102号室。タカキに割り当てられた部屋。彼が死んだ今となっては、そこは居住用の部屋でなく遺体の安置室になってしまった。
「……ふう」
そっと遺体を下ろし、息を吐く。タカキの体は、腹部にぽっかりと穴が空いていることさえ除けば、眠っているようにさえ見えた。
だから、遺体を目の前にしてもまだ、これが現実だという気分になれない。
……非現実的な事象が立て続けに起こったことももちろん影響しているのだろう。
「タカキが、死んじまうなんてな……」
「ああ、信じられねえ。……けどミツヤ、人殺しに罰をってどういうことだろうな。その声の後にタカキが霊に殺されたんだとしたら、タカキは」
「……人殺し、だって?」
「あの声をそこまで意識したくはねえけどさ」
「……どうなんだろうな」
俺たちが聞いた――恐らくは霊の声。そして、玄関ホールで死んでいたタカキ。人殺しには罰を、という言葉の意味からすれば、ソウシの仮定にも一応の信ぴょう性はあった。
それに……。
「まあ、とりあえず皆を待たせると悪い。戻るとするか」
「……そうだな。すまねえタカキ、しばらくはここで眠っててくれ」
ソウシは一言、届かないとは分かっていてもタカキに謝る。そして俺たちは部屋を後にした。
玄関ホールには既に皆の姿はなく、血に塗れた剣だけが中央に放置されていた。これがタカキの腹部に深々と突き刺さったのだ。想像すると気分が悪くなり、俺は目を逸らす。
食堂の扉が開け放たれていたので、どうやら皆そちらへ移ったようだ。俺たちもすぐに食堂へ入っていった。
「あ。ミツヤくん、ソウシくん、おかえりなさい」
「ああ、待たせたな」
食事のときと同じ座席で、ハルナたちは座っていた。いずれの表情も暗く、重い。
俺とソウシが席に着くと、顔を両手で覆いながら、ハルナは呻くように言った。
「……とんでもないことに巻き込んで、ごめんなさい。まさか、霊が私たちを閉じ込めるだなんて、考えてもみなかった」
そんな彼女をフォローするように、マヤが口を開く。
「……確かにとんでもないことが起きちゃったけど、悔やんでても仕方ないよ。これからどうするか考えなくちゃ」
これからどうするか。例によって鎖されたこの霧夏邸で、俺たちにできることを思いつけるのだろうか。
一同が頭を悩ませ始めたとき、おずおずとユリカちゃんが手を上げた。
「……あの。ちょっと現実離れした考えが浮かんだんですけど、笑わないでくださいね」
「既に現実離れしてるんだから構わないさ。どんな考えだ、ユリカ」
ソウシに促され、ユリカちゃんは自身の仮説を説明する。
「その……湯越郁斗さんは降霊術に狂ってしまったらしいですけど、それに起因してか本当に霊が降りてきて、こうなっているという可能性が高そうですよね。じゃあ、反対に霊を還す方法はないんでしょうか。霊の仕業だというなら、その霊を還す……或いは成仏でもさせることができたら、ここから出られるんじゃないでしょうか」
霊を還す、か。確かに悪さをしている霊がいなくなりさえすれば、俺たちは無事に帰還できるだろう。
「……なるほど。その考えはアリだと思うぜ」
「あ、ありがとう。ソウくん」
……ただ、その方法を具体的に挙げられるかと言うと、それは別問題だ。結局は未だ五里霧中の状態と変わらない。
「そう不安げな顔するなって、ミツヤ。ひとまず皆で図書室に行ってみようぜ。あの本のどれかに、除霊の本でもあるかもしれないからさ」
俺の心中を見透かしたように、ソウシが言った。こいつはいつも、俺の心を読むのが得意だな。少し怖くなるほどだ。
「そうしようか。他に思いつくこともないし」
「じゃあ早く行きましょ。霊が次に何をしてくるかも分からないから……」
マヤとハルナが立ち上がり、それに続くようにして全員が席を立つ。それから俺たちはぞろぞろと食堂を出て、図書室へと向かった。
本棚に並ぶ蔵書は千以上に及び、ここから目当てのものを探し当てるのは困難にも思える。ただ、幸いにも区画ごとにジャンル分けがされているようだったので、オカルトに関連した部分を全員で虱潰しに見ていくことにした。
「……これは」
怪しい一冊を発見したのはソウシだった。他の皆は彼の前に集まり、開かれたページを食い入るように見つめる。
古びたノート。それは湯越郁斗か、或いはそれ以前の住人による研究記録のようだった。
『人間を襲う霊はこの世に何らかの執着があるからに他ならない。彼らは執着の対象を求め、彷徨うのだ。それが例え得られないものだと分かっていても。霊を鎮めるには、その霊のことを理解した上で、清めの水をこの世界に残されている実体――肉片でも骨でも構わないが、その体に振りかけることが必要である。霊の出現する場所の近くには、必ずその霊の肉体が存在するだろう。……』
「清めの水とかいうモンを振りかけろだって? そんなの、まるで見当つかないぜ」
重要そうな部分を黙読し終えたソウシは、呆れたように言う。清めの水という存在すらも疑ってかかっているようだ。
「ですが、こんな本があるということは、湯越さんが清めの水を念のため調合していた可能性もなくはないですよ、多分……」
「……それに賭けるっきゃないわね」
ユリカちゃんとハルナが肯定的なので、ソウシもそれ以上反論はしなかった。ただ、彼の気持ちには同意だ。清めの水なんてものが存在するかも分からないのに、手当たり次第に探すしかないという状況はかなり辛い。
「どんなものかは分からないけど、とにかくその清めの水ってヤツを探してみましょ?」
「……そして、留美さんの肉体もだね。この邸内に、あるってことだろうから」
「……だろうな。よし、一旦戻ろう。少しでも希望が見えたことには違いねえ」
ハルナとマヤの言葉にソウシは頷いて、俺たちは一度食堂へ戻って今後の方針を固めることにした。
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