「……ねえ、アキノ?」
「なに、お姉ちゃん」
呼び名がエオスからアキノに変わって。
アキノからの呼び名も、お姉ちゃんに変わったくすぐったさを感じながら、私たちは話していた。
「アキノはどうしてあの日……階段から転落してしまったの? 不慮の事故だと結論付けられたけど、私には信じられなかったから……」
ずっと気になっていたことだ。警察も呼ばれ、検証はなされたものの、結局は事故と片付けられてしまった一件。
それが私たち姉妹の運命を大きく変えることになった。
釈然としないまま、この歳になるまで生きてはきたものの、さっき頭に浮かんできた光景が再び疑惑を強めた。
誰かに突き落とされるような恰好で踊り場から階下へ落ちていく、アキノの姿……。
「……私にも、事故だったのかよく分からないんだ。答えられなくてごめんね、お姉ちゃん」
「……そっか」
彼女はそう答えるものの、背中を押される感触くらいはあったはずだ。
あの光景に犯人の姿は無かったが……自分からあんな体勢で落ちることは、ほぼ確実にないと言ってもいい。
まあ、彼女が確信を持てないのなら、ここで無理に追及はしないけれど。
「えっと、あともう一つだけ聞きたいことがあるんだけど。私、肝心なことも忘れちゃってるからさ」
「肝心なこと?」
「私が、こうなってしまった原因だよ。どうして私は、生死の境を彷徨うことになっちゃったんだろうって……」
家族のこと、知人のことについてはこの探索の中で取り戻せてきた。
しかし、最後の記憶――私が何故死に瀕してしまったのかという記憶は未だ明らかにならない。
仮に病気だったなら期間も長そうだし、記憶に深く刻まれていてもいいはずだ。そうではないことから、事故や事件に巻き込まれたという可能性が高いと睨んでいるのだが……。
「それは、もうすぐ思い出せるはずだよ」
私から目を逸らしながら、アキノは答える。
「欠け落ちた記憶の全ては、必ず散らばってる。だから、私が言おうと言うまいと、いずれはちゃんと戻ってくるんだ」
そう。事態は受け止めているし、彼女が答えるつもりがないこともまた、分かっている。
でも……答えない理由に、どこか後ろめたいものがあるような気がしたのだ。
だって――彼女は私の目を見ない。
「お姉ちゃん……悲しまないでね」
「え……?」
悲しまないで。
やっとのことで絞り出したその言葉が、意味するものは何なのだろう?
まだ、アキノの横顔は髪に隠れて見えない。
どんな表情を浮かべているのかが、分からない。
「覚悟は……しておくよ」
「お願い」
小さく呟いて、アキノはふらりと、前へ進んでいく。
「さあ、お守りも手に入れてくれたし……また先へ進もうか」
「ん……そうしようか」
取り戻したい答えは近いのかもしれない。
私はふいに、そんな予感がした。
*
次なる廊下に出た瞬間。
私は突然、背後に冷たい気配を感じた。
振り返るまでもなく。
それが恐怖の象徴であることは理解できた。
「さっきの影――!」
「走って逃げて!」
アキノの叫びに、私は弾かれるようにして走り出す。
前方は――崖?
いや違う、下り階段になっているようだ。
決して走りやすい服装じゃない。だけど、全速力でなければ追いつかれるだろう。
私は意を決して、転がり落ちることすら厭わずに足を踏み出した。
「うぉお……ッ」
一段飛ばしで、階段を下りていく。
背筋の冷たさは、消えることがない。
ひたひたと、迫ってきているような。
或いは、張り付いているような殺気を意識しながら。
それを振り払うかのように、私は駆け下り続ける。
現実味を喪失した、長い階段。
所々に瓦礫が落ちていて、下手をすれば足を取られそうになる。
何とかその全てを回避して、一歩、また一歩。
無限に終わらないようにも思える階段を、下へ……ただ下へ。
「あ……ッ!」
諦めなければ、終わりが見える。
やっとのことで、階段の終点が現れた。
そこを過ぎれば、長い廊下が待っていて。
その突き当りには、次なる部屋への扉が待っているのだった。
「あと少し……!」
慎重に、しかし素早く足を動かして。
私は最後の一歩を、大きく踏み出した。
そして平坦な廊下にしっかりと着地して。
その先に待つ扉のノブへと、手を伸ばした――。
「……ひッ!?」
扉は、私がノブを握るよりも先に開いた。
そこには……黒き影が待ち構えていた。
ああ――影は私を追い込んだだけなのだ。
私は弄ばれ、逃げ惑い、捕えられただけだったのだ……。
「い……嫌……」
粘性の闇。
ドロドロと蠢く黒き影の中、虫の眼のような赤い光が私を見つめている。
影は一体ではなく、前に三体、後ろにも三体いた。
形容し難い音を発しながら、影たちは少しずつにじり寄って来る。
手には真っ黒な突起物を――恐らくはナイフを持っていた。
思い出せ。
影が輪唱しているようだった。
その身に刻まれたものを、思い出せ。
消えることのない傷。
私は――私は。
冷たい狂気で、
その身を、
「嫌ああぁぁああッ!」
肉の焼け焦げるようなジュウ、という音と同時に。
私の視界は、真っ白に包まれていった。
*
「あ……あれ?」
光が消えた後も、私の意識は残り続けたままだった。
恐怖に蝕まれ、刺し貫かれて。境界線上の命はもう絶たれてしまうのだと諦めていたけれど。
廊下の様子を確かめられるようになったとき、そこには黒き影などどこにもおらず。
その代わりに、床に落ちた黒焦げの物体が、プスプスと燻っていた。
「……これ、お守りだ」
さっきアキノの部屋で見つけた、黄色いお守り。最初の部屋にあった赤は持ってこなかったけれど、こちらのお守りは何となく持ってきていたのだ。
多分それが、あの黒き影たちを追い払ってくれた――。
「ありがと、アキ……」
お礼を言おうとして振り返ったとき、私は今更ながら、他の気配が全くないことに気付く。
「……アキノ……?」
ぐるりと見まわしても、アキノの姿はどこにもなかった。
恐怖から逃れるため、隠れているだけかとも思ったが、しばらく待っても、名前を呼んでも出てこない。
どうやら完全に、私とはぐれてしまったようだ。
偶然か、意図的かは分からないが。
「……仕方ない。今は一人で進むしかないか」
どうせ道は一本だけだ。次はこの部屋で、記憶を取り戻すものを見つけなければならない。
だから、妹の案内があろうとなかろうと。
やることに違いはない筈だ。
私は扉を開き、その先へ進む。
そのとき、アキノの声が聞こえたような気はしたけれど――やはりどこにもその姿は無かった。
――……ごめんね。■■■お姉ちゃん。
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