ボロボロの廊下を二人、並んで歩く。
出来ればずっと、このまま歩きたいという思いにも駆られたが、ここにいられる時間は僅かしかない。
廊下はすぐに途切れる。
二年二組の教室経由で道は繋がっているようなので、オレたちは方向転換し、教室へ入った。
そこに、また黒いもやが漂っていた。
やることは同じだ。オレは万が一にももやが逃げないよう、音を立てず慎重に近づいていき……そして、手をかざした。
次は、ユウキの記憶だった。
「……ごめんね、エイコちゃん。俺も……その思いは一緒なんだ」
屋上の前。誰も近寄らない暗い場所で膝を抱えながら。
ユウキはエイコちゃんへの思いを、独り呟いていた。
オレの記憶ではないけれど。記憶世界の中で一緒になっているからか、そのときの気持ちも流れ込んでくる。
喜びと苦しみの葛藤の中……ユウキは確かに、希望を見出そうとしていた。
「だから……必ず。この怖さを越えて……今度は、俺から伝えるから」
ユウキは拳を握りしめ。
「どうか、待ってて――」
祈るように強くまぶたを閉じて、そんな風に呟くのだった。
切ないけれど、とても純粋で温かな記憶。
それをオレの中へと取り込んで、ゆっくりと目を開ける。
するとそこに、未だ会えていないユウキの姿が浮かんで見えた気がした。
オレに向かって、照れ臭そうに微笑んでくれている気がした。
「ユウキ……」
景色が一緒に映ったのかもしれない、ミイちゃんも愛おしそうに息子の名前を呟く。
その顔だけは、オレの知らない母の顔だった。
もしもあのとき、ドールが現れていなければ。
今のミイちゃんと同じような顔を、オレも浮かべていたのだろうか。
浮かべていたかったな、と苦しくなる。
「……次だ」
オレの記憶、ユウキの記憶。現れ出てくるのが一つずつなら、これでもう半分が終わった。
残っているのは、ミイちゃんとあいつのものだけ。
この空間も、流刻園の二階部分しか再現されていないようなので、道のりも丁度あと半分というところか。
「……あ」
殆ど距離を置かず、また記憶の断片がオレたちの傍に現れる。今度の断片には、ミイちゃんが敏感に反応した。
何か感じるものがあるのだとすれば、これは恐らく。
手を差し伸べ、もやに触れる。流れ込んでくる記憶は予想通り、ミイちゃんのものだった。
いつかの下校途中の光景。今のように、二人仲良く並んで歩いた光景だった。
「今日ねー、風見照(かざみてらす)さんを見かけたんだよ。しかも、この近くで」
他の生徒たちに混じって、玄関から校門に向かって歩いている途中。
嬉しそうにミイちゃんがそう切り出した。
「カザミ……って、誰だそりゃ」
「えー。たまにメディアとかで、悲劇のハンサム研究者とかで出てるんだよ? 本業が忙しいみたいで、あんまり沢山出てはいないけど」
やたらと肩書の多い人なんだな、と心の中で思ったのは、今でも憶えている。
「何か、ちょい胡散臭いな」
「ま、最近取り組んでる研究も、幽霊がどうとからしいんだけどね」
「うわー……そりゃ胡散臭い」
当時はそんな一言で済ませていたものだが、今にして思えば風見照という人物は、結構な重要人物だったのかもしれない。
幽霊についての研究。それは即ち、降霊術にも繋がるものだからだ。
ドールという男と関係があるのかは分からないが、降霊術に関しては、風見照は何かを知っていた気がする。
だから、流刻園なんかに訪れたのではないだろうか。
「有名人に会えて嬉しいのは分かるけど、あんまりそういうのに夢中になるなよ?」
「へへ、分かってますよーっ」
記憶の中のオレたちは、そんなやりとりをしながら仲良く帰っていく。
オレはその背中が遠のいていくのを、最後まで眺めているしかなかった。
取り込んでから、この記憶はミイちゃんが触れるべきだったかとも思ったのだが、最終的にオレがリクを追い出す力を得ておく必要がある。
だから、とりあえずリク以外の全ての記憶をオレが取り込んでおいて問題は無い筈だ。
「……こんな日もあったね」
「だな。オレはともかく、ミイちゃんも憶えててくれてたんだ」
「勿論だよ! ユウくんとの時間は、ちゃんと憶えてる」
オレとの時間、か。
それはオレがオレでなくなった後も、なのだろうか。
色を失った時間も全て、彼女はそれでもと憶えてくれていたのだろうか。
「ミイちゃん……」
名前を呼んだとき。
廊下の奥――突き当りのところに、最後の断片が現れた。
これまでで一番不安定で、そして黒々とした記憶。
絶望に染まった魂の欠片。
「……これが、お前の記憶なんだな」
お前が抱いた思いの根源。
嫉妬の日々がきっと、この中には詰まっている――。
ある時は、同じ教室の中で。
ある時は、体育館で。
そしてある時は、友人たちと遊んでいる中で。
リクは何度も、オレの方に目を向けていた。
――僕ももっと話し上手なら。
――僕ももっと頭がいいなら。
――僕ももっと運動が出来るなら。
リクの心の声が、わんわんと谺する。
そう、あいつはオレの傍にいながら、ずっと比べ続けていたのだ。
そして、勝手に結論を出してしまっていたのだ。
自分が劣った存在なのだと。決して勝てない存在なのだと。
表向きは仲良く話しながらも……その実、劣等感からの嫉妬は、日に日に増すばかりだったのだ。
「……ミヨちゃん」
移動中の廊下で、ミイちゃんの背中を見つめながら、呟くリクがいた。
「ミヨちゃんには、ユウサクが相応しいよ。……相応しいからこそ」
――僕は、あいつが。
歯を食い縛り、拳をぐっと握り締めて、湧き上がる悔しさに耐えている。
……なあ、リク。
それでもさ。……それでも、オレは。
「おい、何寂しそうに突っ立ってるんだよ!」
記憶の中のオレが、リクの背中をバンバンと叩いていた。
「わっ、びっくりするなあ、もう……」
言いながら苦笑する彼に、元気出せよと励ますオレ。
そう、オレはいつだって。
お前のことを親友だって、思っていたんだよ――。
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