「……なん、だったんだろう……」
「……ううん、分からない」
ただ、とミオさんは呟く。
「成仏したわけじゃあなさそうだ」
「浄化はされたけれど、未練があるとか……?」
「かな……。ケイもどうやらそれでまだいるようだし……」
ケイ、というのが何を示しているのかは分からなかったが、未練があるとこの世に留まったまま、というのはよくあることらしい。
まあ、よくあると言っても実体験がそんなに多いわけではないだろうが。
「まあ、とにかく。危険の一つは去ったと言えるんじゃないかな」
「これで全部去ってほしかったですけどねー……」
一人を浄化しただけでは、この異空間は消え去らないようだ。ミオさんも最初、複数人が降霊術を行ったら暴走が起きると言っていたし、最低でも後一人は、浄化しないといけない霊がいるのだろう。
……つまり、そこには死体があって然るべき、と考えていいのだろうか。
「それにしても、吉元詠子ちゃんか。一体彼女にはどんな未練が……」
吉元詠子。その名前には、全く聞き覚えが無い筈だ。
それでもなお、彼女がオレを見て何かを謝ってきたのは、どういうことなのだろう。
オレは何か、忘れているのか?
ドールによって気絶させられた間に、記憶がおかしくなってしまったとでも、いうのだろうか……?
「……うッ!?」
ズキリと、鋭い痛みが頭を襲った。
頭蓋が割れてしまいそうなほどの痛みだったが、それは思索を止めた途端に消える。
「……どうかした、ユウサクくん?」
「い、いえ。何でも……」
……何でもない、わけではない。
まるで、考えることを止めろと命じられているかのようだ。
何者かの意思によって、記憶を封印されているかのよう……。
……ドール、なのだろうか。
「……あれ」
痛みで下を向いたおかげで気付けたのだが、吉元さんの近くには鍵が落ちていた。
ネームホルダーには、屋上と記されている。
どうして彼女の近くに屋上の鍵が落ちているのかは不明だが……これでようやく屋上を調べられそうだ。
「リク……」
屋上に、リクはいるのだろうか。いるとしたら、オレと同じように気を失っているだけなのか、それとも。
生きていてほしいと、そう思うのだが……現状が現状なだけに、不安の方が確実に大きかった。
「屋上の鍵、か。早速行ってみるかい?」
「ええ。ドールの手掛かりも、あいつの手掛かりも……探さなくちゃ」
「……そうだね」
きっと何かがある。そう思いながら、今は進むしかない。
気持ちが萎えては、何も上手くいかないだろうから。
「……おや?」
今度はミオさんが気付く番だった。
暗い室内に、微弱な光を放つ不思議なものが漂っていたのだ。
「……あれは」
「何だろう……弱々しく光ってるね」
ふわふわと漂う、光の玉。
不規則に明滅を繰り返すそれは、明らかにこの世のものではない。
「魂、なのかもしれないね。消えかけの……小さな魂」
「魂……ですか」
なるほど、言われてみればそう思えなくもない。この光にはある種、生命力のようなものが感じられる。
明滅しているのなら、かなり危険な状態なのかもしれないが……まだこの魂は、消滅せずにこの世界に留まれているのだ。
「どうも、このままじゃ消えちゃいそうですし……保護してあげるべきでしょうか?」
「んー、そうだなあ。無害そうには見えるし、いいんじゃないかな。傷ついた霊をそのままにしておくのも、確かに忍びない」
悪霊とは違い、この魂は今にも消えそうなか弱い存在だ。
魂が消滅する、というのがどのような意味を持つのかは分からないが、少なくとも肉体的な死以上の意味はあるだろう。
完全な消滅。もしそうだとすれば、見捨てるのはあまりにも薄情だ。
ミオさんは、清めの水が入っていたビンを再利用し、弱った魂をその中へ誘導する。光は何らの拒絶反応を示すこともなく、すんなりとビンの中へ入ってくれた。
「オレが持ちます。怪物に出くわしたとき、ミオさんが水を持ってる方がいいでしょうから」
「そうかい? じゃあ、お願いしようかな」
オレとミオさんは、互いのビンを交換する。安全面から考えて、こうした方がいいだろう。
明らかに、ミオさんはオレなんかより場慣れしているのだから。
「よし。ちょっとハプニングだったけど、そろそろ屋上へ行くとしようか」
「ええ、そうですね」
手掛かりを求めて、この非日常が始まった起点である、屋上へ。
ようやく何かが分かってくるのだろうかという期待と同時に、形容し難い不安があるのもまた事実だ。
――真実を知る覚悟はある?
音楽室の少女の言葉が、ふいにオレの脳裏にリフレインする。
それはまるで、真実を知らぬ哀れなオレへの警告であるかのように感じられた。
一歩、また一歩。屋上への階段を上っていく。
最初のときと変わらない筈なのに。その足取りは重くなる。
行ってはならない。知ってはならないという、心の奥底からの警告が、オレの足を鈍らせるのだ。
だから、オレは何度も立ち止まった。
「……大丈夫かい? さっきから、気分が悪そうだけど」
「いえ、何でもないんです」
何でもない。その言葉は、半ば自分に言い聞かせるものでもあった。
気にならないふりをしながら、警告を無視しながら、オレは階段を上っていく。
冷や汗が、滴る。
「……う」
「ど、どうしたの、ユウサクくん……!」
「……何でも、ありません」
―――ちゃん……。
声が、聞こえた。
音楽室で、七不思議について聞かされたときに聞こえた幻聴。
否――幻聴だと、思っていた声。
――い、ちゃん。
今ではハッキリと、聞こえる声。
「違う……そんな馬鹿な……」
「顔が真っ青だよ!? しっかりして、ユウサクくん!」
「すいません……」
気付けばオレは、屋上まであと少しというところで、階段に手をつくような体勢になっていた。
手も足もすっかり冷たくて、息だけが荒い。
「何か、気付いたことでもあったの……?」
「……いえ。とにかく、屋上に行ってみましょう。きっと、大丈夫だから……」
そう、大丈夫なんだと。
言い聞かせるしかないのだ。
そんな保証がどこにもなくても。
オレにはただ、信じることしか出来ないのだ……。
「……分かった。行ってみよう」
ミオさんが、オレの手を握ってくれる。
その手の温かさだけが、今のオレにとって『本物』だった。
最後の段を、上り切る。
そしてミオさんが、鍵を取りだして扉を解錠した。
鈍い音とともに、扉はゆっくりと、開かれていく。
そうして、今まで見ることの出来なかった夜の風景が――オレの目の前に提示された。
「――あ……」
それが、答え。
覆すことの出来ない、明白なる事実。
信じたかった希望は終わり、後に広がるのは、絶望の闇。
人工的な光とは裏腹な、救いのない未来だった。
「……特に、何もないね」
ミオさんが呟く。そう、確かに屋上には何もなかった。
彼にとっては、何も。
けれど、眼前に広がるこの光景は、オレにとって大きな意味を持つもので。
オレという存在の真実を知らしめるには、十分過ぎるもので……。
「いや、オレにはありました」
「え……?」
「そういうこと、だったんだな。本当に……」
「……どういうこと、なのかな?」
ミオさんは、状況を理解できずに困惑していた。
それは当然のことだ。
こんなこと、理解出来なくて当たり前なのだ。
世界がおかしいわけじゃない、ただただ……オレがおかしいというだけなのだから。
「……ミオさん」
オレは、分かり切った答え合わせのために、問いを投げかけた。
「今は、いつなんでしょう」
「え? 今日は六月一日だけど……」
「すみません。言葉が足りませんでした。今年は……西暦何年ですか」
「……二〇一四年だよ」
そう。
つまりはそういうことだったんだ。
ミオさんがオレを『ユウキ』と呼び間違えたこと。
校内を徘徊する弟の霊という新たな七不思議。
死亡した流谷家の娘についての齟齬。
全てが、繋がる。
――い、ちゃん。
徘徊する霊は。
そいつが発していた声は。
兄ちゃん、ではない。
それとよく似た、別の呼び声だったのだ。
そう、
――ミイちゃん……。
「……だから、違っていたんだ。沢山のことが、そしてここから見える景色が」
「景色……?」
「……ええ」
夜の町。建物の光が、ぼんやりと滲む。
いつの間にか、オレは涙を流していた。
「……オレの知ってる景色は、こんな都会じゃないんですよ。オレの知ってる景色は、こんなビルやマンションが並ぶ景色じゃない」
「……まさか……君は」
「……それしか、ないんでしょうね」
全てが示す答えは、たった一つ。
「つまりオレは、今よりずっと昔の人間だったということなんでしょう――」
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