玄関ホールへ戻る廊下の途中、右に曲がった先でソウシのお姫様――ユリカちゃんに出くわした。別にやましい気持ちなどはないが、すぐ後ろの部屋にソウシがいると思うと少し気まずい。
「や、ユリカちゃん」
軽く挨拶すると、彼女はペコリと頭を下げた。
「どうもです。……ハルナちゃんが楽しそうに話してくれたんで、ついてきたんですけど、ここって本当に霊が出るって噂の館なんですね」
「みたいだな。湯越さんも、霧夏邸のそんな噂に惹かれてここを購入したみたいだし」
「結構有名な話なんですよね。湯越郁斗という人のことは」
「近隣の住民には特に、な」
湯越郁斗。元々この町――伍横町に住んでいた資産家で、妻とは早くに離婚し、一人で娘を育てていたそうだ。それが何故こんな邸宅を購入し、怪しげな噂が広まったかと言えば理由は一つ、娘の急逝のためだった。
「……娘さん、留美さんを交通事故で亡くされてから、湯越さんは精神を病んでしまい、いつしか霊的なものに救いを求め、研究をし始めた。具体的には、降霊術によってもう一度、娘の留美さんと話をするための研究を」
一人娘である留美を亡くし、孤独な身となってしまった湯越郁斗。注いできた愛情が大きかったからこそ、娘が亡くなったことで空いてしまった心の穴もまた大きかったのだ。
その気持ちは理解できる。
「突然娘が事故で死んだなんて相当なショックだったろう。おまけに事故だなんてさ。相手も死んだらしいし、怒りをぶつける矛先も定まらなかった。それで、湯越という人は狂った方向にその積もり積もった思いを発散させ始めた……」
「悲しい話ですね……」
「俺も湯越さんのようなことがあったら……同じ道を辿りそうだ」
俺がそう呟いてから、廊下はしんと静まりかえる。その沈黙を嫌がるように、ユリカちゃんがまた口を開く。
「……ところで、その郁斗さんはどうなったんです?」
「それがさ、変死したらしいんだよ。この館の中で」
「変死、ですか……」
「ああ。理由は全く分かっちゃいないけど……留美さんの霊にでも会えて、一緒に旅立っていったのかもしれないな」
「だと、いい……んですかね」
良かったかどうか。それは湯越さんがどんな気持ちでいたかだ。それで幸せになれたのなら、きっとハッピーエンドなのだろう。
「……すいません、長話になっちゃいましたね」
スマートフォンを取り出し、時間を見ながらユリカちゃんが言った。そして最初と同じようにペコリと頭を下げると、
「そろそろ食堂に行きますね、また」
そう言って、少し早足で歩き去っていくのだった。
怖い話が苦手だったのだろうかと思ったが、俺も腕時計で時間を確認してみると、もう六時半になろうかというところだった。食堂に行かないと、ハルナが怒るかもしれない。
「……ん?」
俺もユリカちゃんの後を追おうとしたのだが、床に何かが落ちているのに気付く。さっきユリカちゃんが立っていた場所にあるので、恐らく彼女が落としたのだろう。
拾い上げてみると、それはポケットにも入るサイズの日記帳だった。彼女は几帳面にも日記をつけているようだ。
中身を読もうなどという好奇心はなかったのだが、日記帳をとりあえずポケットにしまおうとしたところで、中からスルリと紙切れが滑り落ちた。
「何だ……?」
どうやらそれは、新聞記事を切り抜いたもののようだった。日記帳の中にどうしてこんなものが挟まっているのかと今度こそ好奇心が沸いてしまい、俺は内容を確認してしまう。
記事の内容は、こんなものだった。
**日午後五時頃、**県伍横町の路上で、主婦の河南洋子さん(35)が、背後から刃物を持って走ってきた少年に足を刺された。それを近くの住民が通報、洋子さんは病院へ運ばれた。
警察は同日、現場近くで刃物を所持している少年を発見、逮捕した。少年は容疑を認めているという。
洋子さんは全治一ヶ月の重傷。後遺症が残る可能性もある。……
「これは……四年前の事件記事だな。河南洋子さん……か」
四年前にこの町で起きた事件。それは、新聞記事としては小さなものではあるけれど、河南家にとっては決して小さなものではなく。
彼女がこうして肌身離さず持っているほど、今もなお心の大部分を占める事件で。
普段は物静かな彼女の、隠された一面を覗き見た気になって、少し罪悪感があった。
……いや、俺はそういうことを結構している節があるのだけれども。
「……ふう。とりあえず食堂に行かなくちゃな」
ユリカちゃんに日記帳を返さないといけないし、ハルナに怒られるわけにもいかない。俺はすぐに気持ちを切り替えて、食堂に向かい歩いていった。
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