既に町は夜の闇に支配されている。
時刻は午後八時。初夏とはいえ、太陽はもう沈んだ後で、今は低いところに月が出ていた。
建ち並ぶ家々には電気が灯り、夕食の良い匂いが漂ってくる。家族の団欒。それはとても温かいもので……光井家にはもう、遠くなってしまったもので。
残された、たった一人の妹を救うため。
僕らは三神院の前までやって来たのだった。
「おおーい!」
決意の眼差しを向ける僕たちに、声をかける少女がいた。ハルナちゃんだ。
今回の事件とは無関係であり、危険な場所へついて来てくれる必要はないのだと帰ってもらったのだが、不服そうにしていた彼女はやはり舞い戻ってきた。
「ハルナちゃん……」
「ごめんね、心配してくれたのは分かってるから。今回の件はみんなの帰りを待ってることにする」
彼女はそう前置きした上で、
「で、これは私の彼氏が取ってきてくれたんだけど……きっと、役に立つと思うから」
ポーチの中から可愛らしい香水の小瓶のようなものを取り出し、ミオくんに手渡した。
「これは……」
「清めの水。湯越さんがそう名付けてたんだけどね。霊を鎮める効果があるみたいで。一応あの化け物にも効果があったから、用意したんだ」
清めの水。なんとも胡散臭い名称だが、実際僕とミオくんはその水のおかげで命を救われたのだ。もう軽々しく現実を否定したりはしない。
この水は切り札にもなり得るだろう。
「付いて行けなくて申し訳ないけど……頑張って。皆なら、絶対にアキノちゃんを助け出せるからさ」
「……ありがとう、ハルナちゃん」
小瓶を受け取りポケットにしまいこんでから、ミオくんはハルナちゃんに頭を下げた。
「助かるよ。いい友達を持ったね、ミオくん」
「ふふ、そうですね」
霧夏邸幻想を生き残った少女、か。
同じ降霊術を巡る事件に巻き込まれた仲間として、いずれ話を聞きたいものだ。
無論、打ち明けてくれるかは分からないが……少なくとも、何かを共有することはできる筈だから。
「……じゃあ、行ってくるよ」
「気を付けてね、皆!」
「必ず、ハッピーエンドにしてみせるから」
「ええ、そうしないとね」
一人の少女を救うため。
僕たちは黒き怪物に挑む。
「——よし、行こう!」
*
夜の三神院。
これまでお見舞いが長引いて遅くまで滞在したことはあったけれど、こんな時間に入ることは一度もなかった。
そもそも、受付時刻が終了していたにも関わらず、緊急の出入口でなく正面入口が開いていたこと自体が引っ掛かった。
受付には誰もいない。病院の関係者だけでなく、患者の姿もだ。そして電灯も消えていて、冷たい空気が蔓延っている……。
「……おかしい。こんなのまるで廃墟だ」
違いを挙げるとすれば、古びていないことくらい。それくらいに今の三神院は無気味な雰囲気だった。
せめて電気が点いていれば、まだ印象は違っていたのかもしれないが。
「黒木の霊が、何か関係してるのかしら」
「ハルナちゃんが話してくれたことがある。霊が特定の空間を閉ざして、中にいる人を閉じ込めるって」
ミオくんの言葉に、ツキノちゃんが反応して、
「ということは、私たち……閉じ込められたってことかな」
言いながら、ぐるりと受付の中を見渡した。
霊が空間を閉ざし、人を閉じ込める……か。
ならばここは、黒木が支配する異空間なのだろうか。
立ち向かう僕たちを絡め取り、完全に消し去るために。
奴はここへ巣を張ったということなのか。
……だが。
「それならむしろ、黒木も閉じ込められてるってことだ。必ず奴を倒さなくちゃ」
僕は自らを奮い立たせるように、強い口調でそう言った。僕の言葉に、みんなも賛同してくれる。
「行きましょう。アキノの病室へ」
眠り姫の待つ場所。
それは三神院の四階、一番奥の個室だ。
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