スタンピードが発生した。
その現象を、各地の有志探索者達が身体を張って、命をかけて沈静化に当たっていた。
ダンジョンが現れて五年。
探索者や民間人から、多くの死者と負傷者と出したこの現象。
悲劇を二度と起こさせるものかと、研究者たちが熱を上げて調べ、再発防止策を構築するとともに、長く後世まで語られていくこととなる。
さて、多くの犠牲を出しながらも、その惨状を食い止めるべく、波打ち際で戦っていたひとりの男。大久保雄大。
数多の探索者のひとりと括られ、歴史書に名が載ることは無い彼は、今。
「あいだだだだだっ! 痛ぇって! カナタ!」
「無茶ばかりするからよ。いいお灸になるでしょう?」
「にしても消毒液ぶっかけすぎなんだよ! おい、もうちょっと優しく……。おいコラネア、恵美! 何笑ってんだよ! お前も苦しめ!」
「ふっ、残念だったな。俺はポーションのおかげで全快している。痛むところはどこにもない」
「はあぁー! ムカつく! あいだっ!」
傷口の手当てを姉にされていた。
勝手に病室を飛び出したこと、それに加えて生傷をたくさん作って来たことに怒った姉は、情け容赦のない乱暴な手つきで、雄大兄ちゃんの消毒をしていた。
現在在庫のあるポーションは、消毒液程度では回復しないほどのケガを負っている人たちに優先的に回されている。
そのため、骨が折れているわけでもなければ失血死の危険があるわけでもない雄大兄ちゃんは、こうやって消毒液をかけて包帯を巻くという手当を受けるしかないのだ。
姉の手当ては地味に痛いらしい。前線で爛々と目に危ない光を灯していた男と同一人物とは思えないほど、情けなく喚いている。
「くっそ、お前、そのポーションも恵美のおかげなんだからな?! 恵美がいなかったらお前死んでたんだからな! 感謝しとけよ!」
「ああ、もちろん、感謝している。メグ、危ないのにあそこまで、ポーションを持ってきてくれてありがとう」
「ううん、結果論だよ。もしかしたら、おねえちゃんに頼まれて持って行ったのはポーションじゃなかったかもしれないし」
「そうね、いいタイミングでいい道具を持って行けたのは本当に偶然に近かったわ。自分の幸運にも感謝しておきなさいよ、ネア」
姉も同調し、三人で微笑み合う。
そんな中、雄大兄ちゃんだけが不可解と言いたげな顔をしていた。
「……ん? 持って行った? おい、恵美、お前どうやってネアにポーションを飲ませたとか……」
「雄大兄ちゃん、シッ!」
余計なことを言い出しそうな雄大兄ちゃんに、先制して口止めをする。
それを聞くと、あろうことか、彼はにやにやと笑いだす。
あ、嫌な予感がする。
「おい、ネア。お前恵美に感謝が足りないんじゃないのかー?」
「は? これ以上ないほど感謝しているが?」
「いやいや、お前あの時、気ぃ失ってたんだからな? ポーションも水も飲み込めない状態だったんだからな?」
「……ん? ポーションを飲み込めなかったら回復していないじゃないか。……まさか」
「そーそー。たぶんそのまさかだよ」
「メグ」
真剣な目をして私と向き合う朔にいに、私の暴挙がバレたのかと身を固くすると同時に、頬に熱が集まってきた。
それを知ってか知らずか、朔にいは私をじっと見てくる。
「メグ……。もしかして、光魔法を使えるようになったのか?」
「え?」
後ろで雄大兄ちゃんがずっこけた。
昭和のアニメーションもびっくりの綺麗なずっこけ方だった。
「どーしてそうなるんだよ!」
「違うのか?」
「全く違うわ! なんなら予想の百八十度は違うわ! お前天然ちゃんかよ!」
雄大兄ちゃんのツッコミも尤もである。
私もまさか、そんな発想に行くとは思っていなかった。
「ネ、ネア……アンタ……っ!」
姉はと言えば肩を震わせて笑いを堪えている。時々吹き出しているから、堪えられてはない。
バレていない。
そのことに安心し、胸を撫で下ろす。要するに、油断したのだ。
「あーもう! だからぁ、口移しだよ、口移し!」
「口、移し……?」
言っちゃった。
朔にいが勢いよく私の方へ振り返る。
私は勢いよく顔を逸らした。
「あっははは……! あー、おっかしい! よかったわねぇ、ネア。恵美のファーストキスをもらっちゃって」
「ふぁーすと、きす……?」
しばらく語彙能力が極端に低い世界にいたと思えば、唐突に理解に及んだのか、朔にいがもう一度私に振り返る気配がする。
私はと言えば視線をずっと逸らしている。
興味本位で横目に見れば、朔にいの顔が真っ赤に染まっていた。
「あ、ネアが倒れた」
どうやらキャパがオーバーしたらしい。
音もなく静かに倒れていくのを、雄大兄ちゃんが冷静に実況していた。
▽
「そういえば、おねえちゃん」
倒れた朔にいをうちわであおぎ続けるという介抱をしている中で、姉が以前に言っていたことを思い出す。
「ネアの名前を思い出せたけど、おねえちゃん。教えてくれるって言ったいいことって、何?」
姉は、そうねぇ。と言いながらにんまりと口元に弧を描く。
「ネアの初恋の女の子のお話よ」
「うん。なんかね、予想付いたと思う」
「あらあら。その予想通りかは分からないけど、ネアの初恋の女の子は恵美なのよね」
記憶を取り戻してから、今までに聞いた話と比べれば、そうではないかな、と予想は付いていた。
自意識過剰と思われようが、しかしどうしても条件に当てはまりそうな人物が、ひとりしか見つからなかったから。
「……歳離れているけど、大体どれくらいから?」
「そうねぇ、初めて会わせたのが十一歳くらいの時だったんだけど、数年もしない内にやたらと恵美の好物とか、好きな色とか花とかを聞いてくるようになったわねぇ」
思わず朔にいの方を見る。
彼は穏やかな寝顔を晒し、私の膝の上に頭を乗せている。
「朔にいってロリコンだったの?」
本人が聞いていれば即座に否定されそうなことを、臆面もなく姉に聞く。
姉はまた、可笑しそうに爆笑した。
「あはは、ロリコ、ロリコンっ……! 恵美、ネアはロリコンじゃないわよ!」
「だって小学生……」
「違うわよー。単純に好きになった人が恵美だっただけよ。何がきっかけになったのかはわたしもわからないんだけどね」
胡乱な目付きで姉を見れば、本当なのに。と困ったように笑っている。
「だって絶対恋愛対象年上か同い年の女の人かなって思ってたもん」
「あら、ネア、今まで彼女いたことないわよ」
「流石にそれは嘘でしょ」
「本当よぉ。……うーん、それなら、今までの恋愛ベタエピソードでも聞く?」
聞きたくなかったらいいけど。
姉の言葉に、私は聞く。と返事をした。
姉は朔にいの恋愛ベタエピソードを指折り数えていく。
「好きな子に喜んでもらいたくて、身内にそれとなく聞いたつもりなんだろうけど、あっさり好きな子がバレたことがあるわ」
しかもバレたことにしばらく気付いてなかったわ。
呆れたように朔にいの顔を見る姉は、次に、ともうひとつ指を折り曲げる。
「好きな子がちゃんと大人になって、自分で考えて意見を言えるようになるまで、気持ちを伝えないことにするって勝手に決めちゃったのよ。誰がどう見ても、その時は両想いだったのに」
誠実と言えば聞こえのいいその態度に、姉は本気で呆れているようだった。
しかしひとつだけ言わせてもらうとするならば。
多分私も、相手からの好意に鈍感だったのだと思う。
(両想いだったとか初めて聞いたんだけど)
絶対に言わない。墓場まで持っていく。
そんな決意を固めていると、姉がすべてわかっていると言っているようなニッコニコな笑顔になっていた。
「ネアが今まで彼女いなかった理由ってね、要するに」
彼女は朔にいの顔を見る。
寝息は穏やかで、幸せそうな顔をしていた。
「一途で初心なのよ」
皆様、ここまでたくさんの閲覧、応援をいただき、感謝の念に堪えません。
本作品、『魔法のシロップ屋さん』の本編は、この『思い出はティーシロップに溶かして』をもって、完結となります。
長らくのご愛読、本当にありがとうございます!
さて、今後の予定ですが、三話ほど後日譚を載せて、本当の意味で完結とさせていただきます。
あとがきもここまで読んでいただきましてありがとうございます!
さて、本編後日譚は、6月11日に朝、昼、夜の三回に分けて投稿します。
ぜひ、最後までお楽しみください!
※後日譚のみ、カクヨムさんと同時投稿になります。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!