伍横町幻想 —Until the day we meet again—【ゴーストサーガ】

ホラー×ミステリ。オカルトに隠された真実を暴け。
至堂文斗
至堂文斗

二十七話 差し伸べられた手は

公開日時: 2020年10月3日(土) 20:02
文字数:2,701

 二階の北側にある大部屋。そこには大きなピアノが置かれており、かつては音楽室として使われていたようだった。

 その部屋の隅に、うずくまる少女。霊ではない、生身の人間である彼女は間違いなく、サツキだった。


「……サツキ」


 俺たちが呼び掛けると、サツキはビクリと体を震わせる。


「来ないでッ!」


 その有無を言わせぬ剣幕に、俺たちは思わず立ち止まってしまった。


「全部……タカキから聞いたんでしょ? 私のこと……怖い女だって思ってるんでしょ?」


 サツキは泣いていた。泣き腫らした目がこちらへ向けられ、そこから止め処なく涙が溢れてくる。


「分かるわよ、そんな目をしてれば。お願いだから、私に構わないで……」


 全てを――自分自身さえも否定し、殻に籠ってしまったサツキ。そんな彼女の心を開くなんて困難極まりないけれど。

 それでも俺は、タカキから託されている。なら、なんとかしてみせなければ。


「俺たちがどんな目してるって? そんな泣きっぱなしの視界じゃ、俺たちの顔なんてぼやけて見えてやしないだろ。……こんなところに死に場所を求めるなよ、一緒に帰るぞ」

「帰れるわけない。私が一番嫌いな人間に、私自身がなっちゃったのよ? そんなの、許せない。許されないのよ……」


 自身の境遇ゆえ、暴力を否定してきたサツキ。

 にも拘わらず、恋人も、自分自身もその暴力に囚われて。

 許せないと思う気持ちは、当然のことだろう。

 でも……たとえ自分では許せなかったとしても。

 他の誰かが、そして長い時間が罪を洗い流してくれることもあるのだ。


「サツキ。タカキは元に戻ったとき、サツキを許してあげてほしいって頼んできたんだよ。どうか、責めないでと」

「……タカキ、が」

「ああ……あいつは、お前のことをよく理解してたよ。お前がタカキの正体を知って苦しんだだろうこと、タカキを殺してもっと苦しんだだろうこと。それを理解して、あいつは言ったんだ。そんなに傷つかなくてもいい、全ては自分のせいだし、サツキはもう十分に苦しんでるからってさ……」


 たとえ突き放されたとしても。

 たとえ命すら奪われたとしても。

 あいつは、最期まで山口貴樹らしくあろうとした。

 その日々から得たものを愛し、礼を返そうとしたのだ。

 そして一番大きかったものは間違いなく……サツキだった。


「……あいつは、馬鹿よ」


 サツキは、ポツリと呟く。


「人がそんな簡単に変われるわけないって、酷いこと言って拒絶したのに。あいつはそれでも変わろうとして、ずっと馬鹿正直に突っ走って。それで私に殺されてまで、あいつはまだ優しくあろうとしてたなんて……そんなの、とんでもない大馬鹿よ……」


 嗚咽はやがて、慟哭へと変わる。

 自らが愛し、けれども手にかけてしまった少年を想って。

 サツキは、わんわんと泣きじゃくった。

 それを止めるような無粋な真似は、俺たちにできるはずもないのだった。


「……ね。一緒に帰ろう?」


 泣き疲れ、彼女の声が聞こえなくなってから。

 ハルナは優しく、手を差し伸べた。


「タカキくんはサツキちゃんを、許してくれたんだから」

「……お前が自分を許せなくても。そんなお前を許してくれたタカキのために、生きてくれよ」


 許されたのならば、死ぬ必要なんてない。

 そう、許されたのならば……。


「……うん。私、皆と一緒に帰る。帰って……罪を償う」


 何度もしゃくり上げながら、サツキはなんとかそう答える。

 だから、俺たちはようやく安堵することが出来た。

 もう、大丈夫だろう。

 俺たちは、タカキの願い通りにサツキの心を救えたのだ。


「ごめんね、こんなに迷惑かけて……」

「いいのよ、サツキちゃん」


 励ますように、ハルナはポンとサツキの背中を叩く。サツキは未だ流れ落ちる涙を指でそっと拭った。

 ……それから、こう口にした。



「……あの、でもね」

「何だ?」

「私たちが聞いた声、あるじゃない? 人殺しに罰をって。皆は、それがタカキのものだったって解釈してたけど……それは絶対に違うの」

「……違う?」


 あの声。人殺しに罰をと頭の中に響き渡った声が、タカキのものではない……。

 サツキがそう語るのには、一つの根拠があった。


「だって、それを私が聞いたのは――」


 そう。

 ……順序だ。


「――タカキを殺してしまう直前のことだったから」


 刹那。

 世界が赤く染まった。

 激しい明滅。

 繰り返される赤と黒。

 絶望の心象風景。

 助けてと懇願する声。

 目の前に、悪霊の姿があった。

 もう人間であったことも忘れてしまったような、無数の霊たち。

 それらが一瞬で、サツキを取り囲むと――。


「……ッあ……ぁ……」


 噴き出す鮮血。

 止める間などなく。

 断ち切られた、首と胴体。

 墜落する彼女の頭――。


「サツキちゃんッ! 嫌あああああッ!」


 救えたのに。

 こんなにもあっさりと。

 命が、刈り取られて。

 伸ばして、繋がれた手は力を無くして……。


「ちくしょおおおッ!」


 舞い踊るような霊たちの揺らめき。

 そこに、新たに一つの霊が降臨する。

 その霊だけは、まだ人としての形を保っていて。

 俺たち三人ともが、その正体をすぐに見極められた。


「ま、まさか……ナツノ」

「ひっ……」


 ナツノ。

 何年もの間、未練によって縛り付けられた魂。

 悔やんでも悔やみきれない、張り裂けそうな想いの奔流――。

 彼女はにじり寄って来た。俺たち三人を、引き摺り込むために。

 一番近かった、ハルナから。

 ……駄目だ、それだけは。

 せめて彼女だけは、巻き込んでしまうわけにはいかない。


「ミツヤくん!?」


 咄嗟の行動だった。

 ハルナを突き飛ばした俺は、そのままナツノの霊と接触し、そして――。



 ――まやくん、

   まやくん、

   まやくん、

   助けて、

   まやくん、


   助ケテ――


 セピア色の風景は、赤の絵の具をボトリと垂らしたように、じわじわと赤く滲んでいく。

 霧夏邸の前庭。そこにナツノともう一人、何者かの人影があった。

 ナツノは怯えている。向かい合う誰かの手には、大きな石が握られている。

 人影は明確なる殺意を以て、ナツノに近づいていた。


「やめて……来ないで……」


 死の恐怖に震えながら、ナツノはゆっくりと後退る。

 けれど、草に足をとられて、転んでしまう。


「助けて……」


 動けなくなったナツノに、人影は無情にも拳を振り上げ。

 

 助けに来てよ、まやくん……。


 ――世界が、真っ赤に染まった。



「うう……ナツ、ノ……」


 奇跡的に、俺は生きていた。

 だが、これ以上近づいてしまえばまず間違いなく、死んでしまう。

 そのギリギリのところで、ハルナが俺を引っ張ってくれた。

 彼女のおかげで、俺は絶体絶命のピンチから脱することが出来た。


「ミツヤくん、大丈夫!?」

「助かった、ハルナ」

「二人とも、早く逃げよう!」

「ああ……!」


 もどかしいが、ここに留まっても意味はない。

 俺たちは全速力で音楽室から逃げ去るのだった。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート