晴れ渡る青空。
窓から射し込む光は、けれどもここまでは届かない。
小さな学生向けアパートの一室。
僕はぼんやりと、床に伸びるその陽光を見つめているばかりだった。
この光がここまで届くことでもあれば。
僕はまた、彼女にも手が届くだろうか。
そんな馬鹿馬鹿しいことを思いながら……ただ、ぼんやりと。
「……どうして」
溜息交じりに、膝を抱えながら僕は呟く。
「どうして、こんなことになったんだろう」
分かる筈もない問いかけ。
悔恨だけが巡り続ける。
僕があのとき、何かを成し得ていれば……何かに感付けていれば。
僕たちの手が永遠に離れることは、無かったのだろうか。
「ごめんね、ヨウノさん。……ツキノちゃん……」
僕――円藤深央は、暗い室内でもう何度目かの謝罪を口にする。
僕は、この伍横町付近の某大学に通う、一般的な大学生だった。
毎日テレビなんかで胸の痛むニュースを見ていても、それは自分とは遠い世界の話のように感じていた。
何も変わり映えしない、普通の人間。
だから、普通に学んで、普通に就職して。そして普通に好き合って、結ばれて。そんな風に生きていくのだと、ずっとずっと、信じていた。
けれど、そんな日常なんてむしろ恵まれているのだと。
単調な『普通』なんて、いつでも壊されてしまうものなのだと。
全てが終わってしまった後になって、僕は痛感させられたのだ。
そう、そのときにはもう、全てが手遅れだったのだけど。
僕には、恋人がいた。
彼女がいれば世界は明るくて、二人で平穏に生きていけるならと思っていた。
彼女の周囲の人たちも、とても優しい人たちばかりで。
繋がりを持てたことを、僕は嬉しく思っていた。
そしてまた、僕には友人がいた。
引っ込み思案な僕に、積極的に声を掛けてくれた友人だ。
そう、怯えながらも心の底で他者との関わりを求める僕には、声や手を向けてくれる人がとてもありがたくて。
しかし、そんな弱い心が結局のところ、悲劇を呼び込む要因となってしまったのだろう……。
*
「……ふー、今日の講義もこれで終わりだねぇ」
隣に座っていた友人が、気持ちよさそうに伸びをしながら言う。
頬にはまだ、腕の痕がくっきりと残っていた。
「大学の授業ってさ、高校までとは全然違うよなー」
「そうだね。僕たちの所属以外にも、色んな学部があるし」
教室の後ろ側。教師から顔が見えにくい位置にある席で、僕と彼――黒木圭は仲良く並んで講義を受けていた。
受けていた、というのは語弊があるか。僕はまだ分からないなりにもノートを取っているが、ケイはさっぱりだ。講義が始まるや否や、机に突っ伏して昼寝を始めてしまっていた。
そもそも寝るためにケイがこの位置を選んだのであって、僕からすれば彼のワガママに付き合ってばかりだなあ、という感じだった。
「ホント、さっぱり分かんねえや。……ってことでノート貸してくんない?」
「ええ……? たまにはちゃんと受けてほしいんだけどなあ」
「バッカ、バレずにどれだけ寝れるかが大事なんだよ」
「……はあ」
率直なところ、悪友だよなという印象は仲良くなった当初からあった。
でも、大学生なんていうのは、少なからずそういうノリがあるものと思い込んでいて。
なら、ケイのような軽薄な奴も、ある種型通りな『大学生』なのかなと。
むしろ、彼に合わせて付き合えば大学生らしくいられるのかなとまで考えていたりもした。
無論、彼の真似をするようなことなど、陰気な僕には不可能だったが。
「……ところで、光井さんとは最近どうなのよ」
教科書を鞄に詰め込みながら、ふいにケイが訊ねてくる。
人の恋愛事情について突っ込んでくることも、彼は多かった。
「な、何か会う度に聞いてくるね」
「そりゃあ、一応友人として気がかりじゃん?」
「そういうものかな……?」
僕のような男に恋人がいることが珍しくて、話を聞きたいのかもしれない。
彼女にちょっかいを出すようなことさえなければと、気が向いたら近況を教えることはあった。
「まあ、相変わらずってところかな。お姉さんがいる大学だからって、ツキノちゃんが必死で勉強してここに入ったから、僕もそれを追って一緒に来たけど。……これからが大切かな」
「ふうん……」
ケイはしばらく考え込んだ後、
「そのお姉さんってさ。どこかサークルに入ってたりするの?」
「ん? いや、確かどこにも入ってないはずだよ。まあ、あんまり家庭事情を言うのもアレだけど、ヨウノさんがほとんど家事をやってるだろうし」
光井家は、もう随分前にご両親が事故で他界している。
親類の家に預けられる可能性もあったそうだが、年長のヨウノさんが頑なに断り、今の家に住み続けているそうだ。
金銭的な援助は多少受けていたけれど、ヨウノさんは高校生の頃からバイトで生活費を稼いでいたし、ツキノちゃんもそれを追うように働き始め。
今では親類からの援助も、当時の半分以下になっているらしい。
姉妹があんな風に明るくいられたこと、そしてまた僕たちが出会えたこと……それらは全て、ヨウノさんの英断があったからこそだと、僕は思っていた。
「でもどうして、ヨウノさんのことを?」
「いや、ちょっとね」
「……もしかして、ヨウノさんに気がある、なんて言わないだろうね?」
「まっさかぁ。……ほら、お姉さんがいるって何度も聞いてるけど、キャンパス内で見かけないから疑問に思ってさ」
「ヨウノさんは法学部だからね。僕たちと受けてる講義が結構違ってて、すれ違わないだけじゃない?」
「なるほどね」
得心がいった、という風にケイは頷く。
それから……ほんの僅か、悪戯っ子がするような笑みを浮かべた。
……大学生である彼が浮かべたその笑みが、どれほど悪魔的な意味合いを持つのかを。
僕はそのとき、気付いておくべきだったのだろう――。
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