――午後十一時五十五分。
「……あんた、こんな時間にどこ行こうって言うのよ」
タカキを呼び止めたのは、サツキだった。彼女はまるで汚らわしいものでも見るような冷たい目で、タカキを睨みつけていた。
「僕は、ユリカちゃんに謝ろうと……」
「そんなこと、信じられると思う? あんた、本当はユリカを脅しに行こうとか……殺そうとか、思ってるんじゃないの? 自分が力本発馬だってことがバレたら、またお先真っ暗の人生に逆戻りだものね!」
「ち……違う。僕は、本当に思ってるんだ。あの子に謝りたいって……」
「嘘よ!」
有無を言わせぬ剣幕だった。サツキは最早、タカキの全てを拒絶していた。
そして彼女は、怒りで自制心を失ってしまったのか、近くに突き刺さっていた剣を引き抜き、タカキの方へとその切先を向けたのだ。
「ユリカに近づかないで。あの子に手を出そうもんなら、私は……私は、あんたを絶対に許さない」
サツキの持つ剣は、決して装飾品ではなかった。女の子の腕力だとしても、力任せに振るえば十分な殺傷能力があることを、タカキは理解していた。
今は頭に血が上っているだけ。落ち着かせるしかない。そう思って、タカキは両手を挙げてサツキににじり寄っていく。
「よせよ……僕はそんなつもりじゃないんだって……」
「来るんじゃないわよッ!」
サツキの手は震え、今にも剣を取り落としそうだった。安心させてやろう。タカキはゆっくりと彼女の傍までやってきて、それから彼女の肩に触れた。
だが――それは逆効果だった。
「きゃ! は、離してよッ!」
「うわっ……」
サツキはタカキの全てを拒絶していた。
それまでは彼女を安心させていたはずの手も、今の彼女にとっては汚らわしいものでしかなかった。
だから、彼女はそれを振り払おうと暴れ。
彼女が握る剣は、不規則な軌跡を描いた。
そして――。
「嫌あッ!」
タカキは、サツキの叫び声とともに、腹部に激痛を感じた。
焼き鏝を押し付けられたような痛みと、じわじわと広がっていく染み。
「……あ……ああ、う」
口から何かが溢れ、もう意味のある言葉も発することは出来なくて。
視界は霞み、やがて……完全なる暗黒が支配した。
「……タ、……タカ、キ……」
消えていく意識の片隅で。
彼は微かに、サツキが自身の名前を涙ながらに呼ぶのを聞いた。
それが……タカキの最期だった。
*
彼の口から、真相が語られ。
俺たちはしばらく呆然と立ち尽くしていた。
「……じゃあ、お前を殺したのは……」
「そう。……サツキだ」
サツキが、人殺し。
タカキを殺した、罪人。
驚きもあったけれど、その真相を俺たちは存外すんなりと受け入れていた。
サツキがタカキを手に掛けたのは悲し過ぎることには違いなかったが、そこに至るまでの過程は、彼女を追いこんでしまうのには十分なものだった。
「でも、どうか二人とも。あいつを責めないでやってほしいんだ。……許してあげてほしい」
「タカキ……」
「あいつは、家の事情から暴力というものに嫌悪感を持っていたから。傷害事件を起こした奴なんかと付き合っていたなんていう事実に、酷いショックを受けたんだよ。なんたって、自分の母親も暴力的な男と結婚してしまったんだしさ。それが嫌だったのに、自分まで同じ道を進んでたと知って……どんなに辛かったことか。挙句には、暴力を拒絶するあまりに自分自身が暴力で以て、僕を殺してしまったんだから。あいつは今も耐え難い苦しみに、自己嫌悪に苛まれているはず……」
否定され、殺されてもなお、タカキはサツキのことを思い続けているようだった。それはとても儚い愛だけれど……美しい愛でもあった。
「お前も、後悔の中生きてきたんだな。お前がそれでいいって言うんなら、俺たちはその言葉をきちんと守るよ」
「……ありがとう、ミツヤ」
「でも、罪は罪だ。それはサツキに認めてもらわなくちゃいけない。なるべく傷つけないようにはしたいが……それで構わないか?」
「ああ、それが一番正しいあり方だと思う」
罪を許すと口で言うことは簡単だ。しかし、それで自分は許されたなどとサツキが思うはずもない。
罪を認め、この世界のルールで償うこと。それが、彼女にしてやれる一番良い行いだろう。
「全ては、僕のせいだけれど。あいつは、傷つくべきじゃなかった。だから、必要以上に傷つくことなんて、なくていいはずさ」
タカキは、力なく笑う。
その姿が、少しずつ光を帯び始めた。
「……時間か」
「そうみたいだ。出来れば僕も、近くで見守りたかったけど……サツキのことは、二人に託すよ」
「はは、大役だ」
それでも任された以上、しっかりその務めを果たすしかない。
これは、俺たちにしか出来ないことなのだから。
「頼んだよ……ソウシ、ミツヤ。二人が僕の友人で、本当に良かったと思ってる――」
青臭い台詞を最後に。
彼は眩い光に包まれ――あちら側の世界へと、旅立っていった。
「……逝っちまった、か」
再び暗くなった地下室。スマートフォンのライトを前方に向けながらソウシは呟く。
「あいつの口から色々と聞けたのは良かったよ。あいつ自身も、そりゃ苦しんでたんだよな。本当に、あいつは昔の自分と訣別しようとしていた。そして……きっと変われていたんだ」
「俺も、そう思うよ」
「……さよなら、タカキ。お前の最期の言葉、守らないとな」
ソウシにも、色々と思うところはあるだろう。だけど、彼もまたタカキを許すことができたわけだ。
――良かったな、ソウシ。
俺は心の中で、そう思うのだった。
「……よし。また水を汲んでから、サツキのところへ行こう」
「二人とも使っちまったもんな。さっさと汲んで戻るとするか」
俺たちは頷き合い、そして清めの水がある部屋へと向かう。
あともう一息頑張れば、ここから出られるのだと言い聞かせながら。
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