「……でも、困ったことになっちゃったわね」
結衣ちゃんとの通話を切ってしばらく。
思いつめたように重たい口を開いた姉は、そんなことをぽつりと。
「私たちのために黙っていたことって、そんなに悪いことだったの?」
せめて否定してくれ、と願いを込めて問いかければ、返ってきたのは首を横に振る動作。
「いいえ。そもそも、生産職の人たちがオリジナルに編み出したものは、作り出した人に権利があるの。発表するのも、秘匿するのも」
「それなら」
「決まりがそうなっているだけで、民衆が納得するかは別の問題よね」
便利なもの、もっと豊かになるもの。
そういうものを下手に隠し立てをすると、悪いタイミングでバレた時、彼らの嫉妬や羨望は怒りとなって、隠していた人のもとへと向かってしまう。
「判断を誤ったわ。こうなるならせめて、協会にレシピだけでも投げておくんだった」
「でも、それをやると、そのポーションをずっと作れって言われるかもしれなかったんでしょ?」
「そうなる可能性は高いわ。でも、今思えばいくらでもやりようはあったのね」
「どんな?」
「例えば、わたしが自分で使用するために一定数作り上げるまでは協力しない、なんて約束を守ってもらうとかね」
「聞いてもらえたかな?」
「聞くしかないのよ。協会側が嫌だって言ったとして、それならわたしはレシピを公開せず、現物を流通させもせずに雲隠れするって言えば、それが有用なものであればあるほど、こちらの言うことを聞くしかないわ」
姉が微笑む。
その微笑みがどことなく黒い気がするのは、私の気のせいだろうか。
「ずいぶんと……自信があるんだね、おねえちゃん?」
「あら。それなら恵美は、現場であの苦くてまずいポーションをずっと飲むのと、甘みのあって飲みやすいポーションを飲むの、どっちがいいのかしら?」
「比べるまでもないです。納得した」
だけど。
姉が顔を顰めながら続ける言葉に、私は私の浅はかさを心底恨んだ。
「バレるタイミングが悪かったとしか言いようがないわね……。多くの人たちがこのことについて協会に陳情すれば、協会も動くしかなくなるもの」
国家権力も世論には弱い。
つまり、ダンジョン関連の協会も、例には漏れずそういうことなのだろう。
多勢力の味方に付く方が、後腐れもないし、楽でいい。
「うーん……どうしようかしらねぇ……」
悩んだような声色で、うんと大きく伸びをする姉。
しかしその声に深刻さはない。
どちらかと言えば、昼ごはんはとんかつとパスタ、どっちを選んでも問題は無いんだけど、どっちがいい? と振られた時のような声色。
「おねえちゃん、あんまり深刻に聞こえないんだけど……」
「だって、そこまで深刻な問題でもないもの」
「ええ?」
「ただ、どんな方法を取れば、わたしが楽なのかを悩んでいるだけよ」
明日のおやつはアイスにするか、ケーキにするか。
そんな感覚でしかない、と姉が付け足した時、私はある種の尊敬を抱いた。
「むしろ明日のおやつを決める方が重要度が高いわよ。……あ、ねえ、恵美。明日のおやつ、何が食べたい?」
「えぇ……。ダンジョンに行くから、さっぱりしたものが食べたい」
「もちろん、いいわよ。あ、それならシャーベットとかどうかしら」
「うわぁ、嬉しい! ……じゃなくて!」
危うく姉のペースに乗せられてしまうところだった。
どうしたの、恵美。なんてのほほんとしている姉に、溜息のひとつも吐きたくなる。
「もー、本当にどうするの、おねえちゃん……」
そうねぇ。
姉はしばらく唇に指を当て、そしてにっこりと微笑んだ。
「隠し通せないなら、協会の方に協力してもらうしかないわね」
「協会に……?」
「ええ。レシピを預けて、これを作れるか試してほしいってお願いするの」
もちろん、レシピの公開は協会に丸投げするわ。
そんなことを宣った姉に、私は目を剥いた。
「いいの? そんなことして……」
「もちろん、条件はもぎ取って来るわよ。そうねぇ、例えば、レシピの使用料を頂くとか、すべてを丸投げする代わりに、取材なんかの煩わしいこと全てを、協会の方で対応してもらうとか。どうかしら?」
「どうかしら? って……。もしできなかったらどうするの?」
「あら、できなかった時のことは特に考えていないわ」
「ええー……」
あっけらかんと言ってのける姉に、私は大丈夫かなぁ。なんて、一抹の不安を覚えた。
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