「……うっ……」
開かれた扉の先。
実験室の光景は、あまりにも異様なものだった。
いや、俺たちがそう感じるだけで。
実験室、と呼ばれるのには相応しい場所なのだ、ここは。
「何だよ、これ……」
前室とは打って変わって、相当な奥行のある部屋は、謎の装置で埋め尽くされていた。錆びたパイプが部屋全体に絡みつくように通されており、それらはグロテスクな形をした装置へ繋がったり、或いは天井を抜けていたりしている。当時にしては最先端だったであろう装置はもう、全てが劣化していたが、それでもかつての狂気は十分に伝わってきた。
ここは――存在してはならない場所だ。
「ミツヤ、床……」
ソウシが震える声で訴える。彼の言葉に従って足元の石床を見てみると、そこには明らかに、染みついた血の色がいくつも、いくつもあった。
「くそ! 一体ここでどんなことが行われてたっていうんだよ!」
俺たちのような子どもには、受け止め切れない負の歴史だ。
戦争という苦しみの中で生じた、残酷なる歪み……。
「……ここに、さっきの男の子の体が残ってるのか?」
「多分、な」
体というよりも、その名残。
骨の一部とか、そういうものが辛うじて残っているのだろう。
振り返ってみると、男の子は寂しそうな笑みを浮かべていた。
その笑みを見るのが辛くて、俺はすぐに目を逸らしてしまった。
「奥の装置の傍に、箱が並んでるな」
「……あの中に、保管されてる可能性はありそうだ」
「ふう……開けてみるしかねえか」
俺たちは、慎重に部屋の中を進んでいく。古びてはいるものの、誤って装置に触るととんでもないことが起きるかもしれない。警戒しておいて損はないはずだ。
装置の中は、およそ安全とは思えぬ色をした液体で満たされていた。試験管のような管が幾つも突き出ていて、そこから見て取れたのだ。清めの水とは違い、毒々しい紫色をしている。これが清めの水でないことは明白だった。
毒々しい……というより、これは多分――毒そのものだ。
箱の前まで辿り着いた俺たちは、一つずつその中身を検めていった。調剤用の器具や、火薬のようなものが入っている箱もあれば、手錠やナイフが入っている箱もあった。そして、何個目かの箱を開けたとき、ようやくそれを見つけることができた。
……それは、小さな頭蓋骨だった。
「マジ、かよ……」
『……それが、僕の名残。もう、体なんて言えるようなものじゃないけどね』
男の子は、ゆっくりと前に出てきて、自身の頭蓋骨にその手を触れる。
もう二度と手に入らないものを、それでも掴もうとするかのように。
「これが唯一、こっちとあっちを繋ぐものだから。どうかその水で、残った未練を洗い流してほしいんだ……」
「……それで、救われるんだな?」
「……うん」
「分かった」
俺は、水筒の蓋を開けると、箱の中の頭蓋骨に清めの水を振りかけた。
量などはまるで分からなかったが、どうせならと空になるまで逆さにしていた。
そして、最後の一滴まで水が落ちたとき。
男の子の体から、光が満ち溢れてきた。
「うわっ……」
そう……これで霊を――彼を鎮めることができたのだろう。
未練を浄化して。思いを昇華して。
その体は、天へ昇っていけるようになる。
「……ありがと。今の人たちは、昔と違って優しい人が多いみたいだ。それも、一つの救いなのかも――」
言葉は、最後まで発せられることはなく。
眩い光が男の子を包むと、それが消えたときにはもう、彼の姿はどこにも存在しないのだった。
逝ってしまったのだ、ここではない彼方へと。
「……成仏した、か」
周囲を見回してから、ソウシは小さく溜息を吐く。
「はあ。おかげでちょっと非現実的なことも慣れてきたかもしれねえ」
「だな。これだけラッシュで来るとね」
零時ちょうどの霊の声。殺されたタカキ。鎖された空間。悪霊、そして凄惨な歴史……。
肝試しをするために集まったはずがこんなことになるなんて、誰も想像できなかっただろうな。
「しかし、この実験室にある液体は何なんだよ。清めの水の試作品……なわけねえよな。これはどう考えたって危険物だ」
「当時の人間が、せっせとこれを作っていたんだろう。そしてその人間とは、少なくとも湯越さんじゃない」
「ああ……そもそも湯越さんは、娘の留美さんが死んでからこの霧夏邸を購入して住み着いたんだからな。この実験室は戦時下のもの。彼は、ここで非情な実験を繰り返していたわけではなかったんだ……」
まだ細かな部分で繋がらないことはあるけれど。それでも、湯越郁斗が世間から思われているような悪人でないことはハッキリした。ソウシにとっては、それだけで嬉しいことなのだろう。
探索を進めるうち、自然と更に詳しい事情が明らかになるかもしれない。もちろん目的は脱出だが、知ることができるのなら、知りたいものだ。
「……色々と収穫はあったな。清めの水の効果も証明されたし、もう一度汲んでからハルナたちのところへ戻ろう」
「んだな。少しずつ、希望の光が大きくなってきた感じだ」
暗く淀んだ実験室の中ではあったけれど。
ソウシはわざとらしく大きな声で言い、俺に笑顔を浮かべてくれた。
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