな人がいたから?」
「そうなのかな。でも、違う気がする」
「あら、それなら、言えなかったから?」
「……」
私はヘタをむしる手を止める。
すとんと、胸のどこかに落ちた。
「そう、なのかも。うん。そうだ。私、言えなかった意気地なしの私自身に腹立ててるんだ」
言語化して、ようやく腑に落ちた感じ。
「おねえちゃん、どうしよう。私、年齢の差とか、ネアに好きな人がいるとか、関係なくネアが好きだ」
言語化する。言葉にすることを怖がっていたこの言葉を。
ああ、どうしよう。日に日に膨れ上がるこの気持ちをどうしてくれよう。
「恵美」
姉の声がする。
視線を上げる。姉が優しい目をしている。
「恵美のその気持ちは、恵美だけのものよ。ふたりの結末がどうなったとしても、その気持ちだけは大切にしなさいね」
「おねえちゃん……」
ありがとう。
私はそう言って、一抹の恥ずかしさを胸に目を伏せた。
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