次なる部屋も、これまでに辿ってきた場所と同じような雰囲気だった。
そろそろモノクロの風景も精神的に辛くなってくる。
部屋は無理矢理横に引き延ばされたようになっていて、やはり床は所々が抜け落ちていて。
二つの本棚のうち片方が半分亀裂に飲み込まれており、斜めになってもう片方に寄りかかっていた。
「……ここは、ツキノの部屋かな」
ツキノ。三姉妹の次女の名前。
だけど、その名前を口にすることに、妙な引っ掛かりを覚えてしまう。
「この先へ進んだら、分かるような気がする」
いつまでも消えない違和感の正体。
まだ取り戻せない記憶の全貌。
私たち三姉妹の、最後の部屋に。
答えが眠っている。そんな気がした。
「……ふう」
深呼吸して、しっかりと前を見据える。
覚悟は出来てる。進まなければ。
部屋の奥には、扉が三つ並んでいた。それらは元々存在しない筈の扉であり、奇妙に歪んでいる。
ぱっと見た感じでは開きそうにさえないのだが、そこは夢のような世界の中だ、物理法則など関係ないのだろう。
三つの扉のうち、一番左側の扉だけが僅かに明るくなっていた。恐らく、まずはこの扉から入れということなのだろう。
ノブすらも折れ曲がった扉を開き、私は中に入る。
向こう側には――異様な光景が広がっていた。
「え……?」
先ほどの部屋とは違い、六畳ほどしかない小さな部屋。
その床一面に……くまのぬいぐるみが敷き詰められていたのだ。
「これは……最初の廊下に置かれてあったぬいぐるみだよね」
間違いない。見た目はあのときのぬいぐるみと全く同じだ。
それが百にも届きそうな数になって、床を埋め尽くしていた。
一つ一つは勿論可愛らしいものだが、こんなにも沢山置かれてあると流石に気持ち悪い。
というより、一体どういう意味合いでこのぬいぐるみが増殖したというのだろう?
この部屋の意味。それがどこかに示されていないものかと、私は中の様子を伺う。
すると、案外すぐに手掛かりを見つけることはできた。
『本物と偽物』
背後の壁に、そんな文字が刻まれていた。
錐か何かで乱暴に彫ったような文字だったので、それも気味が悪いのだけれど……とにかく『本物と偽物』というのがキーワードらしい。
「じゃあ、この中に……」
本物のぬいぐるみが一つだけ、存在する。
この大量のぬいぐるみの中に。
「本物を探すためのヒントは無いの……?」
これだけ沢山、同じ見た目のぬいぐるみがあるというのに、本物を見つけるためのヒントがないのは理不尽だ。
だが……要するにそれは、本物を見分けるための記憶を思い出せ、ということなのかもしれない。
私とツキノ、二人の思い出の品であるならば……きっと答えは頭の中に眠っているのだろうけど。
果たして思い出すことができるのだろうか。
「……まずは、見ていこう」
ほんの僅かでも、本物と偽物の間に何らかの差異があるのは間違いない。
本物を手に取ることができれば記憶が戻りそうだし……万が一戻らずとも、違いさえ分かればそれが本物だと分かる筈だ。
よし、と気合を入れて。
私は一つずつ、床に転がるぬいぐるみを検めていく。
「……多分、これじゃない。これもきっと違う……」
手にとっては放り、また手にとっては放り。それを単調に繰り返す。
一度手にしたぬいぐるみは、間違えてもう一度取らないよう端の方に投げていった。
一つの確認にかける時間は十秒くらい。それを最悪百体ほど繰り返すとしたら……十五、六分にはなるか。
中々時間はかかるけれど、この方法以外にはどうしようもないだろう。
「……全部同じに見えるよ、こんなの」
また一つ、ぬいぐるみを後ろへ放り投げながら、私は呟く。
――べちゃり。
ぬいぐるみが床に落ちたタイミングで、この部屋に似つかわしくない音が響いた。
「……ん?」
疑問に思い、私はゆっくりと視線を後ろへ向けた。
投げ捨てられたぬいぐるみがある筈の場所。
すると――そこに。
「きゃッ……!?」
べちゃりと。
赤い血溜まりが生じていて。
投げ捨てられたぬいぐるみたちは血みどろの状態で積み重なっていた。
「え……え……?」
よくよく見れば、ぬいぐるみの皮膚がばっくりと裂け、そこから血が溢れ出している。
そんな馬鹿な。そう言いたくなったが、これは記憶の世界だ。
だから、これもきっと恐怖の具現化。
私の心に潜む、恐怖そのものなのだ。
がさりと、物音がした。
重なったぬいぐるみの一つが転がった音。
そのぬいぐるみは、仰向けで床に倒れて。
そして――裂けた右手を、ゆっくりと動かした。
「ひぃ……!」
気のせいではなかった。
山のように積まれたぬいぐるみたちが、一斉に動き出そうとしている。
早くこの部屋から出ていかなければ、あのぬいぐるみたちに襲い掛かられてしまう……!
「本物……ッ」
この中から、本物を探さなければならない。
このぬいぐるみたちの血溜まりに溺れるよりも前に。
「どこ……!?」
何か……何か違いがある筈だ。
私たちしか――私しか知らないナニカが。
手に取ったぬいぐるみを、できる限り遠い場所へ投げる。
それがやはり、べちゃりと音を立てて落下する。
気が狂いそうな緊迫した状況下で、私は必死になってぬいぐるみを探した。
そして――。
「ああッ!」
あった。
これに違いない。
ぬいぐるみの足の裏。
小さく書かれた名前。
――ツキノ。
それを確かめた瞬間、ぬいぐるみたちはまるで塵のようになって消えていった。
初めからそこに存在などしていなかったように。
ぬいぐるみが吐き出した血も、一滴も残っていない。
後には空っぽの部屋がただ、残されているだけだった。
「終わった……?」
そう、終わったのだ。
何とか私は、百近いぬいぐるみたちの中から本物を見つけ出した。
お姉ちゃんから貰った、大事なぬいぐるみを見つけたのだ。
ワタシは――?
「あれ――」
そうじゃない。
私はヨウノだから、くまのぬいぐるみは妹にあげた側だ。
だから、貰って喜んだわけじゃないし、名前も書いたりしていない。
だって、私はヨウノだから。
「……だって、私は」
部屋が捻じれる。
部屋が消えていく。
ふらふらとした足取りで出口まで向かうと、扉を開けた覚えもないのに、広い部屋に戻っていた。
後ろを振り向くと、あった筈の扉は消えている。
ぬいぐるみたちと同様、最初から存在しなかったように。
「……ああ」
次の扉が光っている。
私を誘うように。
例え『本当』が意図せぬものであったとしても。
私は辿り着かねばならない。
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