伍横町幻想 —Until the day we meet again—【ゴーストサーガ】

ホラー×ミステリ。オカルトに隠された真実を暴け。
至堂文斗
至堂文斗

九話 そして世界は鎖される

公開日時: 2020年9月24日(木) 20:02
文字数:3,603

 邸内にけたたましい悲鳴が響き渡った。夜にサツキが叫んでいたときのような、甲高い女性の悲鳴だ。俺は床に散らかったものをそのままに、慌てて部屋を飛び出した。


「……?」


 廊下に出た瞬間、おかしなことに気付く。廊下の電気は消さなかったはずなのに今は消えているし、どうやら他の場所にも明かりらしいものがないのだ。邸内の電気が消えてしまっている。足元が不安だが、用心して進むしかない。

 悲鳴は玄関ホールの方からだった。廊下を直進すればすぐそこだ。今度は何があったのだろうと考えながら、俺は走っていった。

 ……そこで俺を待っていたものは、あまりにも予想外の光景であった。

 ホールには、既に他のメンバーが集まっていた。中央に倒れているものを囲うように、円状に立っている。

 そして、彼らが見下ろすその倒れているものとは、

 蒼白な顔で静かに目を閉じた、タカキなのだった。


「どうしたんだ!?」

「あ……ミツヤ、くん……」


 ハルナが体を小刻みに震わせながら、救いを求めるかのように俺を見つめてくる。この状況が冗談でも何でもないことは、その様子を見て一瞬で理解させられた。


「タカキくんが……ここに倒れて」


 俺はソウシの隣に入らせてもらい、タカキの体を観察する。仰向きに倒れた彼は、僅かに表情を苦悶に歪ませ……そこで時間を止めていた。

 視線を下に移すと、彼の腹部には赤黒い染みが大きく広がっており、その中央はぽっかりと傷口が開いていた。彼の傍には、夜にサツキが怪我をしそうになった剣が落ちていて、その切っ先にも赤いものがべとりと付着している。


「……どうなってるんだ、こりゃ……」

「ユリカの悲鳴が聞こえて来てみたんだが……タカキが……この通りだ」

「……死んでるの?」

「……ああ」


 ソウシの断定的な一言に、マヤはすっかり青ざめてしまう。……俺たちの仲間だったタカキが今、こうして倒れ冷たい骸を晒していること……これがどうしようもない現実だということは、全員に等しく衝撃を与えていた。

 どうして、タカキがこんなことに。


「……一体、何が起きたのかしら。ねえ、皆は悲鳴の前に変な声とか聞かなかった?」


 ハルナがそんなことを訊ねてくる。……そう言えば、零時になった瞬間、ユリカちゃんの悲鳴より先に声が聞こえてきた。それはまるで脳内に直接響いてくるような気持ちの悪いもので、幻聴なのか何なのかと疑問だったのだが。


「……しわがれたような声が聞こえてきたな、確かに」

「人殺しに罰を。……そんな声が、確かに聞こえたぜ、俺も」

「ってことは何さ、皆その気味の悪い声を聞いてるわけ?」


 ソウシもマヤも、あの声を聞いているらしい。女子の方にも視線を投げかけると、やはり彼女らも同様に声が聞こえたようだった。


「それに、いつのまにか邸内の電気が、全部消えてます」

「誰かが消したんじゃなかったのか?」


 俺の問いかけに、全員が首を振った。零時になった途端の恐慌だったということか。


「……まさか、これって……霊の仕業なの……?」

「霊だなんて、そんなまさかよ――」


 馬鹿馬鹿しいと、ソウシが笑い飛ばそうとしたそのとき。

 鋭い頭痛とともに、まるで網膜に直接映されたように、一つの光景が浮かび上がってきた。

 それは、赤いフィルタをかけられたような光景だった。


 一人の女性が、横断歩道を歩いている。信号は恐らく青だ。ただ、歩いているのは彼女一人だった。

 そこに、何の前触れもなく、クラクションすらなく、途轍もないスピードでトラックが突っ込んできた。

 耳を塞ぎ、目を閉じたくなるような惨劇。ゴオン、という激しい音とともに女性の体は軽々と吹き飛ばされ、地面に二度、三度とぶつかって止まる。そのときにはもう、彼女は一つの肉塊に成り果て、有り得ない方向に四肢を投げ出して転がっているのだった。

 あらゆる場所から血が滲み、頭からは脳漿が飛び散っている。その凄惨な肉塊が、直前まで笑顔すら浮かべて歩道を歩いていた麗しい女性だとは信じられないほどで。

 だから、彼女――湯越留美の最期とは、どうしようもなく絶望的なもので――。

 赤い情景は、やがて闇に収束していく。その暗黒の中で、最後にこだまのような声が耳に届いた。


 ――まやくん――


 視界が、元に戻る。

 玄関ホールの現場が、戻ってくる。


「……な、何だ今のは」

「……留美って娘さんの……事故の、場面? うっ、……あんな、酷い……」


 どうやら、零時ちょうどの声と同じく、全員が今のシーンを共有していたようだ。

 そんなことは、どう考えても人間に可能な技ではない。これはやはり……。


「本当に、霊なのかよ……信じらんねえ」

「でもソウくん。皆の頭の中に、今のが……」

「……なんだよな」


 どちらかと言えば現実主義者であるソウシも、今の超常現象を体験してしまっては、霊の存在を否定し続けることはできないようだった。


「それにしても、マヤくんって……あの声はなんだ? マヤ、お前は留美さんと知り合いだったりしたか?」


 事故のシーンが消えてから、遠くの方で聞こえたまやくん、という声。その理由を知りたいと考えるのは、ソウシだけでなく他のメンバーも同じようで、全員の視線がマヤに集中する。


「いや、一度も会ったことなんてない。でも……」

「でも?」

「……いや、分からないよ」


 明らかに心当たりがあるような口振りではあったが、マヤは結局それを口にはしなかった。確実でないことを言って混乱させたくない、と思っているのだろうか。


「それよりもさ、警察に知らせた方が」

「っと、そりゃそうだ」


 上手く話をすり替えられた感じもするが、確かに警察は呼ぶ必要がある。このような事件が起きてしまった以上、もう肝試しなどとは言っていられない。

 ソウシは素早くスマートフォンを取り出すと、画面をタップして警察へ連絡しようと試みていた。

 ――しかし。


「……あれ」

「どうした、ソウシ」

「いや、……おい皆、携帯は使えるか?」

「はあ? 何言って……」


 ふざけるなとばかりにそう言いながら、サツキもまたスマートフォンを操作する。しかし、そんな彼女の表情もまた、ソウシと同じく恐怖に凍りつくのだった。


「そ、そんな……携帯電話の画面が、零時で止まったまま……動いてません」

「何だって?」


 ユリカちゃんもマヤも、自分のスマートフォン――いや、今ここにいる自分たちの置かれた状況に混乱し、取り乱す。あまりにも非現実的な状況。そしてそれは、間違いなく喜ばしいものではなかった。


「くそっ! どうなってんだ」

「外に出て助けを呼びましょうよ! 迷惑かもしれないけど、そんなこと言ってられないわ!」

「そ、そうですよね。出てみましょう!」


 ハルナに従い、俺たちは玄関扉まで一斉に走っていき、縋るように扉のノブを回した。

 ――だが、ノブはまるで鍵が掛かっているかのようにびくともしない。


「駄目、開かないわ! 鍵は開いてるはずなのに!」

「そ、そんな馬鹿な……」


 入れ替わり立ち替わり、全員がノブを回そうと試みるも、やはりノブは僅かも動くことはなかった。苛立ちが頂点になったのか、ソウシは思い切りけりを入れたのだが、揺れすらも生じず、ただ彼が足を痛めただけに終わってしまった。


「……閉じ込められたっていうことかよ。霊に……とは言いたくねえが」

「でも、鍵が掛かっていないのにびくともしませんし……」

「……くそっ!」


 零時を境に、世界は変わってしまった。

 現世から隔絶された、霊の跳梁する空間に。

 容易には認められないだろうが、数々の異常事態に、皆全てを諦めこの絶望を受け入れ始めていた。


「……どうする、これから」


 誰にともなく、俺は問いかけてみる。答えたのはソウシで、


「そりゃもちろん、ここから出るための方法を探すっきゃねえだろ。出られないなんてことはない筈だ。絶対ここから出る手立てはある」

「……でも、こんな非現実的なことが起きたんですよ。絶対なんて保証は……」


 ユリカちゃんはすっかり弱気になってしまい、その瞳は涙で潤んでいた。その感情が他のメンバーにも伝播し、暗澹とした思いに囚われる。

 そんなとき、サツキが遠慮がちに口を開いた。


「……ねえ、皆。タ――タカキをせめて、どこか他の場所に運んであげてほしい。こんなところでずっとこのままだなんて、とても耐えられない……」


 それは至極当然な願いだった。ここに囚われただけではない、サツキはまさに今大切な恋人を永遠に喪失してしまったのだから。

 この場で最も深い悲しみに突き落とされたのは、他ならぬ彼女のはずだ。

 きっと。


「……そうだよな、すまねえ。とりあえずタカキを102号室に運んで、これからどうすべきか考えよう。ミツヤ、手伝ってくれるか」

「お、おう」


 死体を運ぶ、というのに抵抗がないわけではなかったが、ここで断るわけにもいかない。俺は頷き、ソウシとともにタカキの死体を持ち上げた。


「……タカキを、お願いね」


 皆がタカキの遺体から目を背ける中で。

 サツキの沈痛な声が、やけに大きくホール内に響いた。

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