伍横町幻想 —Until the day we meet again—【ゴーストサーガ】

ホラー×ミステリ。オカルトに隠された真実を暴け。
至堂文斗
至堂文斗

八話 いろは歌、罪と罰

公開日時: 2020年9月24日(木) 08:02
文字数:2,516

 図書室で十分に時間を潰し、もうそろそろ自分に割り当てられた部屋へ戻ろうかと廊下を歩いているとき、壁に掛けられた絵画をじっと見つめているソウシと出くわした。

 ソウシは俺がやってきたことに気付くと、待ってましたとばかりに手招きしてくる。


「ミツヤ。これ見てくれないか」

「うん?」


 幾つか掛けられている絵画。真贋は不明だが名画そっくりのものや、常人には理解不能な画風のものもある。ソウシが示したのは、その中でも際立って奇妙なものだった。

 厳密には、それは絵画ではなかったのである。


「詩……か」

「みたいだな」


 額縁の中。紙に達筆で書かれていたのは、このような文章――いや、詩だった。



 わた終日ひねもす

 零雨落れいうお

 稚子ちし丸屋まろや

 へり

 ゆめくる

 朝穂波あさほなみ

 啄木鳥けら泉下せんか

 鵺笑ぬえゑむと



「……これ、お前の書いてる詩にそっくりじゃねえか? どうやらこれ、左下にサインがしてあるから湯越郁斗本人が書いたみたいなんだけどよ。前半から後半に進むにつれて、意味が分からなくなってくるよな」

「って、俺の詩も意味が分からないってことかよ」


 俺がツッコミを入れると、ソウシは頭を掻いて笑いながら謝ってくる。


「悪い悪い。……で、これよく見てみるとだ。いろは歌になってるんだよ」


 ソウシに言われてハッと気付く。いろは歌と言えば、ひらがな四十七音が一つとして被らずに使われている詩だ。いろはにほへと、というフレーズは日本人なら誰もが知っているだろう。

 どうやらこの詩も、それに倣って作られたもののようだ。俺は一つ一つ、文字が被っていないかを確かめてみる。


「……本当だ。『ん』が入って48文字、一つもかぶらず入ってるな」


 だからこそこの詩は後半が苦しい表現になっているわけだ。後になればなるほど、使える文字は限られてくるのだから。


「ああ。こんな遊び心のある詩を湯越さんも書いてたわけだな。おまけにこんな所に飾ってさ。娘を亡くして降霊術に狂っていたらしいけど、別な一面もあったことが知れて良かったよ」


 ソウシは安堵したように微笑む。


「……実はさ、俺がこの霧夏邸に来たのは、伊吹さんにそれとなく頼まれたからでもあるんだ。郁斗さんがすっかり狂人に成り果ててしまってたのかどうか、確認できればってさ」

「へえ……そんなこと、頼まれてたのか」

「伊吹さんとは色々あって、病気にかかったとき以外にもよく話すからさ。……まあ、まさか本当にここへ忍び込むなんて思ってはいなかったんだろうけど……ちょっとはいい報告が出来るんだろうかな」

「そりゃよかった。ユリカちゃんとのことも、上手くいって報告出来ればいいよな」

「何言ってんだ、コノヤロ」


 しんみりしたムードを払拭するように俺が茶化すと、ソウシもそれに乗って笑ってくれた。

 彼と別れ、しばし湯越郁斗の詩を分析してから、俺は今度こそ部屋に戻ろうと足を動かし始めた。しかしそこで、突然何か金属質のものが落下したような大きな音と、甲高い悲鳴とが邸内に響き渡った。


「……な、何だ?」


 悲鳴が上がったのは流石に心配だったので、俺は音と悲鳴のした方――玄関ホールへ走った。

 ホールに入ったところで、すぐに現場は発見できた。そこにはサツキとマヤがいて、サツキの方は怯えた表情で尻餅をついていたのだ。


「大丈夫か!?」


 俺が駆け寄ると、サツキは震える手で壁の方を指差し、


「……ミツヤ。掛けてあった剣と盾が急に落ちてきたのよ」

「おいおい、マジかよ……」


 見ると、明らかに刃のある長剣が床に突き刺さり、重たい盾がごろんと転がっていた。……この二つのうちどちらかがサツキの頭上に落ちてきていたら。そのときは、恐らく彼女は無事でいられなかっただろう。


「当たらなくて良かったよ。まさかこんなものが落ちてくるなんてね……」

「何なのよ、もう。止め具が錆びてたのかしら……」

「きっとそうだろ。何にせよ、良かった。花とか電気とか、よく分からない部分があるとは言っても、もう何年も人がいない館には違いないんだ。掛けられてる物には気をつけたほうがいいかもな」

「……そう、ね」


 俺の忠告に、サツキは素直に頷くのだった。





 午後十時。

 ずっと部屋に籠っているのも退屈になり、ぐるりと一階を一周してみようかと部屋を出たところで、何故か廊下に突っ立っているユリカちゃんを発見した。……どうやら彼女はサツキの部屋の前で立ち尽くしているようだ。


「……ユリカちゃん?」

「あっ……」


 彼女はまずいところを見られた、といった様子で俯く。そして、


「……な、何でもないんです。おやすみなさい」


 早口にそう言うと、自分の部屋の方へ早足で去っていってしまった。

 そう言えば、ユリカちゃんは夕方もこの辺りでぼうっとしていた。彼女の行動は少々気になるところがある。

 ひょっとしたらと思い、俺はサツキの部屋の前に立って耳をそばだててみた。


「――だったわけ!?」


 聞こえてきたのは、サツキの怒鳴り声だ。その調子からして、相当に怒っているらしい。電話で母親と揉めているのかと思ったのだが、別の声もする。これは……タカキだ。


「――はそうだけど――僕は――ろうと決めた――」

「――リキモトって言ったら――よね。だからアンタ、――の――気にしてたわけなのね!?」


 扉一枚隔てているので、声が大きくとも所々しか分からない。リキモト、と言う名前だけは判別できたが。

 いつものような口喧嘩ではなく、二人で本気の喧嘩をしている雰囲気だ。


「――には――ないだろ」

「――馬鹿! 出てってよ!」


 ドン、突き飛ばす音が聞こえ、足音がこちらへ近づいてきた。俺は慌てて玄関ホールまで逃げ、物陰から様子を伺う。

 程なくしてタカキがサツキの部屋から出てきた。苦虫を噛み潰したような表情で、隣の自室に戻っていく。あることが原因でサツキを怒らせてしまい、途方にくれて帰っていった、という感じだろうか。


「……リキモト、ね」


 それが重要なワードなのは、少なくとも間違いない。





 午後十一時、五十九分。

 霧夏邸の食堂に置かれた大時計が、チクタクと針を動かす。

 ……そして。

 時計の長針と短針が、全て頂点を示したとき。

 時刻が午前零時へと移り変わったとき。


 ゴオン……ゴオン……。


 内蔵された鐘の音が鳴り響くのと同時に、

 それは聞こえた。


 ――人 殺 シ ニ ハ 罰 ヲ――

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